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Photo 「バカの壁」を読んで

昨年話題になった「バカの壁」を読んでみた。「バカの壁」というのは、意識的か無意識的かに関わらず、考えるのをやめている境界線のことを指す。ある程度以上については思考停止してしまう、その限界のことであった。この本の議論から一歩考えを進めれば次のような結論が導ける。「バカの壁」というとマイナスのイメージで捉えがちだが、使い方によっては大きなプラスにもなる。バカの壁を意識的に思考の限界より手前に置き、詳細をバッサリと切り捨てることにより、人は「抽象的思考」が可能になったのである。

■ ■ ■

部分的に引用することは、この本に対しては適さないように思える。前後でまったく逆のことを言っていることがあるからである。しかし、ここではあえて引用しながらみていくことにする。

第一章『「バカの壁」とは何か』に、「バカの壁」についての記述がある。

自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている。ここに壁が存在しています。これも一種の「バカの壁」です。

「エーッ?」と思った。最初に出てくるバカの壁の説明なのに、「『これも』一種のバカの壁です」とは何ごとだろう。まずは「バカの壁」とは一体何なのか,その定義が必要だろう。それに,「これも」バカの壁というのであれば、「他にも」バカの壁があるということになるではないか。その説明は一言もない。「バカの壁って何だろう?」と思って読んでいる読者を、いきなり迷路に誘い込む。そして、他のバカの壁についてはこの章に説明はないのであった。本の一番最初から読み返してみると、何と「まえがき」に説明があった。

結局われわれは、自分の脳に入ることしか理解できない。つまり学問が最終的に突き当たる壁は、自分の脳だ。そういうつもりでのべたことです。

説明ではあるのだが、記述の仕方が不完全で分かりにくい。「学問の突き当たる壁=自分の脳」のように書いてあるが、言いたいことはそうではない。「学問の突き当たる壁=自分の思考能力の限界」のことを言っている。脳の中に、これ以上は理解できない、乗り越えられない壁がある、ということを「自分の脳だ」と言ってしまっているのである。

この本には、このような不正確な記述が多い。「十分に校正しないで出しちゃった本」だと言える。読み手に負荷をかけるので、読み進むのに忍耐と無駄な集中力が必要な本である。

バカの壁というのは、要するに次のことを言っている。

  • 自分の理解できる限界のこと
  • 自分が知りたくないことについては、自主的に情報を遮断すること

人間というものは、意識的か無意識的かに関わらず、ある程度以上のことを考えるのを諦めたり思考停止をする。 これは自分が作り出している壁である。 思考停止しているというのは、聞く耳がないということであり、その状態に陥っている人にいくら説明しても理解してもらえないのは当然のことである。説明しようとしている人にとって、その説明を理解できない人は「バカ」ということになる。 したがって、この壁は「バカの壁」と呼ぶに相応しいという訳である。自分自身が理解できる領域と出来ない領域の境に存在する壁も「バカの壁」である。 バカの壁というのが何のことか知りたいという人で、この2つの表現の意味するものが分かるのであれば、この本を読む必要はない。お勧めしない。読むのが苦痛だからである。

「まえがき」の冒頭に、次のようにある。

これは私の話を、新潮社の編集部の人たちが文章化してくれた本です。

ご本人の責任編集ではないのだ。通して読むと、「まえがき」が一番よくまとまっているように思える。

対話を元にしているので、世間話チックに話が進んで行く。 世間話には、自爆テロ(2001.9.11)、外務省問題(2002.1)、鈴木宗男(2002.2)、ペルーのフジモリ前大統領(2000.11)、オウム真理教(1994.6)などの批判があげられている。2003年4月10日初版だが、すでに内容に古さが感じられる。

表現について、多くの混乱が見られる。「わかる」と「知る」を同じものとして扱っている。科学について、「反証」と「検証」が混乱している。「共通理解」と「強制理解」が対立する概念であるように書きながら、実は「強制理解」は「共通理解」に含まれていた。など、本人の混乱もあるし、読者を混乱させる表現もある。

「わかる」についての考えを、いきなり展開されるので、読者は当惑する。どのような意味で「わかる」という表現を使うのかについて説明がないのである。第四章『「知る」と「死ぬ」』でやっと説明が出てくるが、記述として不正確なため、そこだけ読んでも何を言いたいのか分からないのである。

