タバコを吸わなくなって、今日で3年が経過した。自分の気持ちとしては、「煙草をやめたというのではなく、単に吸っていないだけ」である。「吸ってはいけない」と思うと逆に吸いたくなってしまう。「やってはいけない」というプレッシャーを自分自身にかけるのは返って不健康である。体は健康になっても、精神的に不健康では意味がない。「吸っても吸わなくてもどちらでもいい」と思うことが精神的に不健康にならないコツである。
「タバコは健康に悪い」と言われている。確かに、体に対しては百害あって一利なしである。しかし、体の健康を別にすればよいこともあるのである。禁煙を勧める多くの本は、タバコがどれだけ体に悪いかを説得しようとし、いくつもいくつも例を出す。反対に、タバコのよい点については全く説明がない。私がタバコを吸ってみて、よかった点を敢えてあげてみよう。
最初の2つは肉体的なもの、それ以外はすべて精神的なものである。
一番驚いたのは、価値観の変化である。それまで髪の毛に煙の臭いがつくのが嫌だったのが、逆に煙が好きになってしまうのだ。臭いがつくのも気にならない。衝撃的なことだった。
喫煙者は基本的にマナーが悪い。道端で灰皿がないと、ポイ捨てしてしまう。部屋で灰皿がないとジュースの空き缶を灰皿にしてしまう。我慢ができなければ、そばに子供がいても吸ってしまう。これは悲しいかな事実である。
タバコが反社会的であるような評価は、煙を愛する人間にとっては結構キツかった。「未成年でタバコを吸うのは不良、だから大人になっても不良」というのは偏見であるが、少しは当たっていることも事実なのである。
タバコを吸いに灰皿に集まるとき、集まった人たちにはある種の一体感があることを知った。喫煙者コミュニティーである。タバコを吸うというだけで疎まれるので、敢えて吸い続ける人間は同志のような気がするのである。
このようなよいことがあったが、現在は吸っていない。単にやめてみたくなったのだ。別に病気をした訳でも、6月20日という日が私にとって別に特別な日でもない。やめるのに理由をつけるのでは、やめられないのである。プレッシャーをかけてはいけないのだ (nlog(n): やらなければというプレッシャーから逃れる方法)。私はいつでも吸えるようにタバコを1箱用意している。所詮は自分の体と心、どうしたって自由なのだ。「吸う・吸わない」を選択できる状態にしておくことが重要なことである。
そうは言っても、やめるのはそれほど簡単ではなかった。タバコは肉体的・精神的の両面で私自身を拘束していたからである。
関連:
Master Archive Index
Total Entry Count: 1957