小学校の算数の文章問題で,「6×4 はバツで 4×6 はマルにされたんだけど,これはオカシイ!」というような話をたびたび目にする。その先生は間違っていない。算数のかけ算には順番がある。
タイトルの「算数のかけ算には順番があるよ」は,実は少し言いすぎである。すべてのかけ算に順番があるわけではないからだ。この記事で主張したいことをもう少し詳しく書くと次のようになる。
「算数」と「文章問題」であるという点が重要である。
問題: 「子供が6人います。みかんを4個ずつあげるには,いくついるでしょう」
ある子供の答: 6×4=24 答24個
先生の採点: 式は×,答えは○
親の抗議: 6×4 も,4×6 も,交換法則で同じというのは,いまは習わないでも,そのうちに習う真理じゃないか,真理を×にするとはナニゴトゾ。それに,1人に1個ずつ配れば,6人に配るのに6個いる,だから 6×4 もエエじゃないか,この式の方も○にせえ。森毅「数の現象学」(ちくま学芸文庫) p. 066 から一部改変
「もう信じらんない!」と言い張って抗議する親はモンスターペアレント (ってかモンペ) になること必至なので,それを何とか防ぎたいというのが,この記事を書いている私の思いである。
「かけ算に順番なんてない!」という主張だけして一歩も譲らない人は,「人が息をするごとく自然に正しい順番でできてしまう人」か「数学大嫌い」か「教える対象が小学生だということを分かっていない」かである。
念には念を入れて,最初にブログ筆者のスタンスを明確にしておくと,スカラー同士の積としては 6×4=4×6 であることは,十分承知している。つまり,かけ算の順番が交換可能なことは知っている (一見すると主張に矛盾?)。その上で,なおも以下のように順番が大切だと言いたいということなのである。
次の見解は,数学者の森毅{もり・つよし}氏 (森毅 - Wikipedia) によるものである。
じつは,少しも「掛け算の意味」を教えていなかったところが学校側の問題なのだが,親の方もいくらかヘンなところはある。この,4×6とか6×4とかいった順序は,日本とヨーロッパでは違う。日本は「4の6倍」式に4×6と書くが,ヨーロッパでは「6倍の4」式に6×4と書く。これは左側通行か右側通行みたいなもので,言語習慣から来ている。ただし,日本式の方が合理的というのが世界の相場だが,一方ではヨーロッパ式の方がすでに流通しまっている。まあ,これはヤクソクには違いない。足すを+と書き,掛けるを×と書くようなのもヤクソクで,これを勝手に変えたら混乱してしまう。
森毅「数の現象学」(ちくま学芸文庫) p. 067
森毅氏は,この本「数の現象学」の「次元を異にする3種の乗法」という節の中でこの問題を取り上げている。乗法には,かける数とかけられる数の次元に基づけば3種類に分類できる。その次元の「意味」を考えて,習慣としてのヤクソクの関連に着目するのが正解だろうというのが氏の見解である。この本にはかけ算の式がいくつも出てくるが,森毅はかなり気をつかって書いていて,すべての式が「日本式」の順番になっている。
「ヤクソク」が,何度見ても「ヤケクソ」に見えてしまうのが難点だが,この記事で主張したいことは,実は上の見解でほぼ言い尽くされてしまっている。つまり,「ヤクソク」は「破る」のではなく「守る」のが正解ということである。ただし,森毅氏は,ヤクソクについては深く立ち入っていない。この記事では,教育的な効果という面と,目に見える形になっているヤクソクについて触れていきたい。
同じ内容の話題がいくつもいくつもいくつもいくつも議論されている。すべてを追いかけるのはムリ。
一番下のリンク先に,この問題に関する情報がまとめられている。ただし,この記事の内容と真っ向から対立する主張で書かれており,まことに残念である。
この論争についての本も出版されているようだ (高橋 誠「かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)」)。内容をチェックしていないので,そのうちに。
あまり興味がないかも知れないが,このブログはどこの馬の骨とも分からぬ者が書いているので,ある程度はその馬の骨の情報も必要だろうと思う。私が小学生だったのは,今から40年ほど前になるが,そのころも「かけ算には順番があるよ」と教えられた。このことは,高校生になって物理を学ぶときにとても役に立った。私は大学で数学を専門に学ぶことになるのだが,小学生の頃は,「しろく24」はすぐに出るのに「ろくし」と言われると分からなくなってしまうという,九九が苦手な子供だったことを付け加えておく (そして今でも「6×8」はできても「8×6」はできないので,「8×6」を見たら心の中で「ろくは」とこっそり叫ぶ)。つまりこれは,かけ算の順番を教えられても,算数嫌いにはならず,むしろ好きになったというひとつの事例でもある。
さて「かけ算の順番」という表現だが,「順序」というと,数学の世界では特別な意味を持つので (順序数 - Wikipedia),ここではベタに「順番」という表現を使うことにする。「×」記号も,ベクトルの外積の意味で使われるのでちょっとアレだが,これはそのまま「かける」の意味で使うことにする。
この「子供が6人います。みかんを4個ずつあげるには,いくついるでしょう」という文章問題のねらいは,単に文章から数字を読み取ってかけ合わせるということだけではない。数字だけではなく意味も読み取れるかを聞いているのである。
このテストが出されているとき,授業でかけ算をやっていることは,子どもたちも当然認識している。しかし,子どもたちの中には,「今やっているのはかけ算なんだから,数字が出てきた順にかければいいや」と思っているのがいる。そういう子は,もし問題文が「みかんを4個ずつ,6人の子供にあげるには,いくついるでしょう」だったら「4×6=24」と書くだろう。これは好ましいことではない。何と何をかけているのかを認識させるのがねらいなのである。
前置きが長くなったが,本題はもっと長いので (笑),気にせずゴーゴー! 以下では図を入れながら説明していくので,いくらかは読みやすいのではないかと思う (クリックで拡大)。
かけ算の順番は,言語に依存する。日本語では「みかんを4個ずつ6人に」「みかんを6人に4個ずつ」のどちらでも言うことができるが,「4の6倍」と言うのはこれしか言い方がないので「4×6」と書く。日本においてはこれが正しい順番である。
英語では,「six times four」と言うので「6倍の4」の意味で「6×4」と書く (6 times 4)。アメリカでも,この順番に書かないとバツをもらうそうだ (東海林さだおがいいなぁ 掛け算の順序の話 7/17/09追記あり)。ニュージーランドやインドも英語で教えるので,アメリカと同じである (リヴァイアさん、日々のわざ: 「かけ算の順序」の問題について。ニュージーランドの算数教科書を見ながら……(目下、現場の先生のコメントくださいモード))。
かけ算の順番は,上で述べたように言語に依存した,その国ごとに固有のローカルルールに基づいている。日本式は欧米式と逆の順番になっているが,日本式ならではの利点もある。「何個×数=何個」という順番は,次に習うわり算の「何個÷数=何個」と同じ順番になる。つまり,かけ算もわり算も,求めたいのが「個数」だったら,最初に「個数」を持ってくればいいということになり,覚えやすいのである。
意味を認識することが,かけ算でもわり算でも大切だが,もしかするとしっかりと分からない子どももいるかも知れない。しかし,その時でも『求めたいのが「個数」だったら,最初に「個数」持ってくればいい』という「型」を覚えておくだけで,かなりの数の子どもたちが救われるのである。
欧米式の利点は,学習が進んで「×」記号を使わなくなったとき,「×」が入っている計算式の順番と,「×」を省略した計算式の順番が同じになることである。「4×x」から「4x」への移行がスムーズになる。日本式は「x×4」だから,「4x」にするには順番を逆にしなければならない。
日本式も欧米式も,言語表現との対応がある。言語の自然な表現がかけ算の順番になるようになっている。日本語では「4の6倍」と表現するのが自然である。これは,階層がもう一段増えた場合を考えるとよく分かる。「みかんが4個ずつ乗った皿が6枚ずつ,3つのテーブルにある」場合,みかんの全部の個数を計算するなら「4×6×3」が自然だろう。「テーブルが3つあって,その上に…」と始めて「3×6×4」と考えるのは,少なくとも日本語では難しい。
小学校の「算数」は,中学になってから「理科」と「数学」になる。中学の「理科」は高校以降は「物理学」になっていく。「数学」になるだけではないのだ。
小学校の算数の中で,「計算問題」は「数学」につながっていく。「計算問題」では単位は重要でない。「4×6=6×4」である。算数の「文章問題」は「物理学」につながっていく。「文章問題」では単位を考えることが重要である。「4個×6」と「6×4個」では意味が違うのである。「6×4 がバツになる」問題は,物理の問題なのだ。数学だとして,単なる数どうしのかけ算だと考えてはいけない。
「単位をつけて考えれば,順番が逆でもいいのではないか」という議論がある。それは一面で正しいが,問題は,習っていない単位を使っているということなのである。
かけ算を習うとき,知っている単位は「人」「個」「皿」など,それ以上分解できないものだけである。「単位をつけて考えればいい」のときに出てくる単位は「一人あたりの個数」である。「個/人」という単位が正確に分かるのは,単位の中に出てくる「/」の記号が示すとおり,わり算の概念を理解した後なのである。
したがって,かけ算を習う段階では,「/」が入った単位を使う代わりに,順番を使うことになるのだ。だから順番を守ることが大切になる。
6人にみかんをあげるとき,トランプを配るときのように,「1個ずつ6枚の皿に配る。これを4回繰り返す」という方法がある。ここでわざわざ皿を持ちだしたのは,「人」だと誤解が生じるからなのだ。「1個ずつ6人に配る。これを4回繰り返す」だと,配られたみかんは「1人に1個」のように読めてしまうのだ。「1人に1個ずつ配るのに,1人に4個なのか」という別の文句が出そうだからである。
さて,問題文がきちんと認識できたと仮定して立式してみることにする。ひとつには式は「6×4」になるという考え方がある。単位をつけるなら,森毅の指摘しているように「6[個/回]×4[回]=24[個]」である。ここでは,もとの「4[個/人]×6[人]=24[個]」の単位から「人」が「回」に転換されていることに注意する。単にかけ算の順番が変わっただけでなく,単位も変わっている。これなら順番的に見ても正しい立式だと言えるだろう。
しかし,もう一歩踏み込んで考えてみれば,「1回に1個ずつ」渡していくのだから,正確には「1[個/回]×6[皿]」が基本となるはずで,これが4回繰り返されるのだから「(1[個/回]×6[皿])×4[回/皿]」になる。括弧の中を先に計算すると「6[個・皿/回]×4[回/皿]」となり,単位としてかなり変態的である。最終的に「個」になるにしても,途中の[個・皿/回]はとても難しい。
欧米式のトランプ配りについては,表現がどうなるのか分からないので省略 (瀑)。
振り返って,子どもの手が小さくてみかんを1個しか持てないのであれば,もとの問題も同じように考えることができる。つまり「1回に一個ずつ,1枚のさらに4個ずつ乗せて,それを6枚の皿に対して繰り返す」である。この場合は皿を持ちださなくても誤解なく伝わる。すなわち「1回につき1個ずつ,それを1人に4回ずつ,6人に配る」でもよい。この場合の立式は「(1[個/回]×4[回/人])×6[人]」となるから,括弧の中を先に計算すれば「4[個/人]×6[人]」となって,もともとの計算式と同じになる。途中に出てくる単位は変態的にならない自然さがあり,理解しやすいという利点がある。
さて,上では,小学生に対する教育的な面から,かけ算の順番が大切であることを述べてきた。しかし,これだけでは「小学校だけのローカルルールに意味があんのかよ」的な議論が起こる可能性がある。ところが,実は,教員や研究者までもかけ算の順番を守ることを強いられているのである。
例えば,ニュートンの運動方程式である。F を力,m を質量,a を加速度とすれば,運動方程式は F=ma である。これを F=am と書いてはいけないのである。学生は自分のノートに F=am と書くかも知れないが,そう書いてある教科書は世界に1冊もない。こだわりをもって「ma=F」と書いてある書籍は存在する (例えば 山本義隆「新・物理入門 (駿台受験シリーズ)」 (隠れて物理を勉強する - hiroyukikojimaの日記 参照))。しかし,積の順番を逆に「am」と書いてある本はないのである。
こういう例は物理学の本や工学系の本では山ほどあって,インダクタンス L のコイルのインピーダンスは,j を虚数単位,ωを正弦波の角速度とすれば「jωL」であって「jLω」とは書かれない。手書きで「ωLj」などと書こうものなら,「j」は「L の添字」と認識されるくらいである。
かけ算の順番はどこまでもつきまとうのだ。
この物理学の積の順番が何に基づいているのかについて,いろいろ探してみたのだが見つからなかった。一番有力なのは,「単位に合わせる」である。物理には基本単位と組立単位があって (物理単位 - Wikipedia),組立単位は基本単位の組み合わせで表現される。例えば組立単位である N (ニュートン) は,基本単位を使って kg m/s2 で表現される。kg は質量の単位,m/s2 は加速度の単位だから,「ma」の順番と同じになるのである。しかし,もう一歩踏み込んで調べてみたところ,最新の SI 単位系では「m kg s-2」が正式ということになっている (計量標準総合センター:国際単位系(SI))。依るところがなくなってしまった。
どうやら,物理学,工学における積の順番は「慣習」による,ということのようなのだ。
世の中には様々な考え方があるので,このかけ算の順番に関する議論は,程度問題でもある。例えば,上の図のように,「ぼくにはこう見えた」と言って「3×8=24」と書いてくる子どももいるかも知れない。自分が教師だったら,これに○をするのか×にするのか。「そりゃ×だよ」といって×にするのか,それとも「それは新しい見かただ」といって○にするのか。
いずれにしても,議論されるのはいいことだと思う。「かけ算の順序」のダブスタ考 - わだいのたけひこのざっき には色々な考え方に関するまとめがある。
式に「×」をするのはやりすぎだという見方もあるだろう。「△」をつけて部分点をあげるとか,「○」でコメントをするという方法もある。しかし「△」や「○」では,「どうして?」と疑問を持たずに華麗にスルーしてしまうのではないだろうか。この記事を,タイトルに釣りの要素を入れなければ誰も読まないのと同じである (笑)。
長々と述べてきたが,以上をひとことで言い表せば「かけ算そのものに順番はないが,かけ算の書式に順番はある」である。順番を守ることは,小学校の算数でかけ算を習うところから,高等教育で「物理学」,はては理工系の論文にいたるまでとても大切なことなのである。
2012年2月23日追記:
みなさまコメントありがとうございました。記事の中では「かけ算の順番を守ることを強いられている」とネガティブに書きましたが,実際に式を書く人は,順番ということを,論旨を明確にするためにむしろ積極的に利用していると思います。慣例と違う順番で書かれた式を見た場合,読者はそこに式を書いた人の意図を読み取ろうとするからです。その点で,ゴルゴ・サーディーンのコメントの「(なんならam=Fと書いても)自由である」は明快です。「m と a の順番を逆に書いても自由」という主張と「am=F」という式がマッチしているからです。逆に言えば,慣例と違った書き方は読者を緊張させますから,式に主張が伴わない場合,読者は残念な気持ちになる可能性があるということも言えるのではないでしょうか。
2012年7月17日追記:
議論がすれ違う原因について書きました (nlog(n): かけ算の順序論争その対立の構造)。
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「わだいのたけひこのざっき」の中の人です.リンクとトラックバック,ありがとうございます.
Webや本を読まれて,記事にされる際に冗長さを避けるために落としたのかもしれませんが,思ったことをいくつか書かせてください.
1. 2年でかけ算を学習する段階でも,「6×4=24」と「4×6=24」がともに正解となるような場面や出題があります.教育者向けには「アレイ図」として教材化され,数学としてはデカルト積(それと,数学教育の現代化運動)が背景にあります.http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20111125/1322171246 http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20111013/1318452890 で出題例を紹介しています.
2. 「わり算の「何個÷数=何個」」について,この形の式は「等分除」と呼ばれます.それと別に,「12個のあめを1人に3個ずつ分ける」ようなときのわり算は,被序数も除数も「個」になります.「包含除」と呼ばれます.学習指導要領解説には,等分除と包含除がともに出てきます.したがって,どちらの場面でも,わり算で表せることを,子どもたちは学習します.どのように(どちらを先に)教えるべきかについて,教師や研究者による議論もありますが,知る限り,結論はなさそうです(学習指導要領解説も,教える者の創意工夫を期待しているように読めます).
3. トランプ配りの検討の中で出てくる「6[個・皿/回]×4[回/皿]」について,http://ameblo.jp/metameta7/entry-10746602619.html には「3km/(km/時)×4km/時」「4個/人×6人=6個/(個/人)×4個/人」といった式が出てきます.『かけ算には順序があるのか』にも同じことが書かれています.個人的には,それらの“式”が子ども向け(教育的)でないのに加えて,助数詞のパー書きを含む,数学教育協議会主導の量の理論のもとで,「6[個・皿/回]」や「6個/(個/人)」をどんな“量”として捉ればよいのか,見通しがないのもまた,問題であるように感じています.(それと比較すると,途中に書かれている「4×6×3」という式について,その場面で「4×6」「6×3」がそれぞれ何を意味するのかを知る(子どもたちに発見させる)のは容易で,これは乗法の結合法則の理解に役立つのですが.)