自分で一年考えて出てきた結論は、「知るというのは根本的にはガンの告知だ」ということでした。

分かるような分からないような説明である。「ガンの告知をする医者の立場に立つことか?」どうやら違うようだ。「知るというのは根本的にはガンを告知された患者の気持ちになることだ」ということを言いたいのである。この説明の前後を引用してみよう。この言い回しを生理的に受け付けない人もいるに違いない。

 私は東大を辞める少し前まで、東大出版会の理事長をやっていた。その時に一番売れた本が『知の技法』というタイトルでした。知を得るのにあたかも一定のマニュアルがあるかのようなものが、東大の教養の教科書で出ている。
 気に入らない。それで、何でこんな本が売れやがるんだ、と思って、出版会の中で議論したことがある。結局、答えが得られない。私以外は、そんなことを気にしてはいなかったのでしょう。
 その後、自分で一年考えて出てきた結論は、「知るというのは根本的にはガンの告知だ」ということでした。学生には、「君たちだってガンになることがある。ガンになって、治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう」と話してみます。
 この話は非常にわかり易いようで、学生にも通じる。そのぐらいのイマジネーションは彼らだって持っている。
 その桜が違って見えた段階で、去年まではどういう思いであの桜を見ていたか考えてみろ。多分、思い出せない。では、桜が変わったのか。そうではない。それは自分が変わったということに過ぎない。知るというのはそういうことなのです。  知るということは、自分がガラッと変わることです。したがって、世界がまったく変わってしまう。見え方が変わってしまう。それが昨日までと殆ど同じ世界でも。

どうやら、「知る」ということを「実感する」という意味で使っているようだ。通して読んでやっと分かる。しかし、通して読んでしまうと、他に書いてある「東大出版会の委員批判」「学生の見下し」についても読まざるを得ないので大変煩わしい。世間話的な不正確な表現と、ボヤキが満載である。

第二章「脳の中の係数」では、人間の刺激に対する行動を1次関数「y = ax」で表わす説明がある。入力を x とすると、人それぞれに a という係数がかかって、行動 y が生じるという説明である。

  • a > 0 のときは、入力があれば何らかの反応をすることを表わしている
  • a < 0 のときは、逆の反応ではあるが、反応があることを表わしている
  • a = 0 のとき、反応が現れない、つまり情報を遮断していることになり、バカの壁を作っていることになる
  • a = 無限大 のとき、これもバカの壁を作っているときで、ある情報が絶対のものとなるので原理主義になる

最後の「a = 無限大」の場合が間違っている。どのような入力があっても、一定の行動をとることになるので、「y = 定数」とすべきだろう。極端な行動は、定数の値が大きいとすれば説明ができる。ただしこの場合、1次関数は「y = ax」ではなく、「y = ax + b」と表現しなければならないが。

著者は、「常識が大切」と繰り返し述べるが、自分が非常識だとは思っていないフシがある。例えば、

 このところとみに、「個性」とか「自己」とか「独創性」とかを重宝する物言いが増えてきた。文部科学省も、ことあるごとに「個性」的な教育とか、「子どもの個性を尊重する」とか、「独創性豊かな子供を作る」とか言っています。
 大体、現代社会において、本当に存分に「個性」を発揮している人が出てきたら、そんな人は精神病院に入れられてしまうこと必至。
 想像してみればおわかりでしょう。人が笑っているところで泣いていて、お葬式で泣いているところで大笑いしてしまうような人。それで「どうして」と聞かれても理由が答えられない。

「人が笑っているところで泣いている」のは「個性」だろうか? 確かにひとつの個性かも知れないが、その個性と、「個性を尊重する」ときの「個性」は違うだろう。「常識的」に考えて、違う。「個性的な人=精神病の人」は極端過ぎる決めつけである。

たまたま最近読んだ本、岩月謙司「女は男のどこを見ているか」の第四章『自己実現 - 悦びの延長』で、次のように言って自己実現を勧めている。(岩月謙司のホームページ 「女は男のどこを見ているか」)

