この夏のお盆に映画「アナと雪の女王」を家族で見た。うまいことまとめようかと思ったが,しばらく心の中に留めておいても一向に熟成されなくて,このままだと腐ってしまいそうなので,思いつくままに書き残しておこうと思う。
思い切りネタバレするので未見の方はご注意を。
私はこの夏のお盆に「アナと雪の女王」を村役場の企画で観た。鑑賞料は無料。その後しばらくして,ディズニーが,映画館で上映中だという理由で,自治体に上映の中止を求めるということをしたということが報道された (神戸新聞NEXT|社会|アナ雪ロングランの陰で…市民向け上映会が中止)。しかしこれは話がおかしい。自治体はディズニーから業務用のDVDを借りて上映しているわけだから,ディズニーが中止させるというのは筋違いというものである。貸出する時期を遅らせればよかっただけである。建前は著作権の主張だが,実体は難癖である。
さて,映画を見終わってから,この映画は誰に向けたものなのだろうかとまず思った。映画の鑑賞者としてどのような人たちを対象としているかということである。小学校低学年の娘が言うには「もう見たくない。オラフだけよかった」だそうだ。なるほどそうかも知れない。
オラフと言えば,デンマーク民話「海からきた力もち」の主人公を思い出すが,この映画のオラフは夏に憧れる雪だるまである。子供の頃に,後に雪の女王になるエルサがつくったもので,物語のそこここに顔を出して観客を和ませてくれるキャラクターである。登場人物はこの他に,エルサの妹のアナ,アナと結婚の約束をする他国の王子のハンス,雪山でアナを助ける氷売りのクリストフ,トナカイのスヴェンがいる。
映画はノコギリのアップで始まる。これはカッコいい。湖に張った氷を切り出す男たち。これから始まるストーリーが面白いものになりそうな予感がしてワクワクする。男たちに混じって小さな男の子と小さなロバのようなトナカイが出てきて,大人たちと同じことをやろうとするのが微笑ましい。この男の子は後にたくましい男になってアナを助けるクリストフである。
この映画には,最後にどんでん返しがある。ハリウッド映画には,事件の黒幕は見方だと信じていた上司だったというパターンがよくあるが,この映画にも似たようなビックリが待っている。エルサの王位を継ぐための式典で,アナと出会ってすぐに気が合い,歌い踊りまくった相手のハンスが,実は悪人だったのである。小学生向けでないというのは,この点である。中学生にでもなれば,善人に見えてもそうでない人もいるということが受け入れ可能だろうが,小学生には無理である。今までいい人だと信じていたのに,それが悪人で,しかも姉を殺そうとするくらい悪いのだから,そんなものを見た子供はかなりビックリするはずで,ヘタをしたら人間不信におちいる可能性もある。しかも,途中から心変わりをするのではなく,最初から悪いたくらみを持って近づいたのだからタチが悪い。
「これは誰に向けた映画なのか」という疑問を持ったのはこの点である。子供向けなのであれば,人間不信に陥らないような展開にすべきだ。この映画は,アニメーションの絵が可愛らしいから子供向けかと思ったら,実は違っていたというケースである。宮崎駿の「崖の上のポニョ」は,内容は大人向けだが表面上は子供向けになっているので許せる範囲だが,それとはかなり違っている。
もっと別の形のどんでん返しでもよかったのではないか。例えば,ハンスは13人兄弟の末っ子という設定なのだからこれを活かして,ハンスとクリストフが実は兄弟だったということが分かるというストーリーにするのである。物語の後半で,アナが城に連れられて戻ってみたらハンスは宝物を盗み出そうとしているところで,そんなところを見たアナはそんなハンスに幻滅し胸の氷が広がるが,何度も助けてくれたクリストフに心を引かれ始めていることに気がつくのだ。実はクリストフはハンスと他の兄に城を追われて山で生活していたのである。こういう話ならば,ハンスは小悪党くらいなので,どんでん返しはあるものの,映画を観た子供のショックは少なくて済む。そもそも,ハンスとクリストフの顔が似すぎなところに問題があるようにも思えるが。
原作の「雪の女王」の作者アンデルセンの名前はハンスである (ハンス・クリスチャン・アンデルセン - Wikipedia)。えっ?