4. トランプ配りは,等分除を理解するための方法として,国内外の書籍で見ることができます.トランプ配りの乗法への適用を最初に試みたのは,遠山啓(1972年)です.2009年に7巻に分けて出された『遠山啓エッセンス』に,その記事が載っていないのが残念です.
Posted by: t.m at February 19, 2012 04:39はじめて書き込みさせていただきます。
「飛んで火に入る夏の虫」と言うべき、“非順序派”の者です。
非順序派の言い分も、かなり理解された上でなお順序主義の利
を説いているものとお見受けします。
1点のみ、事実を指摘させていただきます。
>積の順番を逆に「am」と書いてある本はないのである。
とのことですが、これから出現します。
https://twitter.com/#!/irobutsu/statuses/159821202817421312
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at February 19, 2012 23:07>今書いている力学の教科書には
(途中省略)
>(なんならam=Fと書いても)自由である
> ■物理学で役に立つ積の順番
だそうですが、何の役に立っているのですか?
貴殿のお話だと 「強いられている」 だけのようですが…
それなのになぜ、
> 順番を守ることは,小学校の算数でかけ算を習うところから,高等教育で「物理学」,はては理工系の論文にいたるまでとても大切なことなのである。
という結論になるのでしょうか?
「順序数」だの「ベクトル積」だの「高尚なお話」をご存知のようで、まさにこれは貴殿の優秀性と偉大性を証明するものであり、貴殿の賢明さは特筆大書に値すると存じます。
このような優秀にして偉大かつ賢明な貴殿が、「強いられている」と「役に立つ」の区別もつかないとはなんとも不可解です。
Posted by: 鰹節猫吉 at February 20, 2012 00:28t.m さん
記事に抜けていることをまとめてくださった感じです。ありがとうございました。
ゴルゴ・サーディーン さん
>>積の順番を逆に「am」と書いてある本はないのである。
>とのことですが、これから出現します。
それはもしかすると世界初だったりするでしょうか。
鰹節猫吉 さん
Posted by: n at February 20, 2012 02:51「ヤクソクごとがある→ヤクソクを守ることは大切 (たとえ強いられているとしても)」
という主張です。
>それはもしかすると世界初だったりするでしょうか。
わかりません。
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at February 20, 2012 22:26私は、
「その本が発売されれば、その日から『積の順番を逆に
「am」と書いてある本はないのである。』
という命題は偽の命題となる。」
という事以外は、何も申しておりません。
ゴルゴ・サーディーン さん
Posted by: n at February 21, 2012 08:25その本が出版された後にも命題が真であることを保とうとするなら,
「何の注釈もなく,積の順番を逆に「am」と書いてある本はないのである」
と書かざるをえないということになりますか。
教科書に書いてないからといって、F=amと書いてはいけないなんて言ったら、物理屋さんに爆笑されます。
定義式や公式をある形に統一して書くのは、単なる著者の気遣いです。他でも見るだろうから、気g付きやすいように、と。
そして、使う時は使いやすいようにどんどん書き換えろ、が常識なわけです。
しかも、F=maをF−ma=0に書き直して、「あっ!」と気が付いてできたのが解析力学と言っても過言ではありません。
それ以来、式の形を変えてみて何か新しい考え方が出てこないか、言い換えれば、式の形に思考が縛られてしまっていないか、確かめるのは定石とすら言えるほどになっています。
教科書に書いてあることを理解するのは基本です。しかし、それを踏まえて自由自在に物事を紡ぎだせないなら、単なる模倣者です。学習者ではありません。
門前の小僧が習わぬ経を読んでも、その教えるところを使いこなせなければ、ただの九官鳥と変わらない。そういうことです。
Posted by: K.K at February 21, 2012 14:39K.K さん
Posted by: n at February 23, 2012 01:08F−ma=0 はいいと思います。
新しい考え方などを際立たせるために,それ以外の部分はできるだけ慣習にしたがった書き方をしているのだと思います。順番が自由だからといって,いたずらに変えたりするのは得策ではないということなのではないでしょうか。
僕はこの問題を「数学化サイクル」という視点で考える必要があると思います
数学化サイクルを使いこなすことはPISAが採用している「学力」です
別言すれば「様々な場面や状況 において、数学を用いて問題を設定し定式化し解決し問 題の解を解釈する能力」です
?現実性に根ざした問題から始める
?数学的概念によってその問題を組織し問題に関連する数学を同定する
?仮定をおいたり一般化・形式化したりする過程を通して徐々に問題の現実性を取り除いていく
このことによって状況の数学的特徴づけが進み現実世界の問題を状況を忠実に表現する数学の問題に変換する
?数学の問題を解決する
?現実的状況からみて数学的な解の限界を特定することを含めその解の意味を考える
?〜?が文章題の立式にあたります
OECD(PISA)でも立式と計算はわけて考えています
具体的に算数レベルで考えると
?結婚式のご祝儀の総額を求めるという現実問題で
3万円が3人、5万円が2人……という状況を
?かけ算とたし算でモデル化すると
?30000×3+50000×2+… とできます
これを
30000×3+2×50000+… としても誤りではないがモデルとしては使いにくい
?こうしてできたモデルを実際に計算して総額を求める
?実際に手元にあるご祝儀の金額と計算結果を比べて違っていれば
どこに誤りがあるのかを再検討します
その際に50000×2を50000×3とすれば合うようであれば
5万円くれそうな人の封筒を確認するなどして修正が可能です
(もちろん最初に封筒を確認してもよいですが)
今求められている学力は
この数学化サイクルを使いこなし数理モデルを作ることのできる能力です
他人にわかりやすいモデルを作ることも必要とされています
それに異論があったとしても
日本をはじめOECD加盟国がこの学力を採用してしまっています
参考
Posted by: wadada at February 23, 2012 17:49http://www.kyoto-kyoiku.com/hiroba2/hiroba143/hiroba143matusita.htm
http://www.gakuto.co.jp/kouhou/high_sugaku/pdf/sug185-02a.pdf
http://www.p.u-tokyo.ac.jp/sokutei/pdf/200508/shikata.pdf
?はそれぞれの段落で1から5の数字が順番に入ります
Posted by: wadada at February 23, 2012 17:54文章題の立式となるは1〜3です
>と書かざるをえないということになりますか。
その様に修正すれば、その命題自体は正しいということであり続ける
でしょうけれど、では、その後につづく
「かけ算の順番はどこまでもつきまとうのだ。」
という事への繋がりが無くなってしまうのではありませんか?
注釈を付ければ逆も可、なのですから。
○ ○ ○ そ れ は と も か く ○ ○ ○
こういうサイトがあります。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/rainbow-room/physicsE2.htm
運動量の式は、多くの教科書では p=mv であるわけですが、その
サイトでは p=vm としています。
これは「順序はどちらでも良い」という立場からの物ではなくて、内
包量・外延量という言葉を使う、順序主義のもうひとつの流儀による物
です。内包量・外延量という考え方は、小学生むけの題材の範囲では
「ひとつ分×いくつ分」という考え方と二人三脚のように使われる理論
です。
一方に
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at February 23, 2012 22:13「慣習にしたがうべき」
という人がいて、もう一方には
「掛け算の順序の理論によると、慣習とは逆が正しい場合がある」
という人がいるわけです。
もし私が純真な高校生だったら、
「いったいどっちが正しいんだあぁぁぁぁっ!!!?」
と叫ぶでしょうね。
nさん>順番が自由だからといって,いたずらに変えたりするのは得策ではないということなのではないでしょうか。
そう書いてあるのに読めていない。
K.K>定義式や公式をある形に統一して書くのは、単なる著者の気遣いです。他でも見るだろうから、気g付きやすいように、と。
短い文章なんだから、ちゃんと読んでもらいたいものです。読めない、ということなら読めるようになってから、ネットで書き込みをするべきでしょうね。
wadadaさん>結婚式のご祝儀の総額を求めるという現実問題で3万円が3人、5万円が2人……という状況を
wadadaさん>かけ算とたし算でモデル化すると?30000×3+50000×2+… とできます
wadadaさん>これを30000×3+2×50000+… としても誤りではないがモデルとしては使いにくい
設問を適切にできない数学しか考えない特徴が如実に表れています。
子どもは、どちらの式を見ても、こう言うでしょうね。
「誰が幾らくれたのかが、まず一番大切じゃないの?」
今の子どもなら、こう付け加えるでしょう。
「それをエクセルでやれば、お金の合計も、金額順で並べ替えるのも、なんでもできるのに。どうして、ノートに掛け算と足し算の式を書いちゃうの?」
数学自体の抽象世界を突き進んで究めたいという学問意欲はさておき、現実に使う数学としては、現実世界を数学モデルに置き換える能力が必要です。
それには、定義・原理(これ自体は役に立たないことが多いけど)、定理、公式をどのように組み合わせると現実世界を表せるか、もっと言えば、現実世界から欲しい情報を表すモノを切り出して抽象化できるか。それが大事です。
そのためには、定理、公式が自由自在に変形できなければなりません。教科書に書いてある通りに現実は存在してくれません。現実は数学モデルから作られたものではなく、まさにあるがままにあるだけの世界です。こちらの都合通りに変わってはくれない。
ならば、人間が現実世界に歩み寄るしかない。頭の中の数学モデル世界、その道具を現実に合うように変形し、いくつも組み合わせて行きながら。
ニュートンが現実に対して出した式。いくつもあるうちでも有名な、F=ma。負けず劣らず大事な重力式、F=GMm/r^2。
この二つを見て、あっと驚かないなら物理のセンスに欠けている。二つに出てくる質量m。m=に書き直せばはっきりするけど、前者の式は物を加速するときの動かしにくさ、後者は地表での重さを表している。
つまり、質量の「定義」あるいは「原理」として二つある。前者は慣性質量と呼ばれ、後者は重力質量と呼ばれる。この二つのmは同じかどうか。
物理学では、その根本を問うほどの重大問題でした。そして、研究者が一生を賭けたと言っていいくらいの努力の末、その二つに差異は認められないという結論に至ることができた。
その礎が無かったら、ニュートン力学を書き換える(覆す、ではない)相対論は出て来ようがなかった。相対論が出てこなかったら、たとえ量子力学があっても、物理学は低レベルで止まってしまっていた。F=で眺めていたら気が付かなかった。m=で眺めたからこそ、物理学は現在のレベルまで来た。当然、関連する科学技術も全て同じ。
式を自由自在に書けるというのは、それほど重要だと言うことです。
wadadaさん>それに異論があったとしても日本をはじめOECD加盟国がこの学力を採用してしまっています
馬鹿げた議論です。どうして採用されて、それにどういう妥当性があるか述べられない。既成事実を権威化して振りかざす。こういう自分の頭を使わない受け売り的なことは止めないと、本当に思考停止に安住してしまう。自分にとって危険な行為であることは自覚した方がいい。
ゴルゴ・サーディーンさん↓>
>「慣習にしたがうべき」
>「掛け算の順序の理論によると、慣習とは逆が正しい場合がある」
>「いったいどっちが正しいんだあぁぁぁぁっ!!!?」
あはは、どっちも間違いです。もし教条主義的にどちらかだと決めたいのであれば、それも間違い。
物事を数学で解きたいなら、解けるように、解きやすいように、間違いにくいように、自由自在に使えばいいんですよ。
現代の数学を作ってくれた人々、今もその先を求めて数学を研究している人々、みんなそう思っていますよ。
せっかくの成果は、自由自在に使いこなして欲しい、と。
それが数学の威力だ、と。慣習とか、そんな邪魔っけなことを言った覚えはない、と。
そして、その数学をいろいろ実地に使っている人々も言うでしょう。
その通り、数学は純粋に抽象化されて、何事からも自由だからこそ、何事にも使えるんだ、と。
Posted by: K.K at February 24, 2012 08:28掛け算順序とか、入門の方便は方便と割り切って、慣れたら取っ払ってくれ、と。
そういう邪魔なローカルルールにずっとこだわりたいなら、一人でやってくれ、と。
物理学にない外延量とか内包量とか喚いて、我々の邪魔をするんじゃない、と。
K.K様
>馬鹿げた議論です。どうして採用されて、それにどういう妥当性があるか述べられない。
例えば「日本は学習指導要領をもとに授業をしています」「その視点で議論しましょう」と言うには
学習指導要領の妥当性を説明する必要があるのか
そのように言うことは「既成事実を権威化して振りかざす」ことになるのか
言われた意味が理解できません
僕としては議論の視点として「数学化サイクル」を提案しただけです
あなたの場合は
わずかでも順序擁護に繋がりそうな意見は徹底的に批判しているだけようにも思えます
なぜ採用されたかについては次の資料をご参照ください
それでも不足でしたら資料の参考文献をご参照ください
http://www.pisa.oecd.org/dataoecd/13/57/39116722.pdf
http://www.cret.or.jp/j/report/070821_YoshinoriShimizu_Report.pdf
http://www.intweb.co.jp/teian/PISAtoha.htm
問題例が適切でないという指摘は
「1皿に3個のりんごがあります。5皿ではいくつですか」という問題に
「数えればいいじゃん」と答える子どもがいるから問題は不適切だと言っているように思えます
子どもの反論に対して期待したいのは別の適切なモデルをつくることです
大人になってからこうしたモデルを使いこなすためにも
小学校の低学年段階から素朴なモデルを立てる練習が必要となります
ご祝儀の例は中学年程度でできるモデルの例です
ちなみ小学校の児童を想定していますので
「エクセル」などと言う言葉もほとんど出ないと思います
以上「数学化サイクル」という視点の議論を提案して
Posted by: wadada at February 24, 2012 18:25以降コメントは控えます
>正確には「1[個/回]×6[皿]」が基本となるはずで,これが4回繰り返されるのだから「(1[個/回]×6[皿])×4[回/皿]」になる。
Posted by: nemo at February 24, 2012 19:56トランプ配りでよく出てくる批判の1つだけど、いろいろ間違っていて勘弁してほしい。
正確には「1[個/皿]×6[皿/巡]」が基本である。これを4回繰り返して「(1[個/皿]×6[皿/巡])×4[巡]」になるのだ。
勝手な単位を作られては困るし、それを基に批判されたらもっと困る。
わら人形論法やめてほしいね。
wadadaさん:
資料を自分で解釈して論じるのでなければ、権威の受け売りにしか過ぎない。
誰それがこう言ってるから、こういう調査例があるから、そんなものは主張にも意見にもならない。
>学習指導要領の妥当性を説明する必要があるのか
あるに決まっている。お上が言えば全て正しいのか? そんなことはない。誰も、それが間違いないと検証はしていない。
はっきり言えば、後述する間違いがある、
仮にそれが正しいとしても、おおまかな方針を具体化するときに、解釈の差異が生じる。
その証拠が、教科書指導書にある。指導要領が述べていない掛け算順序に固執している。
掛け算順序固執の結果生じる、割り算の等分除、等含除もある。掛け算順序を固執するから、割り算にそんな相違が生じてしまう。
今はネットを中心に、こういう話題が広がっている。ネット前に70年代に既に新聞で取り上げられ、議論が起こったことも事実。
それなのに指導要領は、掛け算順序を強制してはならない、掛け算の可換履修(これは明記されている)後に順序について強制してはならない、といった掛け算順序指導について述べていない。
これは、明らかに指導要領が、現実にある問題に対処しようとしないという、重大な過誤であることは明らか。
指導要領が決めたから、権威ある機関が言っているから、そういうことは参考にはなる。
でも決して結論にはならない。論理だけで突き詰めて結論を得られるものではないのだから。
明治時代の洋算(算術)の教科書、そこからたどれる原書。そこにも既にこの問題が見つかる。私はそうやって、幾つもの視点から、そして時系列にこの問題を調べ、考察し、できるだけ自分としては最善の結論を出そうとしている。
たまたま入手した、ある資料にあるからそうなのだ、というような論法は、思考停止も甚だしく、私はそういうものは唾棄して顧みない。
Posted by: K.K at February 24, 2012 23:17子どもの目線で見てみる。さらに子どもとはどういう存在かも考える。それを多角的な視点から、過去から現状、そして未来への時系列で。
そうでないようなものは、考慮に値しないと考える。猛省を促すことはあるかもしれないが。
K.K様
例えば
日本の政治を議論するのに
「日本は大統領制ではなく議院内閣制だから
議院内閣制の視点で議論したらよいでしょう」
と提案するのに
議院内閣制の妥当性を説明する必要があるのか
それは権威の受け売りか
すでにその制度を採用しているという現実があり
議論の中にその視点が欠けていると指摘するのに
その制度そのものの妥当性の議論が必要か
それは権威の受け売りか
学習指導要領や数学化サイクルが妥当であろうがなかろうが
採用されているのならば議論の視点として取り入れる必要があります
あなたと意見の相違があってもかまいません
これを読んだ方が適切に評価いただけると思います
>指導要領が述べていない掛け算の順序
それは本当ですか
それではなぜ学習指導要領で
小学校4年生で小数×整数の学習をして
小学校5年生で整数・小数×小数の学習を
するようになっているのですか
あなたには議論のための基礎的な知識が欠けているように感じています
これで本当にコメントを控えます
Posted by: wadada at February 25, 2012 15:41誰とは言わないが、これを言った人へ。
>日本の政治を議論するのに
>「日本は大統領制ではなく議院内閣制だから議院内閣制の視点で議論したらよいでしょう」
>と提案するのに
>議院内閣制の妥当性を説明する必要があるのかそれは権威の受け売りか
間抜けも、いい加減にしてもらいたい。
アナロジーがないものを持ち出しても何の参考にもならん。
死刑制度に置き換えたらどうなるか考えれば分かるはずだ。
>それではなぜ学習指導要領で小学校4年生で小数×整数の学習をして小学校5年生で整数・小数×小数の学習をするようになっているのですか
掛け算の入門時の話に、当然1から始まる自然数だが、ずっと後の話で、しかも自然数から外れる数での話をしてもしょうがないだろう。
ちなみに、「教える」順序は、小数の計算のやりやすさだけの話だ。
足し算の前に掛け算を教えるような馬鹿なカリキュラムは組まない。
当たり前ではないか。そして小数だろうが分数だろうが、掛け算の可換は変わらない。
たとえば小数×自然数を意図した設問に、自然数×小数と式を書いたとき、マルにすべきなことも変わらない。
当たり前のことも分からない。アナロジーも分からない。分からないだろうね、少しは考えないと。
自分の頭で考えたくないなら、本当に黙っててくれないか。
子どもに何も教えてくれるな。間違いを教えるだけだから。
本当に誰にとっても有害以外の何ものでもない。よく自覚してもらいたい。
Posted by: K.K at February 25, 2012 22:07K.Kさん(February 24, 2012 23:17):
>掛け算順序固執の結果生じる、割り算の等分除、等含除もある。掛け算順序を固執するから、割り算にそんな相違が生じてしまう。
「等分除」「包含除」という名称はともかく,一つのかけ算の式に対して,わり算の式が2種類考えられることは,国際的にも認知されています.
http://www.corestandards.org/assets/CCSSI_Math%20Standards.pdf#page=89
手持ちの他の文献だと,Vegnaud (1983)はfirst-type divisionとsecond-type division,Greer (1992)はpartitive divisionとquotitive division,と記しています.(書誌情報は略しますが,数学教育,その中でも乗法のことに関心のある人なら,この人名と刊行年で,文献は特定されると思います.難しければ,うちのブログでお探しください.)