自己実現とは、自分がもっとも楽しく感じられることを実行する、ということです。

人間がもっとも個性的であるのは、自己実現した場合であり、そのときが人生の悦びの瞬間であると言っている。

 試行錯誤しながら、自分がもっとも楽しめることを探すのです。忘我の境地で楽しめることを探し続けるのです。寝食を忘れて楽しめることを求め続けるのです。忘我の境地になった時、もっとも自分らしくなっているものです。正確には、個性(能力)を100%発揮した時、人は我を忘れるのです。

個性の捉え方としては、こちらの方が常識的であり、受け入れやすい。

「バカの壁」で気になった箇所
「バカの壁」で気になった箇所

「バカの壁」の本の中では独断的な決めつけと社会批判が数多く出てくる。気になるところを数え上げればキリがない。読み進めるのが非常にツライ。しかし、読むのをやめようとすると、「そこがお前のバカの壁だ」と言ってくる。これがこの本の最もタチの悪いところである。気になる箇所に付箋紙を貼っていったら、ものすごいことになってしまった。

面白いところもある。 第四章『意識と言葉』では、「the と a の違い」について述べられている。この考え方は大変興味深い。「リンゴ」という言葉から想像されるものがある。言葉は発音する人によって違うし、印刷した文字であっても大きさや色が違う。リンゴそのものについてもひとつひとつの形や色が違う。それなのに、全員同じものを思い浮かべる。この思い浮かべるものを、プラトンは「イデア」と呼んだというのである。

私の知る限り、この問題を最初に議論したのがプラトンです。彼は何と言ったかというと、リンゴという言葉が包括している、すべてのリンゴの性質を備えた完全無欠なリンゴがある。それをリンゴの「イデア」と呼ぶのだ、と。

この思い浮かべたものは、不定なので「a」がつく。そして、目の前にあるリンゴを手に取ったときに、それは初めて具体化されるので、以降「the」が付くようになる。

これは面白い。

そして、日本語には、この「the と a の違い」がないと思われているが、そんなことはない、という議論がある。 日本語では助詞で表現されるというのである。「昔々、おじいさんとおばあさんがおりました。おじいさんは、山へ柴刈りに……」を考えてみると、「おじいさんとおばあさんが」の「が」は「a」に当り、「おじいさんは」の「は」は「the」に該当するというのである。

大変面白い。(a と the の使い方については,マーク・ピーターセン著の「日本人の英語」にある解説がお勧めです (nlog(n): 「日本人の英語」に出てくる「電子レンジの猫」))。

この本には書かれていないが、読み終わってこの文章をまとめているうちに、私は次のようなことを思った。「バカの壁」については、このリンゴの議論を発展させたら、もっと面白い本になったのではないかと思う。つまり、リンゴは種類も色々あるし、ひとつひとつのリンゴはすべて違うものである。これらをリンゴとして捉えようとするということは、個々の微細な特徴を無視しようとすることになり、ひとつの「バカの壁」だと考えることができる。バカの壁は人間が日常生活を送る上で、なくてはならない壁なのではないか。無意識的に情報を遮断する行為がなくては人間は生きていけないのではないだろうか。「概念」というもの自体、「バカの壁」の作り出した最たるものではないか。「the」を「a」に変える能力こそ、人間の持つ最大の能力ではないか。しかし、その能力は他人の話を理解しない「壁」にもなり得る。自分が意識的に遮断している情報、無意識的に遮断している情報について、もう一度見直してみてはどうだろうか。

独断的で断定的であるにも関わらず、まえがきで「世間のいう正解とは違った解のひとつ」といって批判に対して予防線を張るという、厄介な本である。厄介ではあるが、興味深い部分もある。是非一読をお勧めしたい。

「え?」言っていることが最初と違うって? 内容もそんな本である。

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Posted by n at 2004-08-21 14:19 | Edit | Comments (10) | Trackback(1)
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バカの壁/養老 孟司
採点 75点 内容 人が知らず知らず作る壁の説明 読んだ動機 高校時代の国語の先生が勧めていたのを思い出したから こんな人にお勧め 1、脳について知りたい人 2、自分が知らず知らず作る壁の原因や影響を知りたい人 内容のレベル     6 ... Trackbacked from: 書評ぽーたる at December 29, 2006 06:11
Comments