「ありの〜ままの〜」という歌を子供がどこからか聞いて覚えてきて,映画を見る前にさんざん聞かされていた。日本語の歌詞の内容は,「自分を無理に抑えることはない。ありのままの自分の姿を見せて生きていけばいい」という内容なので,自己実現がテーマだと思っていた。中森明夫氏が言うように (REAL-JAPAN ≫ 「中央公論」掲載拒否! 中森明夫の『アナと雪の女王』独自解釈),家柄や生い立ちで窮屈な思いをしていた女性が,自分の力を信じて生きていくことを決意するのだとばかり思っていた。そして,それが映画のクライマックスであると信じていた。なぜなら,歌詞にある「光浴びながら」は,ステージならばスポットライトを思い起こさせるからで,そこから「多くの人の賞賛を浴びながら」ということになるからである。しかし,実際の映画では,世俗から離れ,ひとり山に篭もることを決意するときに歌われる歌なのである。ただ,歌いながらエルサが変わっていく場面はよかった。体はクネクネになって女性らしくなり,緊張して固くなっていた心と体が開放されたということは上手く表現されていた。
映画はミュージカル調に仕上がっている。セリフが歌になる場面ではサウンド・オブ・ミュージックを思い出した。舞台がヨーロッパなのに,メロディーがアメリカ的なのは仕方がないことか。作曲で素晴らしいと思ったのは,「生まれてはじめて (リプライズ)」でアナとエルサが別々のメロディーで掛け合いで歌うところである。アナの脳天気とも言えるほど明るいメロディーに,エルサの憂いを含んだメロディーが重ねてあるのだ。しかも,当然のことながら伴奏は同じ。つまりメジャーコードの伴奏にマイナーがかったメロディーを乗せているのである。
松たか子の歌もよかった。May J. の叫び系の歌い方よりも声に余裕があった。神田沙也加の歌もよかった。松田聖子の若いころの声とそっくりで,間違えるほどだった。歌がよかっただけに,想像していた内容と実際の映画のストーリーがミスマッチだったのは残念だった。歌を聞いていなかったら見方も違ったかもしれないが,歌を聞いていなければ映画を見ることもなかっただろう。
そういえば,ディズニーから分離したドリームワークスの映画に「アンツ」というアリのアニメーションがあった。リメイクすれば,「アリの〜ままで〜」がそのまま使えるんじゃないかと (笑)。
アニメーションの映像や歌がいいので,内容に関するほころびが気になった。まず,雪の魔力を使えるエルサである。父と母はそのことを知っており,相談する妖精たちとも知り合いの様子。ということは,何らかの魔力を使える人間が家系の中にいたことがある,ということがありそうである。例えばお婆さんも雪女だったとか,お母さんは怒るとツノが生えるとか,である。しかし,そのようなことは一切なく,ひとりエルサだけに魔力が宿っているのである。
妖精トロールは,アナに二度会っている。一度は子供の時,二度目はクリストフと一緒にである。ところがトロールは二度目にあったときでもアナを思い出さないのだ。これはおかしい。妖精というものは一度会った人間を忘れないものだ (思い込みだが)。トロールはアナを思い出して,それをストーリーにつなげるべきだった。
トロールの力で,子供時代のアナはエルサの魔力に関する記憶を消される。そして,それを思い出すきっかけが散りばめられている。例えば,雪だるまのオラフに会ったときや,トロールに再開したときである。ところが,アナは思い出しそうな表情をするのに,結局最後まで思い出さずに映画は終わってしまう。伏線が回収されていない。韓流ドラマのようにベタにしろとは言わないが,思い出したことをストーリーにつなげて欲しいものだ。
その他のことで気になったのは,アニメーションの口の動きである。口の動きが日本語のセリフと合っていない。これはもともとの言語が違うから仕方のないことである。アニメーションはコンピュータ・グラフィックスで作られているので,合成は比較的楽だとすると,近い将来には,映像はほとんど同じだが口元の動きだけが違うという「各国語対応版」が出るようになるのかも知れない。
口の動きはセリフには合っていないが,一方で歌のときには気にならなかった。細かい部分は抜きにしても,声を延ばす部分の口の形は同じになるように工夫して訳したのかも知れない。日本語訳するときに,内容だけでなく音も似せたとすれば,それは名人芸だと言えよう。
少しビックリしたのは,この映画の登場人物は昔からある話…悪く言えばありきたりな展開…を知っているということだ。アナの氷を溶かすには真実の愛が必要だとトロールに言われたクリストフは,オラフと顔を見合わせ,思い出したように「王子様のキス!」と言って城に向かうのだ。城にいる愛するハンス王子と会わせるためである。物語の登場人物が他の物語を知っているという話はあまりない。
映画のひとつのテーマは「愛」だということは分かる。伝統的な「異性愛」も出てくるが,それよりも「姉妹愛」が重要視されている。エルサは,自分を信じて生きれば,力が存分に発揮できることを知ったが,その力は他人の役に立つものではなかった。真実の愛…物語では姉妹愛だが…それを知ることで,暴走することはなくなり,はじめて多くの人の役に立てることができるようになったのである。そこまではよい。しかし,もし「姉妹愛に気づきなさいよ」がテーマだとしたら,それはそれで悲しい。アメリカでは,兄弟姉妹さえ信じられないという家庭が多くなってしまったということになる。アメリカはそこまで行ってしまったのか。
もうひとつのテーマは「女性」である。姉妹愛もそうだ。ジャンヌ・ダルクは額縁の絵に出てくるし同時に歌詞の中にも出てくる。力を発揮する女性の描写が多い。エルサは氷の城を作るし,アナは寒さに負けずに雪山を登っていく。これに対して「男性」は重要ではない。可哀想なのはクリストフである。氷売りで,新しいソリも手に入れられたのに,最後には要らない人になってしまった。なぜなら,愛を知ったエルサは自在に氷を作れてしまうからである。映画全体を通して,男性の印象はよくない。ハンスは極悪人だし,ウェーゼルトン公爵も悪人,山小屋の主人もクリストフを追い出すような悪い面があるし,クリストフはいい男だが今後の経済的な面で不安が残る。要するに,「これは」という男性はひとりも出てこないのである。
結局のところ,この映画を通して何が言いたかったのかは,分かりやすい形では伝わってこなかった。自己実現をテーマにしてもいいと思うのだが。
「男への幻想を捨てよ。しかし自己解放はほどほどにせよ。国や家族という共同体を大切にし、各々の社会的役割を遂行せよ」というのが、(作り手が意識しているかどうかは別にして)この作品の発している率直にして辛口なメッセージである。
これが妥当な解釈だろうと思える。やはり分かりにくい。
エンドロールを見ていて暇だったので,日本人の名前を探してみた。ひとつだけ見つけたのは "Matsune Suzuki"。調べてみたら有名な人だった (Matt Suzuki)。そうそう,親子でこの映画を見るときは,エンドロールの最後まで席を立たないことも教えるとよい。延々と続いた文字ばかりの画面の終わりにはちょっとしたオマケがある。
Posted by n at 2014-09-19 20:02 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
Master Archive Index
Total Entry Count: 1957