そのように2種類考えられる(数学教育に携わる国内外の人々が考えている)のは,「掛け算順序固執」ではなく,かけ算の式で書かれる2つの要素,すなわち「被乗数」と「乗数」が,区別されるからです.
K.Kさん(February 25, 2012 22:07):
>>それではなぜ学習指導要領で小学校4年生で小数×整数の学習をして小学校5年生で整数・小数×小数の学習をするようになっているのですか
> 掛け算の入門時の話に、当然1から始まる自然数だが、ずっと後の話で、しかも自然数から外れる数での話をしてもしょうがないだろう。
wadadaさんの質問には,「乗法の意味の拡張」という,「かけ算」についてまともに勉強・調査していたら当然思い浮かぶ(というか,多くの書籍などで書かれている)テクニカルタームが,背景にあります.
wadadaさんが書いた「議論のための基礎的な知識が欠けている」には同感です.
Posted by: t.m at February 25, 2012 22:25「Vegnaud (1983)」は「Vergnaud (1983)」の間違いです.申し訳ありません.
Posted by: t.m at February 25, 2012 22:30私は、「トータルに見た学力」のような話にもって行くことその物に反対です。
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at February 25, 2012 23:16順序主義は、「場合によっては、算数の範囲内のことの筈なのに対処できない事が起こる欠陥理論である」
というのが私の主張です。
算数・数学では、1点でもアナがあるならそれはウソの筈です。
根本的にウソであるものを、全体的なメリットで評価する必要なんかありません。
これを書いた人へ。
>手持ちの他の文献だと,(略)(書誌情報は略しますが,数学教育,その中でも乗法のことに関心のある人なら,この人名と刊行年で,文献は特定されると思います.難しければ,うちのブログでお探しください.)
ある文献にあれば正解だということにならないと分からない。「ほら、ウィキペディアにこう書いてる」と何ら変わらない。
明治期に洋算として輸入した算術、その教科書、その原典と思えるラテン語教科書(ニュートンも使った、とかね)、そういうものも含めて考えてもらいたい。
その時期に教育制度に何があったか。そして戦争と戦後。昭和から平成。何が初等教育に起こってきたのか。
その影響はどうなのか。これについては、つい先日、日本数学会が愚かな調査と分析を発表している。
それはいったい何なのか分かっているのだろうか?
つまり歴史的背景も考えられず、都合のいい文献だけ拾って受け売りしても駄目だということ。
文献を多数、それを横断的に、かつ時系列で、自分で咀嚼して判断しないものは論になっていない。
>そのように2種類考えられる(数学教育に携わる国内外の人々が考えている)のは,「掛け算順序固執」ではなく,かけ算の式で書かれる2つの要素,すなわち「被乗数」と「乗数」が,区別されるからです.
その「数学教育に携わる」人々の閉鎖した腐臭を放つ空気を一掃したいと思っている人間に、その臭いに慣れろと言っても無駄であることぐらい分からないのだろうか?
数学用語にないmultiplicandとmultiplier。英語圏でも、timesとmultiplied byで混乱しているのが分かるはずだ。
スマートな数学関係者は、「どっちがどっち?」の問いに「気にするな」、さらに「どっちもfactorだ」と答えている例も多いことは分かるはずだ、
分かっていて、なぜそれを伏せているのかね? 何の都合が悪いのかね?
>wadadaさんの質問には,「乗法の意味の拡張」という,「かけ算」についてまともに勉強・調査していたら当然思い浮かぶ(というか,多くの書籍などで書かれている)テクニカルタームが,背景にあります.
テクニカルタームなんぞ要らん。
子どもに分かる説明を考えているわけだ。掛け算のやり方のね。
掛け算の順序など気にしなければ、やりやすい順番で掛け算できれば、等分除も等含除もない。
掛け算順序の裏返しを割り算に当てはめたのが、その二つではないか。何をトートロジーで遊んでいるのか?
なぜ子どものためということから離れたがる? そこを外しては駄目だろうが。
空虚な権威らしき虚像に頼って自論さえ通ればいいという人は、子どもに頭を下げて、いったん去れ。有害だ。
そして自分で無作為に資料を検討し、それぞれ賛否を自問自答して、トータルで考えることができたら、この話に帰って来ればいい。
Posted by: K.K at February 25, 2012 23:29K.Kさん。
私は K.Kさんの言っている内容には賛成なんだけれども、
「結論はもう出ている」
式の言い方をすることは、再考してほしいと思っています。
「結論は出ている」というのはあくまで“こちら側”の見方ですから。
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at February 25, 2012 23:43K.K氏
落ち着け。
ちゃんとよく読め。
wadada氏は、学習指導要領が正しいとは一言も言っていないぞ。
OECDについても妥当とか言っていないぞ。
>掛け算の入門時の話に、当然1から始まる自然数だが、ずっと後の話で、しかも自然数から外れる数での話をしてもしょうがないだろう。
いつから掛け算の順序問題が自然数の範囲になったのだ。勝手に決めるなよな。
むしろ交換法則を学習した後、それから小数まで拡張したときに順序があるほうが問題になっているんだぞ。
割り算で等分除、包含除に言及するなら自然数の範囲に収めるはずはない。
スマートな数学関係者なんてよくわからん概念も出すな。
>数学用語にないmultiplicandとmultiplier。
すまん。なぜ無いと断言したんだ?教えてくれ。
ほんとに無いのか?
なんか異常に他の文献の引用を嫌っているようだけど、学問なんて先行研究があって、学会などで認められて、だから安心して使える概念なんて物があるんだ。
Posted by: Virasoro at February 26, 2012 00:17公式もいちいち定義から証明して使うのか?お前も先人の業績を妥当性の説明なしに使っているだろ。それともいちいち、この公式はこれこれの理由で妥当だと思っているから使います、なんて宣言しているのか?
ちょっとおかしすぎるぞ。
これを書いた人へ。
>wadada氏は、学習指導要領が正しいとは一言も言っていないぞ。
>OECDについても妥当とか言っていないぞ。
よく読んでから口出ししてもらいたい。正しいといったかどうかが問題ではない。
さらに大勢がどうかとか、そういうことでもない。
自分で咀嚼して自分の意見と論を論拠を元に出さないと駄目だということだ。
それがどこにある?
>いつから掛け算の順序問題が自然数の範囲になったのだ。勝手に決めるなよな。
勝手に話をすり替えるな。それとも、なぜこういう話が為されているか知らないのか?
掛け算を習い始めた子供が、恣意的な掛け算順序通りにしなかったら、不正解とされたということだ。可換を習う前だ。
たとえば、「8人に鉛筆を6本ずつ配ったら、全部で何本か?」に、「式:8×6=48 答:48本」と解答したら、式にも答にも大きくペケされて、「6×8=48 48本」と朱書きしてある。
子どもが保護者に「どうして?」と訊いた。しかし保護者も分からない。採点基準に、ローカルルールな掛け算に順序があるとは知らない。
しかし、そこは聞けば見分けも付くかもしれない。議論のしようもあるかもしれない。 しかし、「48本がペケで48本と書かねば不正解」なんて理解不能ではないか。
いつから、式次第で同じ助数詞の一つの数が幾つにも種類が出来たのだろう? それはいったいどういう数学的な保証の元に成立した算数なのか?
理解できるとしたら大したものだ。しかし迷惑だから一人でやってもらいたいものだ。
>むしろ交換法則を学習した後、それから小数まで拡張したときに順序があるほうが問題になっているんだぞ。
そちら『も』問題になり得るということだ。しかし可換を使ったらペケ、という話はまだ表だって出てきてはいない。
出てくれば、それも含めて行くことにはなるだろう。
実行時もコード上も見つかってないバグを直すプログラマーはいまい。不可能だからだ。
>割り算で等分除、包含除に言及するなら自然数の範囲に収めるはずはない。
自然数の範囲で余りを考えるか、分数や小数に拡張するか。そういうことが問題ではない。
掛け算順序を強制して思考を束縛しておいて、そのせいで発生する割り算の分類を問題にする。掛け算順序をよく習得すればうまくいくという。
酷い話ではないか。被害者を作り出しておいて、それお救うと称する。しかも当の加害者が臆面もなく言う。
>スマートな数学関係者なんてよくわからん概念も出すな。
数学について賢い人がよく分からんとは、相当に問題のある人だな。奇妙な用語はよく分かるようだが。
>すまん。なぜ無いと断言したんだ?教えてくれ。ほんとに無いのか?
探してもないんだよ、今のところは。あればアクセス可能で確認できる資料付きで示してくれ。
あるのなら「被乗数、乗数といった用語が数学にある」と大いに広めたい。それが数学用語にないことを気にしている人も少なくないのでね。
>なんか異常に他の文献の引用を嫌っているようだけど、学問なんて先行研究があって、学会などで認められて、だから安心して使える概念なんて物があるんだ。
嫌ってはいない。それについて自分の意見が言えないなら駄目だと言っている。
示すだけで言えないなら、盲信を勧めているし、発言責任も回避している。
そんなのは与太話で聴くに値しないということだ。
引用は、引用文が従で、自分の言葉が主でなければいけない。そういった話だ。
>公式もいちいち定義から証明して使うのか?お前も先人の業績を妥当性の説明なしに使っているだろ。それともいちいち、この公式はこれこれの理由で妥当だと思っているから使います、なんて宣言しているのか?
誰か公式の話をしたのか?
だから、例え話は論拠にならないわけだ。説明にはなってもね。
しかし数学にはない、「算数の文章題には掛け算に順序がある」は、well-definedに定義せねばなるまい?
算数だから定義が要らないということはあり得ない。これは、子どもに説明するレベルと、数学基礎論ならぬ算数基礎論でも作ってもらうしかない。
私は算数は数学のサブセットであるべきと思うから、そういうオカシナことには反対だが、やれる人はやればいい。
できないなら算数ローカルルールは、せいぜいが「嘘も方便」であって、できるだけ早くとppらうべきであることを知らねばならない。
>ちょっとおかしすぎるぞ。
自分がそうでないのか、投稿する文章がそうでないのか、考えられないなら、迷惑だ。
Posted by: K.K at February 26, 2012 07:14自分の頭の代わりに他人の頭を使って生きているということだからな。
大きいお子様は引っ込んでいてくれ。そういう人間を手取り足取り教える義務も暇も興味もない。その情けなさにモニターの向こうで嗤うことはあるかもしれないが。
1. 「数学」と「数学教育学」は,別の学問です.「科学」と「技術」くらいに(関連性もあるけれど)異なると思っています.
「数学の論文」と「数学教育学の論文」も,異なります.
「数学(者)の語彙」と「数学教育学(に携わる人々)の語彙」も,異なります.
以上のことに注意すれば,「一つのかけ算の式に対して,わり算の式が2種類」や「multiplicandとmultiplierの区別」について,「そんなのおかしい」という,数学教育学に関わる人はまずいないと言えます.
2. 「算数の文章題には掛け算に順序がある」という文は,数学教育学の観点で,2つの問題を抱えています.
一つは,「掛け算に順序がある」とかないとかいった主張や議論が,数学教育学においてこれまでなされていないという点です.これをK.Kさんが議論の対象としたいというのなら,定義や,学術的な成果の提示を,お願いしたいところです.
もう一つは,「お店の陳列窓に,リンゴが3行6列で並んでいる.リンゴはいくつあるか」という文章題であれば,3×6=18も6×3=18も正解になるであろう点です.
したがって「算数の文章題」では範囲が広すぎますので,適切な限定を行う必要があります.Greer (1992)には,かけ算の式で表せる場面の分類表があります.それと比較できれば,相互理解もしやすいように思えますので,K.Kさんの文章題に対するお考えを教えていただきたいところです.
(ただしそうなると,ここでというよりは,別のところで書いていただいて,リンクかトラックバックというのが良いように思いますが.)
3. K.Kさんが何度か「子ども」に言及していますが,読んでいてどうも,リアリティを覚えません.
Posted by: t.m at February 28, 2012 05:35というのも,文章から,「子どもはどのような問題(と解決)を通じて学習していくか」が見えないのです.
ちなみに私自身はブログで明かしているとおり,工学系(情報通信)の大学教員で,子は未就学です.とはいえ,身内に小学校教諭として勤めていた者がおりますし,数学教育の書籍・論文のほか,Webで,学級通信・学習指導案・出題例などを読みながら,小学校の先生の語彙や論理,問題意識を把握するよう心がけています.
そこで得た知識・経験と比較すると,「それなのに指導要領は、掛け算順序を強制してはならない、掛け算の可換履修(これは明記されている)後に順序について強制してはならない、といった掛け算順序指導について述べていない」は,日常子どもに接する立場の人がとる表現ではないと感じるのです.
上記の「別のところ」に添え書きで結構ですので,もし小学生に教える仕事(学校でなくてもかまいませんので)をなさっているなら,その旨,教えていただけると幸いです.
nさんへ
本文を読み直すと,
>さて「かけ算の順番」という表現だが,「順序」というと,数学の世界では特別な意味を持つので (順序数 - Wikipedia),ここではベタに「順番」という表現を使うことにする。
と,配慮されていることに気づきました.コメントで(カギカッコつきとはいえ)無頓着に「順序」と書いてきたことを,申し訳なく思います.
Posted by: t.m at February 28, 2012 06:47近々一つエントリを書いて,トラックバックします.
wadada さん
PISA に関する情報ありがとうございました。参考資料「PISA 2006年調査」
http://www.pisa.oecd.org/dataoecd/13/57/39116722.pdf
の問題文にある式「1 分間当たりの望ましい最大心拍数=208−(0.7×年齢)」(070ページ) が「日本式」の順番に翻訳されていないのが気になりました。
ゴルゴ・サーディーン さん
記事本文にも追記しましたが,「m と a の順番を逆に書いても自由」という主張と「am=F」という式がマッチしているので,この式が意味することはよく分かります。
「p=vm」も,この主義を伝えることが意図されているので,これもありかと思います。
K.K さん
「定義式や公式をある形に統一して書くのは、単なる著者の気遣いです。他でも見るだろうから、気g付きやすいように」というのは,つまりかけ算の順番に関して,書き手と読み手の間に共通の認識があるということで間違いないでしょうか。
nemo さん
トランプ配りに関するコメントありがとうございました。「(1[個/皿]×6[皿/巡])×4[巡]」であれば,括弧の中を先に計算したときでも「(6[個/巡])×4[巡]」となり,うまくいくのですね。ただ,問題文にない概念の「巡」が出てくる点で難易度は高くなると思います。
t.m さん
Posted by: n at February 29, 2012 00:48この文脈で出てくる「順序」を数学用語として読むことはないので,問題ありません。「順序数」にリンクしたのは,Wikipedia に「順序」や「順序関係」の項目がなかったからですが,「順序集合」へリンクした方がより適切だったかと思っています。
>「p=vm」も,この主義を伝えることが意図されているので,これもありかと思います。
では、私たちが、私たちの主義を伝えることを意図すれば
す べ て あ り
で良いのでしょうか?
