子どもは,評価点の向上に直接つながるような隠蔽されたルールを知りたがるかも知れないが,大人が子どもに期待することはこれとは異なる。ルールを明示することで発想が制限されてしまうことがあるからだ。ルールを隠しているのには意味がある。
いつもその視点には納得させられることが多い レジデント初期研修用資料 さんだが,この記事だけはかなり見解が違うので,以下に述べることにする。
学校では、「ルールがあるんだよ。ルールを見つけてから、それに従って努力しないと意味ないよ」ということを、きちんと教えてほしいなと思う。
「好きな絵を描きなさい」とか、「好きなことを研究しなさい」なんて課題を出して、「自由」にやって、それに点数を付けられる側は、たまらない。
この気持ちはよく分かる。私も感想文には散々苦しめられてきた。「感想を書け」と言われても,何を書けばいいのか全く分からなかったからだ。そして,どうすれば原稿用紙が埋まるのかの方をむしろ考えていたため (nlog(n): 作文の量を増やす姑息な技),その感想文の点数はいつも悪かった。
しかし,親になってみると「好きな絵を描きなさい」のやり方は間違っていないと思うようになった。問題はその評価の仕方の方にある。ルールを公開することよりも,評価の方法を見直すことの方が大切だと思うのだ。
何年か前に見たテレビ番組で,小学校の美術の授業の様子が紹介されていた。「葉っぱの貼り絵で動物を描く」という課題が出されていた。あるクラスでは「自由にやりなさい」とだけ言ってやらせたところ,作品のバリエーションは多くなった。猫の足の裏の肉球をクロースアップしたものや,様々なポーズがあり,その他描かれる動物の種類も多かった。一方,別のクラスでは先生が最初に例を見せた。それは先生が作った作品例で,猫が歩いているのを横から見たものだった。すると,子どもたちのほとんどの作品は,多少形は違えど同じポーズの猫の姿になった。これを見て,先生は「例を先に見せるかどうかはよく考えなければならないと思いました」と言っていた。先生としては,もともと例を与えるとどうなるかを意図的に企画したのではなく,結果的にそうなってしまったという発言だった (取材の企画が途中で変更されたのかも知れない。そのあたりは記憶も曖昧)。
「自由にやりなさい」と言われたクラスでは,「子どもの視線の多様さ」が際立っていた。先生の例が与えられたクラスでは,作品としては仕上がっているが,画一的で,面白みに欠けていた。
ここで私が言いたいのは,先生が例をあげることが,子どもに「隠蔽されたルール」を教えることになり,それが子どもたちの発想を制限することにつながったということである。子どもたちの意識が,作品を作ることよりも,点数を取ることに移ってしまった結果である。しかし,点数を取るための美術の授業など,美術としての意味はほとんどない。子どもとしては点数がいいことを望むかも知れないが,大人が期待するのは美術の点数がいいことではないからだ。
子どもの作品には,大人にとっての驚きがある。大人が子どもに期待するのは,その子どもの独自の視点を,自ら表現できるようにし,伸ばすことだろう。親が想像できるような発想の子どもを育ててどうするのだ。むしろ予想外のことをして大人をビックリさせて欲しいはずである。
読書感想文についても同様である。個人の考えを表現する力をつけさせることが大切なのである。個人個人の考えは,大人たちが作り上げてきた社会通念を打ち砕いて行ける力につながるからだ。
読書感想文のような自由課題も、たとえば「団体戦」ルールを導入してほしい。子供への評価は従来どおり、その代わり、クラスで獲得した点数で「団体戦」を行って、担任の先生を全国ランキングしたら、もう「自由に好きなことを書きなさい」と教える先生はいなくなる。それが「教育的」なのかどうかは別問題だけれど、読書感想文が嫌いな子供は、むしろ減るんじゃないかと思う。
私はこれにも反対である。読書感想文は,個人的な感想を書くものであるから「団体戦」は意味がない。「ウケる感想文」というのであれば「団体戦」の意味もあるだろう。しかしそれはもはや「感想文」ではない。個人には感想があるが,団体としての感想に意味があるのかがもはや不明だからである。
私はそれよりも,子どもへの評価を変えるべきだと思う。「こんなこと書いちゃダメじゃないかな」という気持ちを起こさせるから文章が1つも書けなくなるのであって,「自由に書きなさい」が「本当に何を書いてもいい」を意味するのであれば,安心して自由に書くことができる。「自由に書いた」感想文にも評価が与えられれば,子どもは怖がらなくなる。
私が嫌悪する,当時はほとんど書けなかった読書感想文も,原稿用紙に書く文字の量を増やすことに力を注ぐのではなく,自分の考えのどこに注目すればよいかや,その説明の仕方をどうするかに力を注げば,もっとよく書けるようになったのにと思う。さらに,その際には「書いてはいけないということはない」や,「いったん書いてしまって,ダメだと思えば書き直せばいい」ということを教えてくれれば,自分にかけている心理的なストッパーを外れて,安心して書けるようになったのではないかと思う。評価がストッパーの原因なのだ。
どのように評価すればいいのか,そこは考えどころだけれど,不安を取り除くことで,たぶん子供は半歩だけ前に進める。
Posted by n at 2011-01-31 22:33 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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