部屋を片付けるには,不用なものを捨てていかなければならない。そんなことは分かっている。しかし,捨てられないのには理由がある。
部屋が片付かない。散らかっているのが普通の状態である。引っ越してからそのまま放置されている段ボールもあるし,何度も開けて中のものを取り出した後にまた仕舞う段ボールもある。
部屋を片付ける近道は,不用品を捨てることである。「捨てる理由」をつけてくれる言葉がある (モノが捨てられない人必見!「捨てる」を後押しする名言集|blogs.com)。後押ししてくれるはずだが,まことに腹立たしい。これらにはすべてに反論できる。一部を引用してみよう。
- 全部捨てたら未来だけ残る。
- 思い出の品を捨てても、思い出は消えない。
- 過去を捨てなくては、未来の場所がない。
年齢とともに,記憶力は落ちるものである。新しいことを覚えられなくなるだけでなく,旧い記憶も薄れていくものだ。若い頃,あれだけ鮮明に目に焼きついていた情景が,どこかぼんやりとしてくる。さらに時間が経つと,恐ろしいことに本当に何も思い出せなくなるのだ。
二十歳の頃 (私はすでにその倍以上の年齢なのだが),写真を多く撮る友人がいた。そのとき,私は「写真に撮るというのはものをファインダー越しに見なければならない。写真が何になる? 思い出か? オレはそんなことはしない。肉眼に焼き付ければいいだけではないか。鮮明な映像はいつまでも記憶に留めることができる。」確かに記憶に焼きついた。その当時は。そしてその後10年くらいは。しかし,20年もすると,記憶は曖昧になり,「そんなことあったっけ?」というところまで減衰する。
なくなったと思った記憶も,何かのきっかけがあると思い出すことがある。その時の状況がありありと記憶の中に蘇ることがある。きっかけとなるものに「もの」がある。その「もの」を見ると,当時の状況やそのときの自分の心境までも思い出すことができるのだ。「もの」が捨てられない理由はこれである。人間の脳には過去の記憶がすべて蓄積されているというが,思い出せなければ意味がない。「もの」は思い出を記憶の奥から引っぱり出す鍵になってくれるのだ。
人間は過去があるから成立しているのであり,過去の蓄積でできている現在の自分があるからこそ,それを未来につなげていくことができるのだ。過去を捨てたからといって,未来が切り開けるわけではない。
私の考えを,上の引用の反論として書いておこう。
- 全部捨てたら過去への手がかりがなくなる。
- 記憶は徐々に薄れるもの。思い出の品を捨てると思い出すきっかけも捨てることになる。
- 過去を捨てなくても,未来は自動的にやって来る。
私が欲しいのは,「ものを捨てろ」という暴力的な言葉ではない。私が自分自身に向けるなら「ものは写真に残せ」である。写真は「ものの形見」であり,そのもの自体がなくなってしまっても,記憶を引き出すきっかけにはなってくれるからである。
私がブログを書いている理由の1つはここにある。そのうちに忘れてしまうであろう今の思いをここに残していきたいからである。
Posted by n at 2010-01-25 22:33 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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