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at February 29, 2012 02:38ゴルゴ・サーディーン さん
Posted by: n at February 29, 2012 03:29「では、私たちが、私たちの主義を伝えることを意図すれば「す べ て あ り」」でいいと思います。
これを書いた人へ。
>「一つのかけ算の式に対して,わり算の式が2種類」や「multiplicandとmultiplierの区別」について,「そんなのおかしい」という,数学教育学に関わる人はまずいないと言えます.
それが問題だとしている。上記では追及されてはまずい点を隠している。
「multiplicandとmultiplierの区別」はあってもよい。英語圏では、「既に掛け算の式に先に書いた方と後に書いた方、どっちがどっち?」という混乱があるけど、日本では、先に書いてあるのが被乗数(掛けられる数)、後に書いた方が乗数(掛ける数)で特に日常語として混乱はない。
問題は、「塊の数」やら「一つ当たり幾つずつ」が、設問者によって恣意的に一意に決められてしまい、それ以外を全て誤答とすることにある。
>「掛け算に順序がある」とかないとかいった主張や議論が,数学教育学においてこれまでなされていないという点です.
寝ぼけてないで、教科書出版主要6社の、教科書指導書から見始めるとよい。きっちり、掛け算の順序を指導するよう、教科書にない教師用の朱書きで明記してある。
そんなことすら調べていないで、いったい何をやってきて、何を論じているのか?
ネットにも、テストでペケ(場合によっては正しい答えの数字まで)、教材のおかしな設問(8×5だけ示して、飴と袋の個数を一意に言わせる等々)といった多数の例が上がっている。
そんなことも知らずに、恥ずかしくないのだろうか?
>「お店の陳列窓に,リンゴが3行6列で並んでいる.リンゴはいくつあるか」という文章題であれば,3×6=18も6×3=18も正解になるであろう点です.
当たり前でしょうな。そういう「おはじき並べ」の掛け算イメージも、きちんと教えるべきだし、そこには順序がないこともはっきり示すべきでしょう。
>K.Kさんの文章題に対するお考えを教えていただきたいところです.
主要な意見は、無理矢理なペケをするな、それだけですよ。
>「子どもはどのような問題(と解決)を通じて学習していくか」が見えないのです.
こういう大枠と個々人を区別しない言い方が問題だ、と言っておこうか。
掛け算の最初の説明は「サンドイッチ方式」で統一して構わない。むしろ、どの教師も最初の説明は統一すべき。
違う教師に習った子ども同士で、算数の話をして混乱しないよう、大枠は統一しておかないと、子どもが混乱する。その方法がどれくらいいいのか、それは別問題ではあるが。
だけれども、その説明は説明でしかないこと、つまり例であることを自覚して欲しいわけだ。とりあえず、掛け算をやって見るに足ることが大事で、自然数以外の掛け算全て、さらには割り算までを覆うような方向ではなく、典型的で見えやすいことが大事。
小学校での掛け算の最初の説明は、決して一般化された法則ではない。説明からスタートして、どんどん自由に応用して使えるようになるべき。
文章、あるいは現実の事物を見た時、算数で考えられるようになるには、算数が自由自在に使えることが必要。算数の説明通りに、現実は並べてあるのではないのだから。
こんな当たり前のことを言わなければならないことが、大変悲しい。
>「それなのに指導要領は、掛け算順序を強制してはならない、掛け算の可換履修(これは明記されている)後に順序について強制してはならない、といった掛け算順序指導について述べていない」は,日常子どもに接する立場の人がとる表現ではないと感じるのです.
曖昧な言い方だね。引用の文は子どもに向かって言っているわけではない。
こういう説明上の便宜的な、嘘も方便の掛け算順序が、あたかも算数として正しいかのように教科書指導書や教材が子どもに強制している現実に対して、大元を仕切るべき文科省の指導要領が対応できていないことを嘆いている。
子どもがそれで困っている。掛け算順序を強制されて分からないで泣いている。
子どもに接するからこそ、そのように言っている。
そんなことも分からないのだろうか、事実を紹介されても想像もできないのだろうか、、子どもに接しない人は?
>もし小学生に教える仕事(学校でなくてもかまいませんので)をなさっているなら,その旨,教えていただけると幸いです.
言って当たり前のように個人情報を訊くとは、あなたはオカシナ人だね。
書いてある論を読め。それがすべてだ。
私は自他の区別なく肩書きや年齢で物事を論じないし、判断もしない。
子どもだから言っていることを軽視しないし、また、子どもの言うことだから汚れない純真な意見とも思わない。
立派な学識経験者だから正しいとはしないし、間違っていると思えば、反論する。
義務教育すら満足に受けられなかった人、特に保護者のみなさんの意見もきとんと聞いて正しければ支持するし、補強すべき点は補強する。
何の予断もなく意見を述べるようにしている。そしてネットで述べている以上、不特定多数が見ることも承知している。自他の間違いも不特定多数が見ることも分かっている。
Posted by: K.K at February 29, 2012 08:11そういう前提で論を書いている。
しかし、個々の論はそれ自体で完結はしていない。論が置かれた文脈はもちろん、日本という文化背景・文脈は前提としてある。
その文脈が読めないような意見は蹴る。広大な背景まで説明する気はないし、できるはずもない。
子ども相手ではなく、大人相手である以上、当然だ。子どもですら、分からないことは勉強しているではないか。不勉強な大人の教育までやっていられるはずがない。
>「では、私たちが、私たちの主義を伝えることを意図すれば「す べ て あ り」」でいいと思います。
ありがとうございます。
では、そういう考え方を小学生に教えるのも、アリで良いですね?
これは、そういう考え方で小学生に教える指導案です。
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at February 29, 2012 22:26↓
http://hokkaido-sannsuu.com/pdf_sidouan/02/2nenkakezan3.pdf
(1/6ページ)
>式から形式的に交換法則をとらえるのではなく、「前から見ると…」「横から見ると
>…」などと1当たり量を柔軟にとらえる見方こそが大切である。
(4/6ページ)
ジェットコースターに乗った人の数を考える図で、車体の枠をまたいで「左の列」「右
の列」をそれぞれ1グループと見なすこともOKだとしています。
ゴルゴ・サーディーン さん
Posted by: n at March 02, 2012 05:49http://hokkaido-sannsuu.com/pdf_sidouan/02/2nenkakezan3.pdf
この指導案もいいと思います。
nさん:
>「定義式や公式をある形に統一して書くのは、単なる著者の気遣いです。他でも見るだろうから、気g付きやすいように」というのは,つまりかけ算の順番に関して,書き手と読み手の間に共通の認識があるということで間違いないでしょうか。
いいえ、そういうことではありません。
あくまでも初学者への配慮です。
掛け算でも、少なくとも同じ小学校であれば、最初の説明は統一した方がいいわけです。
子ども同士で勉強を教え合ったりしますから、先生ごとで説明が正しくても、言い方や考え方(同数累加や割合等々)が明らかに違うと、子ども同士で混乱します。
習ったばかりで、どうやって掛け算するかで精いっぱいなのに、その掛け算の解釈まで子どもにさせてはいけません。
それはある程度慣れてからでしょう。九九を覚えて、初歩の筆算辺りまでくらいでしょうか、多少練習すれば、掛け算順序だのなんだの、入門用の便宜的なことは不要になっています。
そうなれば、いろいろな角度で見て見ればいいし、いろいろに気が付いていたけど理屈が分からなかった法則性も、どうしてそうなるかを考えて行けるでしょう。
たとえば覚えるのが精いっぱいだった九九の表から、いろいろ読み取ったりもできます。教わらずとも、たとえば交換、結合、分配といった法則の発見もあるでしょう。
先に進んで、たとえば高校、さらに大学で、たとえば物理学を習うとしても同様です。
たとえば、どの初学者向け教科書でも「ニュートンの法則F=maにより」と統一して書いておけば、すぐに「ああ、あれだな」と分かり、スムーズに読み進めます。
続きで必要なら、「a=F/mであるから」と進めればいいわけです。
これがいきなり、「ニュートンの法則a=F/mにより」とすると、一瞬かもしれませんが、「えっと、どれだっけ?」状態が生じます。
数学的に連続したことを考えなければいけないような場面で、これが生じるのはあまりよくありません。
頭の中で必死でつないでいた論理の線が切れてしまい、もう一度前に遡って読み直すことも起こります。
それは、初学者に対しては不親切です。ですから、公式はよくある書き方で統一して示しておいて、変形するのが入門向けの書き方としてベターです。
しかし、ある程度習熟すれば、そんなことはまどろっこしくなります。いきなり必要な形で提示するのが良いです。
いきなりm=F/aと書き、続けてm=Fr^2/GMと書き、「果たしてこの二つの質量は等しいのだろうか?」なんて進めて行けばいいわけです。
元のよくある書き方なんてよく知っているわけで、そんな当たり前のことをいちいち書かれては、かえってわずらわしい。
既にあれこれ変形して問題を解いているわけで、どう変形しても同じに見えるくらいになっていますから。
Posted by: K.K at March 02, 2012 11:16こういう段階まで来ているのに、もし「それって、どの公式なんだ?」なんて言おうものなら、下手をすると「勉強してから訊いてくれ、もうお子様じゃないんだろう?」と言われます。そう言われても文句は言えません。
n さん
>この指導案もいいと思います。
そこまでお分かりいただけたなら、申し上げるべき事の
ほぼゴール直前まで来ています。
あとひとつ、これは同意していただくことは強要しませ
んが、理解をしていただきたい事があります。
( あたりまえの事ですが「同意」と「理解」は別です。)
順序主義の学校では、たとえば先ほどのジェットコース
ターの乗客の数の問題で 6×2=12 と答えると、
「それでは『1台に6人乗っていて、それが2台ある』
という意味になってしまう。だからバツ。」
とされます。
もし私が小学生だったとしてそんな教え方をされたら、
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at March 02, 2012 23:10K.Kさんの言うように
「分からなくて、泣き」
ます。
これが、私が順序主義に反対する理由です。
K.K さん
私は式の自由変形を否定していません。m=Fr^2/GM もいいと思います。
議論したいのは文字や数字の並べ方です。例えば,重力方程式であれば,よく見る形は F=GMm/r^2 ですが,F=m(GM/r^2) という形も F=ma との比較を議論するのならありだと思います。しかし,F=MmG/r^2 などは何が言いたいのか分からないという意味で好ましくないと言いたいのです。m=Fr^2/GM は分かりますが,m=Fr^2/MG はよく分かりません。
ゴルゴ・サーディーン さん
Posted by: n at March 03, 2012 15:57おっしゃることが分からなくなってしまいました。
http://hokkaido-sannsuu.com/pdf_sidouan/02/2nenkakezan3.pdf
のジェットコースターの問題は,図が示してあって「ジェットコースターには何人乗っているでしょうか。かけ算を使って表そう」です。図は,いろいろなグループ化を発想することができるように工夫されています。この指導案も,ゴルゴ・サーディーンの言葉を借りるなら「順序主義」になっていると思います。ゴルゴ・サーディーンさんは,この指導案は理解できるが同意はできないという立場なのでしょうか。
>ゴルゴ・サーディーンさんは,この指導案は理解できるが
>同意はできないという立場なのでしょうか。
いいえ。
私は、その指導案に同意します。
ただし、「欲を言えば、もう一歩進めて欲しい」という箇所があ
りますが、今はこれぐらいでも御の字と思っています。
私が強く反対するのは、このジェットコースターの問題で
「4×3=12 だけが正解。それ以外はバツ。」
とするようなやり方に対してです。
私は、
「『1つ分×いくつ分』と言うとき、何を『1つ分』とするかは
その出来事を見る人の立場・物の見方で変わる。
ひとつに決まってはいない。」
ということを言っているだけで、「1つ分×いくつ分」ということ
には反対していません。
http://www18.atwiki.jp/kakezan/pages/19.html
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at March 03, 2012 17:33このサイトに書いてある通り、「なんでも積指向」と言っても、
「”1つ分”と”いくつ分、何倍”」という物はあるのです。
nさん:
>F=MmG/r^2 などは何が言いたいのか分からないという意味で好ましくないと言いたいのです。
よくある形から意味もなく式を変えて書くべき、と申し上げているのではありません。初学者に分かりやすいものは、中上級者にも分かりやすいこともあり得ます。
ある、と断定できないのは、中級にも行かない私ですら、そう感じないからです。
必要であれば、必要な形にするべきだし、それができないでは活用はできないということです。
>m=Fr^2/GM は分かりますが,m=Fr^2/MG はよく分かりません。
しかし、慣性質量と重力質量の同一性の話をするレベルの議論になれば、このようなことを言いだすと、「すまないが席を外してくれ」といったことは言われます。
MやGの順序といった枝葉のことは論じていられないからです。
それでもさすがに、FをF^2・F^(-1)と書いたとしたら、式は整理してから示せ、とは言われるでしょう。
しかし、定数・変数の可換な順序について、議論のために書いた式、つまり当座の用を足すためだけの式について、論じたいことから離れて論じるようなことはしたくないわけです。
うっかり、m=Fr^2/Mと書いた。あれっと気づいてGを書き足して、m=Fr^2/MGとした。そこへ誰かから、m=Fr^2/MGって何の式か分からない言われた。どうでもいいじゃないか、としか思えない。分からないと言った人以外も、MGで分かっている。
喩えて申すなら、読めない漢字があるから文章を全部ひらがなで書いてくれ、と言われたような気持ちでしょうか。漢字が読める人全員が、それはお断りだ、というわけです。
これが、教科書や参考書といったものになれば、想定読者を考慮して書くでしょう。
式の必要な変形はしても、あるいは最初から公式から変形した式を示すとしても、意味もなく、よく書かれる式と順序を変えることもしないでしょう。
先の喩えで申すなら、漢字は書くけどルビは振っておこう、といった感じでしょうか。
しかしゴルゴ・サーディーンさんが紹介されておられるように、ある物理学者は、できれば初学者用教科書で、F=amといった感じで式の形を変えたいと言っていたりもします。
Posted by: K.K at March 03, 2012 19:50掛け算順序に意味がある、という誤解を憂慮してのことかと思います。公式の定数や変数の順序に意味があると思われては、応用してもらうのに困るからでしょうね。
少しは余談でも。
明治が始まって、もう数年程度で西欧式数学に基づく算術教科書が出てきています。かなりしっかりしたものです。
掛け算だけ見ても、学童用の絵付きで噛んで含めるようなものから、いわゆるおはじき並べや比の概念で、計算法則を含めて、すぱっと進めていくものまで、さまざまです。
その中で、乗算記号×(あるいは・)の読み方が変化して行っています。
和算はあまり調べていないのですが、掛け算の概念も手法も既にあり、日本算術伝統の読み方としては「掛ける」、中国算術由来の読み方で「乗ずる」はあったようです。
そこへ、西欧式の算術の輸入に当たって、当初は×の読み方にカタカナ英語を当てています。
当時は西欧では、×の読み方はmultiplied byだったようで、現在主流のtimesは、まだ表だって現れてはいないようです。
このbyは受動態の元の主語を表すbyではないです。If you multiply 3 by 4, you have 12.といった言い方ですので、byは主語を表してはいません。
ちなみに割り算も、You divide 12 by 4.とbyを使います。足し算はand、引き算はfromですね。
明治の算術教科書も、「マルティプライドバイ」と読むようにとの記載が見られます。
面白いことに、なぜか割り算であるイントゥ(into)とも読めるとしているものがあります。
現在の英語のウィキペディアでも×の読み方の一つにinto signがあるとしており、編集者の議論ページ(Talk)で、「×がintoなんて、聞いたことがない」と疑問が呈されています。
私見ですが、当時も教科書で多かったラテン語では、inを×の意味で使っていること、割り算表現で、2 into 8 makes 4 times.と、商をtimesで言っていることが影響していると強く推定しています。つまり、×をinto signとするのは誤解に基づくということです(実は、英語ウィキペディアのTalkで、そう書いてきました)。
3 multiplied by 4というのは、日本での英文法で言えば後置修飾で、英語の論理で言っても、3が「multiplicand、掛けられる数、被乗数」、4が「multiplier、掛ける数、乗数」というイメージになります。
しかし、面倒くさいことは、代替の便利なものがあれば、取って代わられることは宿命でもあるのでしょう。×記号の読み方は変化して行きます。
日本では、いつの間にか「掛ける」になって行きます。もしかすると、「掛けるではなくマルティプライドバイだ」と言い換えさせる人がいたかもしれませんが、歴史の表に出ることもなかったようです。
英語圏でも、いつしかmultiplied byは非主流になっていき、主にtimesと読まれるようになります。
この辺り、英和辞書では掛け算のtimesをまだ名詞timeの一つとしているようですが、Longman ContemporaryやOALDでは、前置詞timesとして、名詞timeから独立させています。
timesが前置詞なら、multiplied byと同じような構造ではあるんですが、それは後付で品詞分類したものらしく、日常の用法例から決められたものではないようです。
もともとの名詞のtimeの「回数」のイメージからは、3 times 4なら、3がmultiplier、4がmultiplicandという感じになります。この新しいイメージが、従来のイメージと混乱を起こすこともあるようです。
英語圏のQ&Aでも、ときおりこのことが質問されることがあり、しばしば、「両方がfactor(因数)で、どっちがどっちと気にしないほうがいい」といったアドバイスが見受けられます。
Posted by: K.K at March 03, 2012 20:55ゴルゴ・サーディーン さん
>「1つ分×いくつ分」ということには反対していません。
驚いております。「1つ分×いくつ分」の順番通り書くことに問題はないということであれば,この記事で主張したいことと違いがないことになってしまいます。
記事本文中の節「程度問題?」に書いたような,バリエーションを許容するという立場ということでしょうか。
K.K さん
Posted by: n at March 04, 2012 03:52ここで論じたいのは「MやGの順序といった枝葉」のことなのです。
「M や G の物理的な意味を考えれば,G という定数はかけ算の最初に書くのが適切」と言いたいだけなのです。
nさん:
>「M や G の物理的な意味を考えれば,G という定数はかけ算の最初に書くのが適切」と言いたいだけなのです。
「〜の意味」って重要キーワードなのではないかな、と思います。掛け算の意味、という言い方は、しばしば話し手により恣意的に用いられているように感じられます。
「物理的な意味」で物理屋さんや、私ら物理ファンが思うのは、「数式、あるいは数式の項が、どいういう物理現象と対応しているか」ですね。
このことで有名なのが、「シュレディンガーの猫」だったりします。物理学的に最終の答が確率で表されていいものかどうか。その確率を基本的な項として含むシュレディンガー方程式を導き出した、当のシュレディンガー本人が疑問に思って、提示した思考実験モデルです。
