今日9月10日はホワイトバンドデーとされている。ホワイトバンドで貧困はなくなるのか。ホワイトバンドには疑問の声もある。お祭り騒ぎだけはやめて欲しい。
1個300円のホワイトバンドが売られている。ホワイトバンドを身につけることで,他国の貧困問題を日本の優先課題として取り上げてもらうための活動である(ほっとけない 世界のまずしさ)。世界中では,3秒に1人の割合で,貧しさが原因で人が死んでいるという。日本では考えられないことが知らない国で起きているというのだ。
「できることであれば,何かしてやりたい」。それは自然な発想である。ホワイトバンドというものをそのシンボルにしようとするのが,このキャンペーンである。ホワイトバンドを購入し,腕につけることにより,「私は貧困問題について考えている」ということをアピールすることができるという訳だ。
一部で問題視されているのは,ホワイトバンド1個300円の売り上げの内訳である。大佐blog in ニュー速:ホワイトバンドの黒い影 が指摘するように,NGOの政治活動資金と製造コストに全額が使われており、アフリカの子供達には一円も行ってない
のである。このことのたとえ話が どうするどうなるホワイトバンド:nobubu Eyes で紹介されている。2ちゃんねるからの引用とのこと。
日本のみなさ〜ん。 A君の家はとっても貧しくて、食べるのも困っています。 だからA君の貧しさをほっておかないという意思表明の為にこの白いバンドをしましょう。
バンドはC君が造って、他にも色んなコストや利益を含んでいるので一個300円です。
A君には1円も渡りませんが、みなさんバンドを着けて、A君の貧しさをほっとけないという声をあげましょう。 必要なのはお金ではなく、皆さんの声です。
「A君は貧しい!、A君は貧しい!、A君は貧しい!」 いや〜日本の皆さんは良い方ばかりです。
A君「うるせ〜」
要するに「私たちの団体はキャンペーンだけをしています。金銭的,物質的支援はしません。」ということである。しかし,考えてみれば,もしもこのキャンペーン活動の中に実際に貧困にあえぐ国への支援金が含まれているとすると,よろしくないこともあるように思えるのだ。つまり,「あなたたちは何をやる団体なのか?」と問われたときに,答えにくくなる。援助するのが主な目的の団体であれば,どの国へ何パーセント援助するのか,何の用途のために何パーセント使うのか,など細かいことを決めなければならない。もちろん宣伝費も必要だが,援助金との割合を決めておかなければならなくなる。そうしないと説明ができないからである。だから「募金活動は行わず,キャンペーン活動だけをやる」というのは分かりやすいのだ。
「困っている国には1円も行ってねぇよ」という批判の気持ちは分かるが,これはこれでいいように思える。内訳を明確にしていて,「これはやります。これはやりません。」とハッキリ言っているからである。
問題があるとすれば,キャンペーンだけをやって,何かをやった気になってしまうことである。貧困がなくなるか,なくならないかは別の話だからである。活動の趣旨によれば,目標は「貧困を世界の優先課題とすること」である。しかし,この目標がどの程度達成されたかを評価することは難しい。この目標に関しては指標が明確でないからである。目標が達成できてもできなくても,ホワイトバンドを購入すれば,「何かをやった気」にはなる。実際にキャンペーンに参加したことになるからである。しかし,その満足感と同じだけ貧困がなくなったかと言えば,それは疑問である。つまり,貧困の状況が何一つ変わらないのに,裕福な国の人が勝手に満足するだけという可能性があるのである。
私はキャンペーンに参加しない。「オレはできるだけのことはやったのだ。これ以上やることはない。」という気分になってしまうからである。そして,何も変わらないのに達成感だけがあるというのも怖い。
今日9月10日はホワイトバンドデーとされている。ホワイトデーではなく,ホワイトバンドデー。全国各地でイベントが開かれたようだ (ホワイトバンドプロジェクト公式ブログ: 0910ホワイトバンドデー、イベントやります。)。イベントやるのも結構。イベントをやることで人々の認知度が上がるのはいいことである。ただし,勘違いをしてお祭り騒ぎになることだけは避けて欲しいものである。
Posted by n at 2005-09-10 22:48 | Edit | Comments (0) | Trackback(1)
Master Archive Index
Total Entry Count: 1957