面白い!「バカの壁」の内容が感想者にどんな影響を与えたかがよくわかって、私はどんな感想を抱くだろうかという思いにかられ、「バカの壁」読んでみようと思った。

Posted by: syu at December 28, 2006 15:14

あー。読んじゃいますか。

Posted by: n at December 28, 2006 19:25

>自分で一年考えて出てきた結論は、「知るというのは根本的にはガンの告知だ」ということでした。

この感覚…が良くわかります。人間は自分で正しいものと正しくないものをあらかじめ決めて生きています。この根本となる考えが「知ること」により変われば…地獄です。すなわち、今まで自分を支えてきた哲学が死んでしまうことですから…かなりの苦しさを感じるに違いありません。「今まで生きてきた自分というのは、一体何なんだろう?」と…。それほど私たち人間は下等な生き物なんだとも思います。馬鹿なんですよねぇ〜(笑
(^_^)/~

Posted by: 通りすがり at May 25, 2008 01:36

読解の部分でいくつか疑問がある。ちなみにバカの壁は読んだことがない。内容を読む限り、文章構成が雑なのかと思った。ぼやきは正直うざい。

「知る」ということを「実感する」という意味で使っているようだ>とあるけど、知る=自身の内面が変化する、ということをいいたいんだと思うんだけど。実感するという意味で使ってるようにはここでは全く感じない。
養老 孟司は昔、知の技法がよく売れるのが気に入らなかった。その理由を一年考えたら・・・。
・・・の部分がここには書いてないです。続きにあるのでしょうか?何となく、彼の「知ること」に対する考え方から感じられるものがありますが、結局、全体の構成で見ると、ただの世間話に見えるのは気のせいでしょうか。

「個性的な人=精神病の人」>とあるけど、読んだ感じでは、個性的=みんなと違う、の意味で使っていると思う。独創性という言葉の意味も含めて、個性を発揮する=みんなと違う行動を取る、という意味で書いたのだと思います。それが正しいかはともかく、精神病患者という意味では無いでしょう。

他にも?な部分があったので、読み方としてはどうなんだろう。まあ、一番大切なところさえ理解すれば良いんですが、あまり曲解すると孟子さんも少しかわいそうかな。でも、こんな本を書くくらいだから、そういうのは気にしないか。

Posted by: 化かす遺産 at December 05, 2008 03:08

面白かったです。
バカの壁は実はくだらない本じゃないのか?と思っていた長年の疑問が晴れました。
感謝、感謝です。

Posted by: ebd at January 05, 2010 06:14

ebd さん
ありがとうございます。これも1つの見方だと思ってくださればいいかと。

Posted by: n at January 08, 2010 04:31

言葉の選択や解説が不正確な部分について、補完されていてしっくりきました。
理解しようとしない(理解したくない)バカと理解することができないバカ、おもしろいですね。

Posted by: cicata at November 05, 2010 23:06

「バカの壁」のいわんとすることはわかりました。 そこで、 養老孟司先生の本は、 私のバカの壁を有効につかって読まないことにします。

もう少しまじめな話をすれば、 ソクラテスは無知の知を説きました。 また、 仏教には無明のいう言葉があります。つまり、私たちは自分のしていることがわからないのです。

「バカの壁」は、コミュニケーションの不在を他人のせいにする本当のバカを大量生産したとおもいます。

Posted by: とんちゃん at April 29, 2011 13:12

とんちゃん さん
「バカの壁の有効利用」超www

相手に向かって「お前にはバカの壁がある」と言えば,「お前がバカだ」と言って見下していることになり,自分に向けて言えば「自分はバカだ」ということになり,自己嫌悪に陥ります。

「バカの壁」はインパクトのある言葉としては有効ですが,誰も幸せにしない言葉でもありますね。

Posted by: n at April 29, 2011 13:34

「エーッ?」と思った。

バカの壁に当たって考えるのをやめた瞬間ですねw
あとは本を相手に一生懸命揚げ足取り・・・
よりバカの壁を強固にしていったわけですね。
馬鹿なんですよねぇ〜(笑
(^_^)/~

Posted by: 00 at September 18, 2012 15:07
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