M(や)はm物体の質量、Gは式全体が等式になるための定数です。そこにどちらが先ということはありません。解釈の紛れもありません。可換と言う数学的手続きなだけです。
そして、数式もその中にある全ても、「頭の中に広がる世界」であって、現実とは、あえて言いますが、一切関係がありません。
現実のある一面を切り出して眺めてみる為だけの道具です。
ここに書くより、ツイッターに書いたR世界とM世界、M世界とR世界と取り違えるピグマリオン症候群についてお読みいただくほうが早いかもです。
http://togetter.com/li/232334
の「残りを読む(44)」以降にあります。
Posted by: K.K at March 04, 2012 08:28>「1つ分×いくつ分」の順番通り書くことに問題はないと
>いうことであれば,この記事で主張したいことと違いがな
>いことになってしまいます。
2つの点で、違いがあります。
【1】小学生に対してどうするか、ということ
n さんは最初の記事で
>『そりゃ×だよ』といって×にするのか,それとも
>『それは新しい見かただ』といって○にするのか。
>いずれにしても,議論されるのはいいことだと思う。
と書いています。
そこについて、私は
「そこは断固、○。
議論する余地など無し。
漫然と問題文に出てきた順で掛けている児童をチェック
するなら他の方法でやるべし。」
と申し上げたいのです。
それと、小学校で行われていることは、n さんの言っ
ていることとはまったく違うのです。
【2】小学校を出たあとでもどこまでもつきまとうか、という事
このことに関しては、K.K さんとのやりとりで、ご理解いた
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at March 04, 2012 10:45だけつつあると思います。
K.K さん
R世界とM世界をつなげる考え方というのは,以前 wadada さんがコメントされていた「数学化サイクル」のことに思えるのですが,違いますか。
http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002429
ゴルゴ・サーディーン さん
Posted by: n at March 05, 2012 02:26【1】については,おっしゃるとおり決定的に違います
【2】については,まだ理解するに至っていません
nさん:
>R世界とM世界をつなげる考え方というのは,以前 wadada さんがコメントされていた「数学化サイクル」のことに思えるのですが,違いますか。
そんなつまらない話ではありませんし、百歩譲っても、M世界の構築方法のごく一部でしかありません。
R世界とM世界という考え方は、この世界(R世界)に実在する全ての物事(R世界の住人)について、数学の式、さらには、数といった数学の欠片(どちらもM世界の住人)ですらも、内在されてはいないということです。
このことは、頭の中(M世界)では全てを自由自在に扱えるという強力さを発揮できます。数学を含めたM世界の住人は、頭の中で自由自在に動かせますから。
M世界の表現方法(言葉も含みます)について合意があれば、他人に伝え、M世界を共有することもできます。
でも、その他人とM世界を分かち合うための合意が、M世界の自由度を少しでも奪うなら、本末転倒だということです。
M世界の強み、さらには存在意義は、その自由さにあるわけですので。
そしてもし、現実世界の物事が数学的な仕組みに従って存在し動いている、といった病的な誤解(ピグマリオン症候群の一つ)も生んだりします。
M世界は、R世界を人間が理解するための、仮想的なものでしかないからです。有効範囲は頭の中だけです。
もし超能力者でもいれば、事情は異なるかもしれませんが。
Posted by: K.K at March 05, 2012 06:44K.K さん
M世界の構築については否定していません。R世界とM世界の「つなげる考え方」に言及しただけです。
wadada さんのあげてくれた資料「PISA 2006年調査 評価の枠組み」を見ますと,p.091 にある図「数学化のサイクル」で示されている「現実の世界」と「数学の世界」は,K.K さんの「R世界」と「M世界」にあたるものだと思います。
http://www.pisa.oecd.org/dataoecd/13/57/39116722.pdf
「現実の世界」と「数学の世界」は独立ですから,「現実の世界」が「数学の世界」の自由度を奪うことはありません。PISA では,現実の世界と数学の世界を「つなげる考え方」を含めた「数学化のサイクル」を提唱しています。これは,K.K さんのおっしゃる「ピグマリオン症候群」に陥らないために必要なことと同じなのではないでしょうか。
ゴルゴ・サーディーン さん
Posted by: n at March 07, 2012 22:28おっしゃっている2つのこと: かけ算の順番について「「そこは断固、○。議論する余地など無し」ということと,「「1つ分×いくつ分」ということには反対していません」ということが,どうしても相反しているように思えてなりません。そこでひとつお願いです。
「1つ分×いくつ分」を小学生が理解しているかどうかをみるためのテスト問題を例示してもらえないでしょうか。テストなので,マルかバツがつくものがいいです。そして,そのマルになる正解と,バツになる不正解例も合わせて教えてください。
>「「そこは断固、○。議論する余地など無し」ということ
>と,「「1つ分×いくつ分」ということには反対していま
>せん」ということが,どうしても相反しているように思え
>てなりません。そこでひとつお願いです。
>「1つ分×いくつ分」を小学生が理解しているかどうか
>をみるためのテスト問題を例示してもらえないでしょうか。
私の考えるところ、それをチェックしようとしないのが
非順序主義です。
「1つ分×いくつ分」に反対しないとは言いましたが、
「1つ分×いくつ分」をしっかり理解させるべきとは言っ
ていません。
どうせ「何を1つ分と見るかは立場次第」なので、4×6
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at March 07, 2012 23:50がマルで 6×4 はバツ とする問題なんかこの世に無い。
「いくつ分×1つ分」でも差支えない、と思っていても
何の不都合も無い、ということです。
このあたりの事、わたしはあいまいな言い方しかしませ
んが、他の非順序主義の人なら
「いくつ分×1つ分 は、まったくOK」
と言うのではないでしょうか。
ゴルゴ・サーディーン さん
Posted by: n at March 08, 2012 23:54では,「漫然と問題文に出てきた順で掛けている児童をチェックするなら他の方法でやるべし。」
http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002464
のためのテスト問題であれば例示は可能でしょうか。
nさん:
その「数学化のサイクル」というのは、R世界とM世界という切り分けについて、さらにはピグマリオン症候群という警告について、趣旨としては無関係です。
既に古代ギリシアのある学派は、ピグマリオン症候群に陥っていました。「世界は数で出来ている」旨の誤解です。
どうしてそうなったのかは未知の面もありますが、おそらくは「数学化のサイクル」を行っていて、あまりにもM世界の記述がR世界と対応しているように見える為、数学の仕組みがR世界に存在している、さらにはそれが本質だと見誤ったのであろうと思われます。
このことは、未だに物理学等を学んでいて、あるいはその説明を聞いていて、陥ることがあるものです。たとえば、放射性物質の半減期について、そういう原子にタイマーや乱数が仕込まれているのか、といったような誤解があります。
数学自体は、既に具象を離れた純粋に抽象の世界を構築するものになっています。スタートは現実世界の実用から生まれたのでしょうけど、現実を切り離すことにより発展しました。
理学、工学、経済学等々は、現実世界を眺めて、解きたい問題について、数学を道具として使います。数学が現実の事象に根差さないからこそ、あらゆる方面で同じ数学が使えるわけです。
数学をうまく使えば、いろいろな分野で、現状の分析もでき、「予言能力」も発揮されます。その思考モデルとして「数学化のサイクル」を考えてみてもいいでしょう。
でも、あまりにぴったりに思えてしまうと、罠にはまって行きます。その罠について考える為に、R世界とM世界の切り分けをし、罠をピグマリオン症候群として説明が為されるわけです。
ましてや、掛け算の式に意味があると言い出すと、非常に危険な状態だといえます。式の書き方次第で、2本足の蛸や3本耳の兎が現実世界に出てきたりはしません。
Posted by: K.K at March 09, 2012 09:16>のためのテスト問題であれば例示は可能でしょうか。
すみません。間違えました。
【×】漫然と問題文に出てきた順で掛けている児童をチェックするなら他の
方法でやるべし。
【○】「今は掛け算の単元だから、掛け算の式を書けばいいんだろ」と漫然
と考えて答案を書く児童をチェックするなら他の方法でやるべし。
です。
( 「アンタもそういう間違いをするじゃないか」という声が聞こえて
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at March 09, 2012 23:31きそうなので一言。
単なる凡ミスと、主張・理論の中に元からある欠陥が露呈して起こ
る間違いは、別物です。)
K.K さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002470 )
R世界,M世界,ピグマリオン症候群が「何を意味しているか」を議論するのは,本題から外れますので行わないこととします。
かけ算の順番は,かけ算そのものに関する問題ではなく,式の「表現」に関する問題です。
式というものは,表現によって「メッセージを伝える」ことができるというのが私の主張です。
つまり,式を立てるということは,単に自分で計算をするためだけのものではなく,メッセージを伝えるということでもあるということです。
メッセージですから,そこには「書き手」「読み手」がいて,「ヤクソク」が存在します。そのヤクソクのひとつが,かけ算の順番というわけです。
タコに関して言うなら,1匹の足の数と匹数を,「8×2」という式によって表現し,伝えているということになります。
ゴルゴ・サーディーン さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002471 )
Posted by: n at March 11, 2012 05:40> 【○】「今は掛け算の単元だから、掛け算の式を書けばいいんだろ」と漫然と考えて答案を書く児童をチェックするなら他の方法でやるべし。
具体的にはどのような方法になるのでしょうか。
nさん:
>かけ算の順番は,かけ算そのものに関する問題ではなく,式の「表現」に関する問題です。
から、
>タコに関して言うなら,1匹の足の数と匹数を,「8×2」という式によって表現し,伝えているということになります。
まで。
それが、まさにピグマリオン症候群です。もし「8×2」でないといけない、ということだったらですが。
掛け算を習い始める段階の理解として、必ずしも同数累加がいけないわけでもなく、割合のほうがいいという理由もありません。
現状の主流の導入である「塊の数」や「幾つずつ」をイメージしても良い。もっとはっきり申せば、「どうイメージしても良い」となります。
それで、すくなともスカラーの数においては可換も成り立つ掛け算を使えれば、それでいいわけです。もう少し申すなら、「自由自在に」掛け算を使えるようになればいい。
しかし、習って行く段階で、いきなり抽象的な「数」というもの無理ではあるでしょう。年齢的にも、そこまで抽象的な思考を求めるのも酷です。
そこで、既に何かを数えたりして、ある程度慣れているであろう自然数での掛け算から始めればいい。何か具体的な物の数でイメージを補助すればいい。
子どもに学んでもうに当たって、そうするべきなことは間違いないわけです。
問題は、それを見る大人の側にあります。
2匹の蛸(8本揃っているとします)の足の数は、8×2でしか表せず2×8ではいけないとする。いきなり16と書いてはいけないと言ったりする。1×16は論外だとしたりする。
それが掛け算の意味であるとする。
掛け算を使って思考を広げるのではなく、掛け算に思考を支配されてしまっている。
数から始めって徹底的に抽象化することによって、何にでも使え、どのようにでも使えるようになっているのが掛け算です。具体的な意味を排したから、そういう掛け算が、いろいろに使える。
そこに特別の「意味」や制限枠を与え、そう考えないといけないと言う。
これは、ピグマリオン症候群ですよ。
掛け算に慣れてもらうための、説明上の便宜や嘘も方便的なことが、いつの間にか、掛け算の本来の「意味」だとする思考に変わってしまう時、そこにはしばしばピグマリオン症候群があります。
Posted by: K.K at March 11, 2012 10:50>> 【○】「今は掛け算の単元だから、掛け算の式を書けば
>>いいんだろ」と漫然と考えて答案を書く児童をチェックす
>>るなら他の方法でやるべし。
>具体的にはどのような方法になるのでしょうか。
これですね。
具体例は、要らないでしょう。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1685874.html
>5382. Posted by 2011年12月25日 13:05
>複数の問題を出して足し算のものを混ぜるとか、計算に
>使わない数字を文中に混ぜるとか、同じ問題を足し算と
>掛け算でそれぞれ立式させるとかしとけばいいのに。
http://suugaku.at.webry.info/201107/article_1.html
>鰹節猫吉 2011/09/15 00:30
>そういう人工無脳を検出するには、たし算やひき算やか
>け算を混ぜて出題すればいいと思いますが、そういうこ
>とは認めないのでしょうか?
http://www1.cts.ne.jp/~togoshi/h20sannsuukadai.htm
2年
>たし算の問題、ひき算の問題、かけ算の問題をまぜて出
>題し、問題場面を正しく判断する力を育てる。
(ただし、この3個目の文書は、非順序派というわけでは
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at March 11, 2012 13:53ありません。)
K.K さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002473 )
Posted by: n at March 20, 2012 06:03小学生にかけ算を教えるのはかなり難しいことなのだと思います。「8本足のタコ2匹」を例にとります。
出てきた数字を漫然とかけて答を出すのはやめさせたい。でも,かけ算は使わせたいわけです。
1×16 もかけ算ではありますが,計算して欲しいこととは違います。
式の欄に「__(本)×__=__(本)」と書いてしまうと,数字を当てはめるだけの単純作業になってしまいます。
そこで,教師と子どもの間で,「1つ分」と「いくつ分」が何か分かっていることを「1つ分×いくつ分」という順番で表しましょうというヤクソクにした,ということなのだと思います。
さてここで問題です。
養鶏場に10000羽のニワトリがいて、それぞれが30個ずつの卵を産んだら
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at March 20, 2012 22:33卵は全部で何個ですか?
ゴルゴ・サーディーン さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002481 )
Posted by: n at March 22, 2012 05:17そのこころは「先生,ニワトリを10000羽も描けません!」ですか?
そういう話ではありません。
「ヤクソク」とやらに従うことを求められている小学生は、ここで、
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at March 22, 2012 22:4330 × 10000
10000 × 30
どちらの式を書けば良いのか? ということです。
ゴルゴ・サーディーン さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002483 )
Posted by: n at March 23, 2012 01:2130 × 10000
ということになるでしょうね。
この問題とは違うパターンの問題での話ですが、以前、ある順序派の人が
「製品をいちどきにドカッとまとめて持って来る、それを『一つ分』とする」
と説明するのを見たことがあります。
その考え方を使えば、この問題で養鶏場で実際に起きていることは
「毎日1万個ずつの卵が出荷される。それが30日間繰り返される。」
ということなのです。
もし私が純真な小学生で、「ドカッとまとめて」という事を教えられた通り
にやろうとしたら、「ひとつ分は10000万個だ」という考え方をするでしょうね。
実物の構造がそうであっても、問題の文章で「30個ずつ」と言っている
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at March 23, 2012 21:54ことが優先だなどということは、もし私が小学生なら
「理解できなくて、泣き」
ます。
ゴルゴ・サーディーン さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002485 )
Posted by: n at March 24, 2012 00:25非明示的な仮定を使ったトランプ配りの例として興味深いですが,論理命題に時間の経過を持ち込むとややこしいことが起こることがあるので,すべての卵を産んでしまった後のことを考えます。つまり,
問題文が「養鶏場に10000羽のニワトリがいて,それぞれが30個ずつの卵を産んだら卵は全部で何個ですか?」であれば,立式は
30 × 10000 (30 [個/羽] × 10000 [羽]),
問題文が「養鶏場には沢山のニワトリがいて,1日に合計10000個ずつ卵を産みます。30日経ったとき卵は全部で何個になりますか?」であれば,立式は
10000 × 30 (10000 [個/日] × 30 [日])
となります。
養鶏場では,もしかすると同じことが起こっているかもしれませんが,問題文の表現が異なれば,式も違うものになってきます。
単位をつけて考えたときは,どちらの式も,問題文にない概念は持ち込んでいないことがお分かりかと思います。
>問題文が「…」であれば
ということは、「何がひとつ分かは、問題の文章で決まる」ということですね。
しかし一方、「ウサギが3匹、耳はいくつ?」という問題では、「1匹に耳が2個ずつ」
と文章では書いてなくて、「実物がどういう物か、知っているだろうからそれに基づい
て考えなさい」ということなのですよね。
「文章に従って考える」
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at March 24, 2012 02:31というルールと
「実物の状態に基づいて考える」
というルールがあって、どちらが優先かは先生の主観で決まるわけですね。
もし私が小学生なら、そんな算数はムリですね。
ゴルゴ・サーディーン さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002487 )
問題文が「養鶏場に10000羽のニワトリがいて、それぞれが30個ずつの卵を産んだら卵は全部で何個ですか?」
であるにもかかわらず,
先生が求める答が「10000 × 30 (10000 [個/日] × 30 [日])」
とする方がムリがあります。問題文で「文章に従って考える」のように思わせながら,「実物の状態に基づいて考える」が答だからです。
一方の例として出していただいた「ウサギが3匹、耳はいくつ?」では,「実物の状態に基づいて考える」がルールになっていますが,「文章に従って考える」というルールを否定しているわけではありません。
Posted by: n at March 25, 2012 03:33それとも,先生に「耳が2つのウサギが3匹、全部で耳はいくつ?」と書けというのでしょうか?耳が2つでないウサギを想像させるような問題文は小学生に対して適切とは思えません。
>それとも,先生に「耳が2つのウサギが3匹、全部で耳はいくつ?」と書けと
>いうのでしょうか?
