目的は何かとか目標はどうだとか言いすぎ。全てにそういうことを求めるから,見失ったときに困ることになるのだ。
最近特に耳にするようになった「目的は何か? 目標は何か?」。うるさいくらいである。そんなに目的が必要なのかと疑問に思う。
恐らく,これは人の考えが多様化した結果,必要になったことなのだろう。色々な人が集まって何かをやるとき「目的は何か?」という問いかけをすることによって,力を出す方向を明確にしていくのだ。それぞれの人がバラバラな方向に力を出したら,成果が何も得られない。方向が決まったら「目標は何か?」と,到達すべき地点を示す。これにより,どれくらいの力を出せばいいのかの見積もりが出せる。
もうひとつは,「目的と目標」は短期的にはうまく機能するということがあるからだろう。何人かが集まれるのは短い期間に限られる。短い期間であれば,個人の考え方の違いを無視しても,それよりも大きい成果が得られることが多いので,何とかなるのだ。
個人に対しても,だいたいはこの「目標と目的」を持つと成果が出る。人間ひとりの周りには色々なことが起こっていて,すべてに対処していると「忙しい割には何もできていない」ことになりかねないからだ。目標を決めることで,「やった方がいいかも知れないけど,やらなくても何とかなる」という作業を切り捨てやすくなる。力を集中できれば,何がしかの成果が出てくるものなのだ。
しかし,個人の人生という長期にわたるものにおいては,決まった目標がない方がいいと思うのだ。自分の内なる何かを信じてやるのはいいことだが,それを明確な言葉として表現する必要はないという意味である。言葉にしてしまうと,ものごとの一面しか見えなくなってしまうという危険性があるのだ。明確なのは分かりやすくていいように思える。特に上手くいっているときは。しかし,上手くいかなくなったとき,単純明快な目標であればあるほどそれはマイナスに働いてしまう。
最近のトレンドではないかも知れないが,「仕事一筋」の人生だったとしよう。目的は「仕事」である。仕事で成果をあげ,会社に貢献した。しかし,退職したらどうだろうか。目的が消えたときに燃え尽きないでいられるだろうか。リストラにあう場合もあるだろう。そのときでもまだ生きる気力を保っていられるだろうか。
「金持ちになる」「大学入試に合格する」「TOEIC で高得点 (笑)←自分の今」。明確な目的や目標は力を注ぎやすい。しかしその反面,目標がなくなったときに困ったことが起こる。達成できないことが分かったときの落胆はひどいものだろうし,達成できてしまったときも危ない。
目的と目標は,面倒なことややりたくないことに対抗する手段として使うと効果的である。だからって,みんなそんなにやりたくないことが多いのかよ (多いけどね)。
個人の目標は短期的なものだけにとどめるべきだ。その場合は,目標は明確な方がいい。長期的で漠然とした目標にも意味はない。「人生の成功者になること」は意味が分からない。
「自分は何のために生きているのだろうか」と考えながら,「それでも生きている」くらいがちょうといいのである。
さて,ここまで書いてきて何だが,実は,私の自宅での時間の大部分が子どもとの付き合いに費やされている。それもあって,人生の目的が「子育て」にシフトしつつあり,このままだと子が巣立って行った後に,燃え尽き真っ白になることが容易に予想されるという危機的状況にあるのだ。その不安を逆に表現したのが上の主張だったのである。分かりにくかったでしょwww。
Posted by n at 2012-02-10 03:38 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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