そうです。
もし問題文がそうなっていたら、この問題を俎上にのせる事はなかった
でしょう。
>耳が2つでないウサギを想像させるような問題文
違 い ま す !
そんなことは言っていません。
ウサギの問題では、「何をひとつ分とするか」は問題文では示されていません。
このとき
「僕は、左耳が3個・右耳が3個、と考えた」
ということは、問題文では禁止されていません。
ウサギの耳は、
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at March 25, 2012 12:28『同一個体の、左右の耳』
より
『別々の個体の、左耳どうし』
のほうが似ています。
ですからこれを「ひとつ分」とする見方だって、あるじゃないかと言っている
のです。
nさん(http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002480):
>教師と子どもの間で,「1つ分」と「いくつ分」が何か分かっていることを「1つ分×いくつ分」という順番で表しましょうというヤクソクにした
そして、それが今や有害な方向に働きだしているということです。
掛け算の文章題一つで理解度を測り過ぎている。そのために、数学にはないローカルルールでガチガチに算数を縛っている。
だから算数から数学(義務教育である中学校でのもので充分)まで進んで、そういう算数を振り返ると不思議なわけです。
そのローカルルール覚えさせられて、いったい何に役立つのだろう、と。数学をどこまで勉強しても、そんな役立たないルールは出てこない。
もし「出てきた数字を漫然と掛け合わせているのではないか?」と思うなら、足し算や引き算を使うべき文章題も混ぜておけばいいわけです。
文章題を簡単に絵に描くことをしてもいいわけです。
いろいろ方法はある。
でも掛け順固定を覚えているということで、掛け算が分かっているということにはならない。それこそ機械的に並べて見ているだけとも言えます。
Posted by: K.K at March 26, 2012 11:02掛け順固定という余計なことを覚えさせるメリットがあるのかどうか。子どもがそれを覚える労力と時間を、もっと勉強を進めることに使った場合はどうか。
もう一度、お考えいただきたいところです。
K.K さん、そこは、
【×】掛け順固定という余計なことを覚えさせるメリットがあるのかどうか。
【○】掛け順固定という ウ ソ を覚えさせるメリットがあるのかどうか。
ではないですか?
だって K.Kさんの言葉で言えば、掛け順固定は「well-defined でない」わけです
から、つまり「嘘」ですよね。
( 掛け順固定の理由として、
K.Kさんは「数学と違うから」ということに重きを置きますが、
私は「well-defined でないから」ということに重きを置くわけです。
なお私は、「well-defined に定義したら掛け順固定に賛成する」
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at March 28, 2012 23:48かどうかについては、何も言っていません。)
ゴルゴ・サーディーンさん(http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002491):
>【×】掛け順固定という余計なことを覚えさせるメリットがあるのかどうか。
>【○】掛け順固定という ウ ソ を覚えさせるメリットがあるのかどうか。
違いますよ。私は助けになるのであれば、「嘘でも方便でも教える『べき』」という考えを持っていますから。もちろん、暫定的で後で取り払うという前提付きですが。
掛け算入門において、たとえば掛け算の式の書き出し方で迷うこともあります。書き出しさえすれば、ちゃんと書き切って、計算もできるのに。
そのときは、その子のやりやすいような掛け順固定をすればいい。決してサンドイッチ方式にこだわらず、その子が「幾つずつ×塊の数」がたりやすいなら、そのように。
まずは一つの方法でもいいから、慣れることです。しかし、それ以外に抵抗があるほどの『癖』になってしまう前に、取り払っておくようにする。
引用された文脈は、そうでない子、つまり掛け順を気にしない子向けのことです。多数派の子であり、全体を考えた一番目の大枠です。
掛け順を気にせず掛け算がやれる大多数の子には、掛け順は「便利な嘘・方便」ではない。面倒くさいだけの「余計なこと」です。
ゴルゴ・サーディーンさん。こういうことをいちいち説明するのは手間です。前も何か仰ってましたが、ありていに申せば、「文脈を読まずに語義にこだわるのは困る」ということです。余計な手間ですから。
Posted by: K.K at March 29, 2012 05:44K.K さん、ありがとうございます。
>私は助けになるのであれば、「嘘でも方便でも教える『べき』」という考えを持っていますから
というお考えであることは判りました。
>こういうことをいちいち説明するのは手間です。
>ありていに申せば、「文脈を読まずに語義にこだわるのは困る」ということです。
ここは、「お叱り」ということでしょうか。
しかしそれでもこれは申し上げたい。
「掛け順固定に反対で一致していても、何もかもが一致ということはかぎらない。
固定は何故いけないか、
どの様に改善されれば満足なのか、
そういうことは、言葉に出してみなければ分からない。」
ということです。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
K.K さんには分かっていただけていると思いますが、前回の書き込みの訂正です。
(あとあとまで残る物ですから…)
【誤】掛け順固定の理由として
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at March 29, 2012 10:33K.Kさんは
私は
【正】掛け順固定に反対の理由として
K.Kさんは
私は
ゴルゴ・サーディーン さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002489 )
失礼しました。耳が2つでないウサギを想像させないように問題文を作ることは可能です。
さて,問題文が「ウサギが3匹、耳はいくつ?」のときに,
「ウサギの耳は、『同一個体の、左右の耳』より『別々の個体の、左耳どうし』のほうが似ています→「僕は、左耳が3個・右耳が3個、と考えた」」
という考え方があるのは分かりました。
では,タコの場合,問題文が「タコが2匹,足はいくつ?」のときはどうなるでしょうか。
K.K さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002490 )
Posted by: n at April 11, 2012 05:29> 掛け順固定という余計なことを覚えさせるメリットがあるのかどうか。子どもがそれを覚える労力と時間を、もっと勉強を進めることに使った場合はどうか。
これは逆の立場でも同じことが言えます。掛け順自由でしか教えない場合にデメリットはないのかということです。
日本式→「1つ分×いくつ分」で統一
欧米式→「いくつ分×1つ分」で統一
となっています。掛け順自由で教えるトータルな教育プランが見当たらないため,本当にメリットだけなのかが示されていません。
あえてあげるならブラジルになるでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20111109/1320785343
ただし,これは国民性によるものなのか,きちんとしたプランがあるのかは分かりません。
nさん(http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002496):
>これは逆の立場でも同じことが言えます。掛け順自由でしか教えない場合にデメリットはないのかということです。
私は、そういう「どちらかだけ」ということは言っておりません。「掛け順固定しか駄目」「掛け順自由でしか駄目」のどちらにも反対です。
原則としては、掛け順自由を目指すべきものです。掛け算の可換は、後で明確に教えるわけですから。そして、それは使えるようになる必要がある。
しかし、掛け順で迷う、あるいは立式間違いや計算間違いをしやすいといった理由があれば、当座の便宜的方法として、その子のやりやすい方法で順序を付けることを教えるのも、またいい方法ということです。
>日本式→「1つ分×いくつ分」で統一
>欧米式→「いくつ分×1つ分」で統一
>となっています。掛け順自由で教えるトータルな教育プランが見当たらないため,本当にメリットだけなのかが示されていません。
どこでそうなっていますか?
確かに日本では、教師用アンチョコである教科書指導書では、対応する教科書には記載されていない「1つ分×いくつ分」強制の記述があることが主要6社で全て不気味なほどそっくりなことがネットなどで報告されています。
本当に欧米ではそうですか? ネットで検索して頂いても分かると思うのですが、multipicandとmultiplyer、どっちがどっち?の質問に、いろいろな答えがありますよ(そして「でも気にするな」的なことを言っていたりする)。
欧米では、英語で言えば、掛け算記号の読み方で、timesがmulitiplied byに取って代わったということがあります。それがmultipicandとmultiplyerの混乱の原因です。
しかも文章題から、multipicandとmultiplyerに何を当てはめるかは、また別問題であることも留意すべきです。
>あえてあげるならブラジルになるでしょうか。
>http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20111109/1320785343
ただし,これは国民性によるものなのか,きちんとしたプランがあるのかは分かりません。
そのブログの方、ツイッターに出てきて掛け順擁護しようとして、ボロカスに言い負かされてましたよ。
そもそも、自分で意見を作れず、都合の良さそうなものを拾ってくるだけですから、当たり前ですけどね。
社会人の常識に反してまで、掛け順に正誤があるというのなら、それなりの意見を示さねばなりません。自分と似た意見があるというだけでは、何の意味もありません。
もし、掛け順自由のほうがいいということを、他人の口を借りていいのなら、私とてそのほうが楽です。幸いにして未だに圧倒的多数の社会人が掛け順で正誤など知りもしません。小学校の算数であると言ったら、みんなびっくりして、それはおかしいと言います。
そういう人にどんどん出て来てもらって、掛け順固定固執したい人に説明してもらうことを求めることは可能です。
中国では、被乗数・乗数と呼ぶのは止めて、どちらも因数にしようという報告書も出ています。それを出して反論を求めることも可能でしょう。
でも、それはやりません。まず私がそういう、自分の頭を使いもしない、投げやりなことを認めていないからです。たとえば権威頼りでは権威の見えない所では無力です。また、後にまとまって系統だったものを残せません。安易であれば、終わりのないもぐらたたきです。
これは算数ギョーカイでは不利です。掛け順固定が多数派で、しかも教科書指導書で記述させていることに見られるように、ギョーカイで高い地位を持っている。
これに反対するには、一般「常識」以外には何も武器や盾はありません。それでも、やる必要があります。
疑似科学、似非医療と同じく、有害な非常識は潰していかなければいけないのです。今の子どもたちが、将来、世界の恥さらしにならないためにも。
Posted by: K.K at April 11, 2012 11:59>では,タコの場合,問題文が「タコが2匹,足はいくつ?」のときはどうなるでしょうか。
「トランプ配り」です。
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at April 14, 2012 17:34K.K さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002497 )
コメントに出典のない引用が多すぎです。引用には出典をつけるか,出典のない引用はしないかのどちらかでお願いします。
ゴルゴ・サーディーン さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002498 )
Posted by: n at April 18, 2012 02:54それは,「『同一個体の,1本目の足と2本目の足』よりも『別々の個体の,1本目の足と2本目の足』の方が似ているから」という理由なのでしょうか?
>『別々の個体の,1本目の足と2本目の足』の方が似ているから
それは
「別々の個体の,1本目の足同士』の方が似ているから」
の間違いですね?
で、答えはNOです。
では何を言いたいかというと、
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at April 18, 2012 20:44「ウサギの耳の問題で 3×2 をバツとするのは非合理だという
ことが判った今、それでも順序主義を続けるのですか?
異種菓子詰め合わせは箱を横断するようなグルーピングが出
来るとしても、全部同種の菓子のときはあいかわらず箱を横
断するのはダメだと言い続けるのですか?」
ということです。
ゴルゴ・サーディーン さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002501 )
失礼しました。言いたかったことは「『別々の個体の,1本目の足同士』の方が似ているから」です。
「”1つ分”と”いくつ分、何倍”」という物はあるのです。( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002459 )
とおっしゃるので,それを子どもに学ばせるための統一的な見解があるのかと思い,対話を続けてきましたが,
・ウサギの耳は、『同一個体の、左右の耳』より『別々の個体の、左耳どうし』のほうが似ています→Yes
・タコの足は,『同一個体の,1本目の足と2本目の足』よりも『別々の個体の,1本目の足同士』の方が似ているから→No
ということで,どうやらそうでないということが分かりました。
もしかして,「かけ算には順番がある」という主張の「穴をつくことだけ」を議論の対象となさっているのでしょうか?
だとすれば,これまでの議論はまったく無駄ということになります。
「”1つ分”と”いくつ分、何倍”」という物はあるということは,立式では「1つ分×いくつ分」あるいは「いくつ分×1つ分」のいずれかになるということになります。
ゴルゴ・サーディーンさんは,どちらでも差し支えないとおっしゃっていますよね。 ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002468 )
しかし,私たち日本人は「1つ分×いくつ分」で教育を受け,訓練されてきているのです。
例えば,九九で,2の段で言うと「ににんがし」の次に口をついて出るのは「にさんがろく」です。これを否定する日本人はいないでしょう。
九九は,「子どもが交換法則を経験的に見つけ出す」ことの例として引き合いに出されることがありますが,子どもが見つけ出すのはそれだけではありません。
2×1=2, 2×2=4, 2×3=6, 2×4=8,…
と,「2が1つ分なら2」「2が2つ分なら4」「2が3つ分なら6」のように,「いくつ分」が増えるごとに答は「1つ分」ずつ増えていくことも見つけます。つまり,見つけるのは「1つ分×いくつ分」です。
それなのに,なぜ「いくつ分×1つ分」でもいいのだとおっしゃるのでしょうか? これでは先生の教えていることに一貫性がなく,いたずらに子どもを混乱させるだけとしか思えません。
子どものことは放っておいて,議論に勝つためだけというのであれば「それもあり」だと思いますが,不毛です。
>もしかして,「かけ算には順番がある」という主張の
>「穴をつくことだけ」を議論の対象となさっているのでしょうか?
穴があるのは、それが嘘のルールだからです。
私が「トランプ配り」よりも「異種菓子詰め合わせ問題」の方
を好んで使うのは、その穴が、より明らかになるからです。
本当は、全部トランプ配りでいいだろうと思っています。
○ ○ ○
>子どものことは放っておいて,議論に勝つためだけというので
>あれば「それもあり」だと思いますが,不毛です。
ウサギの耳の問題で
「 2×3 が正解、 3×2 は不正解」
「 2×3 も 3×2 も、両方正解」
のどちらが本当でしょうか?
「子どもに本当の事を教えよ」と提唱することが、どうして
「議論に勝つためだけ」なのですか?
子どものことを放っているのは、一体どちら側ですか?
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at April 20, 2012 22:03私はいつも、非順序主義の仲間に言っています。
「彼等(順序主義者)が心に悪意を持っていると考えるの
Posted by: ゴルゴ・サーディーン at April 21, 2012 20:14はよそう。
彼等は、自分達の言っていることが正しいと信じている
んだ。それだけは判ってやろう。」
と。
nさん(http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002499):
>コメントに出典のない引用が多すぎです。引用には出典をつけるか,出典のない引用はしないかのどちらかでお願いします。
出典の無い引用とは、どれですか?
ツイッターなら引用元は出しません。ツイートでの議論は保存してませんし、信頼性もありません。
リアルで直接得ている情報源は、ほとんどのものが出典は示しません。そういう約束で教えて頂いたとか、そういうものばかりですから。
当たり前ですが、私が学んだものは出典は示しません。
きちんと学んでいて、自分のものとして示せるものに出典は不要なのは常識です。自己責任で述べるのですから。
一つの短い示唆であっても、膨大な勉強や調査、そして考察を繰り返した結果であることが多いのです。
分からないことがあれば、その時々で尋ねてください。直接説明するか、何を勉強したらいいか、ご質問に応じてお答えします。
逆にお聞きします。この記事での掛け算の英語の読み方関連は、どれだけ裏付けを持っていますか?
私は、ネットで調べた程度ではなく、多数の英語ネイティブに、詳しく訊いて話して見ています。
それは出典は示しようがない情報です。もちろん、ネットの常識として、個人名を示すことはできない。
それも踏まえて言うと、6 times 4が6×4[個]だというのは間違いだ。古いときには主流だった6 multiplied by 4でも同じ。日本語で大人の使う掛け算と同じく、そういう順序などない。
しかし、日本でも問題となっている「文章題での掛け順強制の教え」は、もしくは「幾つ分の数と塊の数」と言った方が良いかもしれないが、たとえばアメリカにもある。それも事実。たとえば「4の2.3個はあり得ない、2.3の4個である」といったものですね。
私はnさんが、どうしてあれだけいともたやすく「英語ならこう」と断言できるのか不思議に思う。よほどに調べて、しかも決定的と確信できなければ、あのような単純な断定はできないはず。
発言の出典を求め、それが無いなら発言するなということであれば、nさんは英語での掛け算について、英和辞書*などではなく、他と比べても決定的に正しいと主張できる出典を示しながら、説明がおできになるのでしょう。
よろしければ、承りたいものです。
------------------------------
* 例:「新英和中辞典 第6版 (研究社)」
http://www.excite.co.jp/dictionary/english_japanese/?search=time&match=&dictionary=NEW_EJJE&block=43659&offset=984
>b [前置詞的に] …かける 《★【比較】 英語では 2 の 4 倍は 8 が,数式では 4×2=8 となる; 日本語では 4 の 2 倍 [4 かける 2] と解する》
こんな、日本語の「2 の 4 倍」が英語を経由したら「4 の 2 倍」という日本語になるような話は愚かしい。
Posted by: K.K at April 22, 2012 16:34K.K さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002507 )
> 出典の無い引用とは、どれですか?
以下にご説明します ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002497 のコメントについてです )。
> 確かに日本では、教師用アンチョコである教科書指導書では、対応する教科書には記載されていない「1つ分×いくつ分」強制の記述があることが主要6社で全て不気味なほどそっくりなことがネットなどで報告されています。
まずはこれです。私もこの類の指摘は読んだことがありますが,
「対応する教科書には記載されていない」「主要6社で全て不気味なほどそっくり」
というようにここまで具体的な報告があるのなら読んでみたいです。しかし,出典がないので辿りつけません。
> 本当に欧米ではそうですか? ネットで検索して頂いても分かると思うのですが、multipicandとmultiplyer、どっちがどっち?の質問に、いろいろな答えがありますよ(そして「でも気にするな」的なことを言っていたりする)。
次にこれです。具体的にはどの発言なのでしょうか。
検索では,同じサイトが見つかるとは限りません。
お互いに違うサイトを参照した場合は,議論がすれ違う可能性があります。
> そのブログの方、ツイッターに出てきて掛け順擁護しようとして、ボロカスに言い負かされてましたよ。
もしそうなら,どのように言い負かされていたのかを知りたいわけです。
しかし,そもそも,このボロカス発言は不要なのではないでしょうか。
引用のない批判は単なる悪口です。
本人の知らないところで陰口をたたかれているのを見るのは,他人ごとながら気分のよいものではありません。
ゴルゴ・サーディーン さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002504 )
お互いに想定している「子ども」が違うと思いますので,「子どものことを放っているのがどちらか」ということに関しては,議論では決着がつかないでしょうね。
nさん(http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002509):
>というようにここまで具体的な報告があるのなら読んでみたいです。しかし,出典がないので辿りつけません。
あなたは「教えて君」「くれくれ君」なのですか? ググレカスですか?
ネット検索で、たとえばキーワード「教科書指導書 掛け算」で検索したのですか?
それでいろいろ出てきます。
さらに「教科書指導書」が「教師用指導書」とも呼ばれることが出てきたりして、検索できるキーワードがどんどん増えて、もっといろいろ知ることができます。
それくらいの手間をかけず、他人に訊いてはいけない。
もっとも、ググレカスを脱して、ググルカス(仮称)になる危険性には気を付けておくべきでしょう。
ネット検索は自分の言いたいことを言っているサイトは、たいていはあります。
だから「ほら、ここに書いてある。だから私は正しい」となってしまうことがあります。
それなら、知らないほうがましだったなんてこともあります。間違った方向に、まさに爆走するケースも見受けられます。
「それは、ここが違う」と言ってみても、次々とWebページを探して提示して来る。こうなると、もう駄目です。
教科書指導書は一般人には入手が難しい。そういうことも調べましたか?
だからそれを持っている人に見せてもらわなければならない。
その方々は、私が批判すると知っていて、それでも見せてくれたわけです。
もしそういう具体例を出せば、見せた人は、「なぜそんな奴に見せた!」と「上司」に問い詰められ、責任を取らされるかもしれない。
そんな迷惑がかかる恐れがあることは、絶対にできない。無償の善意に悪意で応えてはいけない。
だから、私は指導書の写真は撮っていない。見せてくれた人の名前もメモしていない。
しかも、それはずっと長い間、教科書が変わるごとに指導書も変わっているわけです。基本的に、教科書に教師用の朱書きの説明があるものですからね。
そんな、何代にもわたる資料を、ぽんと出典として提示できるはずもない。
そういうことくらい、掛け算に順序ありと断言する記事を書くくらいなら、考えて頂きたい。
>お互いに違うサイトを参照した場合は,議論がすれ違う可能性があります。
私は「一つのサイトでこういっている」と申し上げているのではない。
ネットも調べ、リアルで複数の英語ネイティブにも尋ね、そうして調べ、相手の意図を組んだうえで考察して、述べています。掛け順はあるべき、ということを無下に否定はしない。たとえば、2.4個は自然数の個数より分かりにくい。
nさんが、「違うサイト」をもとに意見を述べてもいいのです。「ググルカス(仮称)」にならない限りは、ですが。
ただ、自分の意見として述べるなら、まさに調べたい題材について、あちこちから串刺しにしたり、切り分けて見たりして眺め、考察して頂きたい。単なるサイト紹介は不要です(散々やってますから)。
>しかし,そもそも,このボロカス発言は不要なのではないでしょうか。
いや、こちらにも書き込まれてる方ですからね。その方は、ここに書き込んでいるのだから、反論の機会は充分にあります。
反論の機会がある方について、その人に分かるよう「ボロカス発言」を述べました。つまり、発言した方の目の前で述べています。それは陰口ですか?
で、記事での英語圏での掛け算順序について、どうなりましたか? 無根拠を認めますか?
Posted by: K.K at April 26, 2012 08:38独り言
久保(廉)さんはこれをよむといい。
http://160.26.62.22/chubun/ohno/batou.htm
http://160.26.62.22/chubun/ohno/hitoriyogari.htm
目のつけどころがシャープです。
K.Kさん
>私は、ネットで調べた程度ではなく、多数の英語ネイティブに、詳しく訊いて話して見ています。
ぷーぷっぷっぷ。これが裏付け?
多数の英語ネイティブ?
それじゃあ、多数の日本人に聞いたら「順序はあるよ」で納得してもらえんの?
昔々、CDの倍速表示が「8×」で、なんで「×8」じゃないの?って思わなかった?まわりには結構いたよ。
で、英語圏のかけ順
本当はNCTM Standardsと解説を見るのがいいんだが有料なのでネットの無料版。
まずは、その名もmultiplication.com
http://www.multiplication.com/learn/fact-navigator
好きなかけ算をクリックするとやさしく教えてくれるよ。
ここもわかりやすいかな
http://www.themathpage.com/arith/mental-arithmetic-multiplication.htm
書籍だとこれの150ページあたりはどう?
http://books.google.co.jp/books?ei=PX6sT6yvGIHemAXd2oidBA&hl=ja&id=RitXafH4_8EC&dq=nctm+standards+multiplicand&q=Multiplication#v=snippet&q=Multiplication&f=false
おまけ イギリスで算数を教えている日本人かな?
Posted by: Eri K at May 11, 2012 18:08http://igirisunogakko.blog98.fc2.com/blog-entry-19.html#more
nさん
これをよむといいと思います。
http://160.26.62.22/chubun/ohno/wakarazuya.htm
ぼくには返信は不要です。
Posted by: Eri K at May 11, 2012 18:40無視して。
Eri Kさん:
あなた自身の論が全くないね。適当にURL並べるだけ。
Posted by: K.K at May 13, 2012 09:43それがググルカス(仮)。
もっと上の方を見てみるといい。
そういうのを全部蹴っているわけだよ。
自分が頭使うべきところを他人にそれをさせようとする。
そういうのでは話にならないわけ。
独り言
>感情に任せて異説を罵倒しても、かえって自分の株を下げるだけです。
>また古典や外国文学の注釈書を読むと、「○○氏の説に従う」という注釈を多く見かけます。自称「研究家」の中には、これにも「自分の頭が悪いから他人の受け売りしかできないのだ。」とかみつく人がいますが、「○○氏の説に従う」というのは、「いくつもの説を比較検討した結果、○○氏の説が最も妥当と判断する」ということなのであって、決して「何も考えていない」ということではありません。先人たちの説を比較検討することも、立派に「自分の頭で考える」ことなのです。むしろ自称「研究家」の方が、自分に都合のよい一つの説だけに固執して、その他の説を初めから一切考慮に入れず、独善に凝り固まっていることが多いものです。
http://160.26.62.22/chubun/ohno/hitoriyogari.htmより
こう考えるのが普通だと思うんだが。
理解できなかったのかな?
がんばろう!31期生
K.K様
「自身の論」? えーっ、「論」?
英語圏のかけ算に順序があるかないかが「論」?
そんな大げさなものなの?
といっても、まともに書くと長くなりすぎるから、面倒なので紹介しただけ。
これでも、分かりやすそうなのを選ぶのに、少しは頭を使っているんだけどな。
ブログ主さんも相手したくはなさそうだし、返事がないからって、勝手に勝利宣言されるのもおもしろくなかったんでね。
I'm interested in studying Englishと言うくらいだから、少なくとも読んで意見してね。
でも、I like the anime はthe だとおかくしくない?late night animesも最後のsはいるの?たくさんのネイティブに聞いてみて。
また独り言
A 「ねえ、英語の主語と述語の順番は決まってるの?」
Posted by: Eri K at May 15, 2012 18:59B 「はい、参考書。」
A 「あなた自身の論が全くないね。適当に参考書を並べるだけ」
「自分が頭使うべきところを他人にそれをさせようとする。」
B 「はあ?」
nさんは、やはり受け売りでしかないのだろうか? それなら何も言えなくなるのもやむを得まい。
一応、整理しておいてあげようか。まずは、英語と日本語云々。
まず、times。これは、以前は主流であったmultiplied byに変わって、主流となった「×」(または「・」だが以下は略する)の読み方である。
だから、被乗数(multipicand)と乗数(multiplyer)が、それに伴って入れ替わったとする議論が「日本ローカル」であったりする。実は、これは間違い。
乗数というのが数学用語でないのはもちろんだが、経済学などでは「乗数効果」などで使う正式な用語。乗法においては、乗数だけあっても意味を成さないので、被乗数がある。
そして×をtimesと読むより、multiplied byという読み方が主流であったことから、たとえば経済学での乗法式としては「×」の後ろを作用因子と見、作用因子であるから、multiplyerとしたにすぎない。
もちろん、数学が数学とて成立する以前から、既にあった言葉を遣っているわけだが。適当な言葉があれば造語する必要はない。
さて、×の読み方であるtimesは、英語圏の辞書的には、もはや名詞timeの複数形ではない。前置詞となっている。意味は、multiplied byだとされている。
http://oald8.oxfordlearnersdictionaries.com/dictionary/times
http://www.ldoceonline.com/dictionary/times_1
そういう英語圏での辞書的な単語分類は、すんなり成立したものではなく、英和辞書では立ち遅れていて、timeの一項目とされており、一部では、かろうじて「前置詞的」という注意書きがあるに過ぎない。
英語圏の辞書では、上記のOxfordが参考になる。timesをtimeから独立させたとはいえ、乗法の場合は前置詞であっても、乗法的なthree times as long as somethingという表現では名詞としている。
もちろん、後者の名詞としてのtimesのほうが、×の読み方としての前置詞timesより、昔からある表現だ。
日本人が日本語の文を読むとき、もちろん読んだ順に理解して行く。そういう言語理解の思考様式を身に着けているので、英語となると、後置修飾という考え方をしたり、名詞に冠詞が付くといった、語順と逆の発想もする。
もちろん、英語ネイティブは、英語の本来の語順通りに理解する。決して日本人のような逆順での理解は無い。名詞に冠詞が付くのではなく、冠詞(あるいは無冠詞)が示すジャンルの中から、特定の名詞が選ばれていく。
×の読みとしてのtimesも、time由来の名詞のままでもよかったにも関わらず、前置詞とされたことは注意する必要がある。英語には、名詞を形容詞的に用いる用法があり、「6倍の4」ということでtimesが用いられているなら、さらに名詞としてthree times as long asがあるなら、わざわざ前置詞扱いする必要はない。
しかし母国語研究のプロである、辞書編纂者がそうしたわけだ。英語は16世紀ころから単語分類が行われるようになり、18世紀には半ば強引とも言える厳しさで、標準英語の文法を「制定」した。よく使われていた表現(一部の二重否定等)も非標準として切り捨てた。俗に学校文法とも呼ばれる。我々が習う英語が、それ由来のもの。
もちろん、その後は制定された英語の変化・発展に従って、お仕着せでない単語分類や文法研究が行われている。×の読みとしてtimesが前置詞とされているのも、そういう事情による。前置詞とするほうが、英語の現状に合っているから、そのようにされている。
これには、もちろんだがmultiplied byより読みやすいtimesに自然に移行したという事情も大いに関わっている。6×4という式を読んだ時の意識に変化があったわけではないのだ。この数式だって、普通に6→×→4という順に読んでいる。それに変化があったわけではない。
これは日本語での読み方も同様だ。明治初期に洋算を取り入れた。×の読み方も、当初はいろいろだった。明治3年には複数の教科書も発行されており、その後も続々と発行や改訂がある。マルティプライドバイとするものもあある。なぜそうなったか不明だが、割り算に用いられるイントゥ(into:2 into 6 makes 3 timesといった表現)が紛れ込んでいたりもする(英語のウィキペディアにも、×の読み方にintoが示され、Talkのページ疑義が呈されていたりする)。
それが、「掛ける」に落ち着いた。「乗ずる」でも良かったのだろうけれども(実際にそう言う人もいる)、大勢は「掛ける」で決した。
こういう議論は、実は周辺であることに注意したい。今の数学が生まれる前から、商業や建築といったことで、実用から発した算術がある。それは「言葉」から生まれたものではない。言葉に算術が必要だっただろうか? もちろん、そんなわけはない。物の個数を数える自然数(数えていたころに自然数という概念はないが)から始まって、数を便利に扱うために、算術が出てきて発展し、もちろん数も拡張されていった。
言葉は、そういう算術を追いかけて行った。言葉で言えた方が便利だし、覚えやすいといった面もある。だけれども、言葉の為に算術が譲るということはなかった。それでは商売に差し障ったり、星を見て暦を作るのに困ったりする。
>これは左側通行か右側通行みたいなもので,言語習慣から来ている。
この森毅氏の言は暴論と言ってよい。算術を扱うに便利なように、言語が拡張され、発展してきたからだ。もちろん言語を壊すのではなく、協調的にだが。算術の為に言語が不便になってはならないし、誰も好んでそんなことはしない。
>ただし,日本式の方が合理的というのが世界の相場だが,一方ではヨーロッパ式の方がすでに流通しまっている。
これも暴論。日本式もヨーロッパ式も、6×4の「便宜的な読み方」が言語に備わっているだけ。敢えて世界の相場と言うのなら、ごく普通に「前から読んでいく」ということにしか過ぎない。その便宜的な読み方で算術を規定などしていない。大多数の人は、だが。
>まあ,これはヤクソクには違いない。足すを+と書き,掛けるを×と書くようなのもヤクソクで,これを勝手に変えたら混乱してしまう。
ここに森毅氏の間違いが具体的に表れていると見ることができる。「足すを+と書き,掛けるを×と書く」のではない。「+を足すと読み、×を掛ける読む」のだから。
もちろん、算数でも、それを含む母体の数学でも、足すは+と書き、掛けるは×(または・)と書くことは間違いない。ここで「間違い」と言っているのは、「発想の順序」」といったことだということに注意して頂きたい。
それが、森毅氏の主張する「言語習慣から来ている」ということ。算術という新たな概念に言語がうまく追随して行ったということを忘れている。言語に対する敬意の欠如とすら言っていい。
また、思考の放棄でもある。なんでもかんでも「ヤクソク」に押し込んでしまう。
ここに引用されていないが、森毅氏は大学入試の採点において、掛け順次第で減点するとすら言った事がある。受験生の不要な不安を招いたことは言うまでもない。
森毅氏のこうした掛け順に関する言辞は、どうも銀林浩氏の影響があるようだ。個人的には「受け売り」とまで聞いたこともある。ただ、私個人としては森毅氏の数学に対する「美学」があるとは思う。
数学で「それは美しくない」という感想があったりする。本来は論理が正しければそれでいいのだけれど、数学をやっているうちに、その見事な整合性などに感じるものがあり、個々人で「これがいい」と思うイメージが出来てきたりする。
ただ、そうした論理に現れないイメージは個々人が自分の内に留めるべきとはいえ、つい口にすることもある。
しかし森毅氏のように、他人に強いる、しかも減点を以て脅かすなどは論外と言える。ましてや、自然言語から数学に逆流されたものであっては、たまったものではない。
英語・日本語云々で、ほんの少し語ってもこれだけある。英語にも携わる者としてだが。
nさん。あなたはこの記事でこう言っている。
>小学校の算数で習う文章問題のかけ算では,順番があるということを覚えておくと,のちのち色々役に立つ
何の役に立つのか? 中学入試? 算数ギョーカイで飯を食うため?
大人になれば、もし掛け順を教わっていたとしても、ほとんどの人が忘れている。教わった記憶があっても、使うことも無い。
これは当たり前の現象だからだ。不要なものは忘れてしまうのである。
また、区別できないものを区別させられるのは大変なストレスになる(人間に忠実なイヌをお使った動物実験ですら確かめられた事実)。
不要で苦痛な物を覚えているわけがない。
そして、こうも書いている。
>「もう信じらんない!」と言い張って抗議する親はモンスターペアレント (ってかモンペ) になること必至
どうでもいい掛け順をどうでもいいはずだと言ったら、何故モンスターペアレントと断言したのか?
一般常識として掛け順などどうでもよい。もちろん、伝票などで様式が決まっていればその通りにするし、そうした、個々の都合による約束(一種の業界標準とも言える)があれば、そうする。
そうできるのは、そして、それがそれで都合が良いと分かるのは、ベースとして掛け順は算数・数学としては、どうでもいいという一般常識があるから。
正しい掛け順があるという刷り込み・思い込みがあれば、柔軟に対応できない。周囲に迷惑がかかる人になりかねない。
我が子を、社会で普通に生きて行ける人間に育てたい親が、何故モンスターペアレントなのか?
そういうレッテル貼りするnさん。あなたは何者なのだ?
Posted by: K.K at May 20, 2012 07:29K.K様
長く書いているが意味不明。
特に次のような安易な断定が多すぎ。
アカデミックなところで議論の作法をたたき込まれた人間にとっては、とても気になる。
>乗数というのが数学用語でないのはもちろんだが、
マジでか?
数学用語とそうでないものの線引きはよくわからんが、次の書籍(どっちかと言うと数学教育と言うよりは数学っぽい書かな)では、初期のかけ算の説明でmultiplicandが使われているぞ。引用は面倒なので自分で探してくれ。
まあ、×の左側の数字とか言うより、被乗数と言う方がわかりやすいしな。代数系に入ると、factorになるな。
まず数学用語とそうでないものの違いを説明してくれ。「または」は数学用語だよな?「合同」は?「因数」は?「因数」が数学用語なら、「乗数」も数学用語だろう。違うか?
CB Boyer… - 2010 A history of mathematics
J Harris… - 1998 Handbook of mathematics and computational science
STL Heath - 2003 A manual of Greek mathematics
>英語にも携わる者としてだが。
ということだけど、英会話学校に行ってるくらいだと思ったけど、語学としての英語の研究をしたことがあるの?勉強しました、ていうだけ?
二中出身の彼も、塾で英語を教えていたっけ。選挙にも出たやつ。彼にも教わったの?
twitterの自己紹介でも watching Animes って、何でAが大文字でsが付くの。
気になっているんで教えて。
薄々気づいていると思うけど、僕はK.K.さんを特定していますよ。
職場の近くには、びっくりドンキーありますよね。
もちろん晒す気なんてありませんからご安心を。
でもね、文系サラリーマンのググルカスでも簡単に分かったんだから、結構みんな特定していると思うよ。匿名だとは思わない方がよいですよ。
ずいぶんと年上の人にこう言うのは何ですが、51歳なんだから落ち着いたら?
twitterでの罵倒も酷いよ。
明後日演奏会をするお友達も知っているの?
ところで、英語圏のかけ算に順序はないの?
nさん
気に障ったら、削除してもいいですよ。
Eri K さん
Posted by: n at May 25, 2012 05:34議論に関する有用なリンクはご助言と捉えています。
コメントには感謝しています。
これを書いた人へ。
>匿名だとは思わない方がよいですよ。
匿名は相手を憚ってのことだけどね。実名の相手には遠慮する人もいるからなあ。
また、ここの記事に最初から全否定の総レスをするつもりなら、最初から実名で書く。それが礼儀だろうね。
>薄々気づいていると思うけど、僕はK.K.さんを特定していますよ。
ところで、あなたは「足跡」を残し過ぎだ(苦笑)。何かするときは形跡を残さずしたほうがいいと思うよ? 訪問や書き込み時期とか含めてね。
身元を知っていることをちらつかせれば、どうにかなると思っている人間は、自分の身元がさらされることを怖れているものだ(笑)。
びっくりドンキー? ああ、あったね。いつの頃の話をしている? その近くにある「職場」とやらに電話でもしてみることだ(大笑)。
ちなみに、その時期、それ以前のパソ通時代(このときは実名投稿)、周囲は私がどこで何を書いたか知っているよ。あのころは、自分の書き込みを自慢してたからねえ。青臭いことだが。
>もちろん晒す気なんてありませんからご安心を。
気にするな。好きにしたまえ(笑)。
まあ、私が実名を名乗って、大量の書き込みを始めたら、あなたが始めた、少なくとも強く後押ししたことになる。
それがnさんや他の方の迷惑になるようなら、あなたの情報を公開してもいいだろうね。ネットにあるんだし(苦笑)。そのほうが、あなたも以降はやりやすいだろう(笑)。
くだらない質問にも答えておこうか。
乗数(multiplier)という一般用語はある。経済学などでは頻繁に用いる。対応する語として被乗数(multipicand)も同様だ。
しかし、数学として定義できていないということだ。だから数学用語にはない。
Animesかね? 日本のアニメという意味で書くときには、しばしばそうする。
>英語圏のかけ算に順序はないの?
ないね。
まったく、不勉強で甘ったれな人間は手がかかる。優しく扱ってやればつけあがるしね。
以降、あなたが何を書いても取り合わない。「もうやめてくれ」とかいったことを含めてね(笑)。
Posted by: K.K at May 26, 2012 14:59こうしたくはなかったんだが。
Eri K氏の書き込みで言及された法人が目を付けたようだ。
情報漏えいに過敏といっては悪いが、気にしているところも多い。
最早、私の手に負えるものではなくなった。
nさんの2行レスもまずかったらしい。放置以上に推奨と見做された可能性もある。
私とて、大手法人に喧嘩を売ることはしない。メリットがないしね。
私としては、これで手を引く。巻き込まれたくはないしね。以降、書き込みは遠慮する。
nさんには固定メールアドレスを渡していたのに、残念だ。
Posted by: K.K at May 31, 2012 07:40K.K さん
>Eri K氏の書き込みで言及された法人が目を付けたようだ。
おもしろすぎ!
「職場の近くにびっくりドンキー」があることが機密だったとは!
情報漏洩?
ここで書いたのはすべてあなたがブログ、twitter、facebookで書いたことなんですがね。
その他も、あなたの書いたものをたどればネットで読めるよ。
となると、情報漏洩したのはK.Kさんですね。
もし、その法人からなんか言ってくるのなら、弁明としてK.Kさんが先に公表していたという事実を示すためにも、K.Kさんの書いたもののリンクを公表しなければなりませんね。
どうしましょうか?
K.Kさんはあちこちで(特にtwitterで)、他人を罵倒しているので、敵が多いでしょ。さっきもtwitterで他の人をあほ呼ばわりしていたでしょ。ぼくでもわかるような情報だから、他の人もとっくに知っているよ。気をつけたらいいよと、親切心で教えてあげたのにな。
ほんとに、50過ぎてんだから、大人になりなさいよ。
海鮮中華丼に手が出ないのには同情しますが。
nさん
Posted by: Eri K at May 31, 2012 10:07お騒がせします。まあ、はったりです。
昔、法務系の仕事もしましたので、その点は気をつけておりましたよ。
ぼくの書いたもので、企業が動くような情報なんてありません。どこもそんなに暇じゃありません。
ここで書いたものだけで、何も特定できませんし、上に書いたようにすべてネット上で公表されているものです。
万が一、何かありましたら、ここで書いて頂ければ、ぼくが対応します。
時々見ております。
ご安心ください。
nさん
本題はここから。
「掛け算の順序と自然言語の対応についてちょっとだけ」
http://d.hatena.ne.jp/dlit/20120223/1329972884
でnさんの記事が取り上げられているのを見て、ちょっと考えました。
簡単に「算数と国語は違う」と言い切ってしまっているのも見るけど、数式や記号を形式言語と考えれば、国語と違うというのも安易なような。
先のブログでは、
>なぜ自然言語上の違いを式にも反映させるべきかという論理そのものは詰められていないように思います。
べきも何も、元々自然言語で語られていたのが面倒なので数式に言い換えただけじゃないんですかね。いやでも反映してしまう。それがヤクソク。
反対派は自然言語と数式が別系統で発生したような感覚ですね。日本は、結果としてそうなっているんで、そこから抜け出せない。
つまり、
西欧 自然言語で計算→面倒だから数式を開発=自然言語と数式が一致
日本 自然言語で計算→明治に数式を輸入=日本語と逆だったので、日本語にあわせた
ということで、数式の文法に自然言語の文法が反映しているというか、
そもそも文法も、文法書に書いてあるからじゃなくて、みんながその文法で使っているから文法として認められているんですよね(言っている意味がわかりにくいが…)。
以下引用
一般に, 数学記法は自然言語, 特にヨーロッパ系言語の略記から生まれている.
例えば, 加法の + 記号は英語の and に当たるラテン語 et を早く書いたものが始まりだといわれている. 実際, 英語 “a and b makes c” の語順通りに数式 a + b = c の記号が出現する. この数式を「a 足す b は c」と読ませたのは先人の知恵だろう. 本来の日本文は「a に b を足すと c になる」となるはずで, この語順に記号を並べるとa b + c = となる.
数学記法が自然言語の略記であるなら, 言語的側面を持つことは想像できる. 本節では数学記法を言語として捉え, その習得の難しさについて, 生成文法理論や第二言語習得研究と呼ばれる言語理論によって説明を与えたい.
ものすごく中略
数学記法の構造と近い言語を母語とする話者は記法習得が有利になる. 日本語母語話者は英語母語話者に比べて不利な立場にあることがわかった.
http://pal.las.osaka-sandai.ac.jp/~hirai/pdf/study/kinsu06p.pdf
ということで、自然言語とかけ算の順序が結びつくと理解しやすくなるんじゃないかな。
Posted by: Eri K at June 05, 2012 18:15フランス語のように数詞そのものの構造にかけ算の順序が潜んでいるものもありますよね。
ちなみにぼくは数学教育や数学についての専門的な教育を受けていません。
こう考えたのは、CDの倍速表示に違和感があったことですね。
「8×」を見て、何で「×8」じゃないんだ?と。まわりのみんなもそう。
でも「英語表記だよ」で納得。
「8×」が違和感で「英語表記」で納得はなぜでしょうか。
格助詞の「が」と「は」の使い分けは、特に文法として習ったからではなく、経験の中で身につくもの。「かけ算の表記」も習ったことよりも、身の回りの表記がそうなっているから、自然とそう考えるようになった感じかな。
例えば、「ポイント2倍」なんてのは、ローソンも楽天も全部「×2」になっています。英語では、「2×FASTER」と逆順。
http://news.mynavi.jp/news/2009/06/09/009/index.html
そういうのを見慣れていたんだな。それが文法。
(言っている意味がわかりにくいが…)と書いたところで言いたかったことは、こういうことです(まだわかりにくいか)。
ちなみに、いろいろと検索してて感じたのは、教育心理の文献が多いこと。そして、関連した海外の研究(教育心理)も多いことです。
数の概念の獲得や計算の概念の獲得は、発達心理の素材としては結構いいのかもしれません。例えば次の文献は、ほとんど海外の研究をもとにして、日本の数学教育の成果は微塵も感じませんね。
http://repository.aichi-edu.ac.jp/dspace/bitstream/10424/2589/1/kenkyo4897104.pdf
ぼくは、どっちかというとこういうことを学んできたので、それほど違和感なく読めました。
Posted by: Eri K at June 07, 2012 18:41以上、補足です。
Eri K さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002526 http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002527 )
コメントありがとうございました。触発されて色々考えました。
なるほど,数式が (西欧の) 自然言語の言い換えだと考えると,いろいろ辻褄が合ってすっきりします。きっとそうなのだろうと思います。
数式のような表現には「8x」の他に「4×100m」リレーというのもありますよね。そこでも「(いくつ分)x(1つ分)」が守られています。
フランス語の数の読み方には気が付きませんでしたが,確かに「95」は「4 20 15」なので,「(いくつ分)x(1つ分)」になっています。
数式表現がドイツ,イギリス,スイス,フランスあたりで作られたことを考えると,
http://www.rimath.saitama-u.ac.jp/lab.jp/fsakai/language.html
西欧語族ではこの順番が一般的だと考えてよさそうです。
自然言語からの派生というのは,プログラミング言語も同じ感じがします。どの言語もだいたい for, while などの自然言語の用語を使っています。
逆ポーランド記法については,このブログでも取り上げたことがあります。
http://nlogn.ath.cx/archives/000718.html
日本語は「a b + c =」のようにイコールまで逆ポーランド記法で表現できるという点で形式的に上手くできている言語だと思います。
英語はたし算を「the sum of A and B」とも表現できるので「+ A B」というポーランド記法と親和性が高いですが,イコールまで同一の順番ではありません。
数式を輸入するとき,かけ算の順番を逆にしたのはよい選択だったと思います。そして数少ない成功例だともいえるのではないかとさえ思っています (失敗例はモールス符号など)。逆順にしなかったら,日本語とのつながりがなくなり,だからといって英語を教えるわけにもいかず,という苦しい状況に陥ることになったのではないかと想像します。
Posted by: n at June 08, 2012 03:42nさん(http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002528):
セキュリティ問題については、もう何も言わないことにしておく。そのことについて、私があなたの弁護をしていると思われてはかなわないからね(苦笑)。
しかし本論に戻れば、あなたが掛け算を語る資格はないことは、最早明らかだろうね。コメントを追えば分かることだしね(苦笑)。
>数式表現がドイツ,イギリス,スイス,フランスあたりで作られたことを考えると,
何を見て来たのかね? こういう学問は時代的に言語的にはラテン語なのだが(笑)。
>自然言語からの派生というのは,プログラミング言語も同じ感じがします。
まあ、当たり前なのだがね。
>どの言語もだいたい for, while などの自然言語の用語を使っています。
その通りだけどね。
算数でオカシナことを言う人間にはコンピュータ言語から数学が発祥しているかのような誤解が多いようだ。ツイッターでも苦労しているよ(苦笑)。
>逆ポーランド記法については,このブログでも取り上げたことがあります。
あなたは算数の掛け算について、この記事で述べていたと思うけどね。電卓とか、そういう方面に思考が向いちゃったのかね?(笑)
>数式を輸入するとき,かけ算の順番を逆にしたのはよい選択だったと思います。
してはおらんよ。明治時代の算術教科書を読みたまえ。「マルティプライドバイ」なんて出て来るよ。算数ギョーカイのある出版物で九九について、そういうことを書いて笑いものにされた例はあるけどね(笑)。
何を間違ったか「イントゥ」までね。これが英語のウィキペディアに逆輸入されたのは日本の葉鹿もしれない。
どれも、そのままカタカナ読みしてね。
そして、そのもととなったラテン語の文献でも読みたまえ。今なら英語に翻訳して、かなり正確に読めるよ? なぜそうしない?
そして、あなたの結論は、
>想像します。
でしかないわけだ(大笑)。
これだけの記事をまとめるからには、少しは調べたのかと、最初は期待した。
しかし、これを書くずっと前から、「聞いたことが無いことを聞かされて、『うわーい、凄いこと知っちゃった』と嬉しがって舞い上がり、受け売りした」ことは明らかだ。
非常に残念ではあるが、今までこういうことはよくあった。
とある法人に睨まれない程度に、ここを「受け売りするのはこういう人間だ」という、いいサンプルとして紹介してみることにしよう。
最後の忠告として、「いろんな意味で身を慎んだ方がいいと思うよ?(苦笑)」とだけ、申しておいて差し上げよう。
総括:
馬鹿の見本をありがとう(大笑)。
Posted by: K.K at June 10, 2012 02:53「あなたが何を書いても取り合わない。」と言われたので独り言
「もうやめてくれ」とも強く言いたい。
ていうか、やっちまったな、て感じかな。
nさんは、ドイツ「語」、英「語」…とは言ってませんよ。
参照のリンクでも、加法・減法はウィドマン(独)、乗法はオートレット(英)と数学記号の創始者の国籍を言っているんだよ。参照のリンクを見れば、ギリシャ語やラテン語が起源になっていることは、ご承知だと思いますよ。
ついに日本語が読めないことが明らかになりましたね。
ついでに、
>こういう学問は時代的に言語的にはラテン語なのだが(笑)
は、こう添削したい。→この時代の、こういう学問の言語はラテン語なのだが(笑)
〜的 〜的 「的」使いすぎ! 超恥ずかしい!
>「いろんな意味で身を慎んだ方がいいと思うよ?(苦笑)」
で、何で忠告に「?」が付くの? しかも文末の「思うよ」に「?」が付くか?
日本語に不自由な人との議論は疲れるよ(苦笑)
これが本当の馬鹿の見本だね。
>想像します。
これは、安易な断定をしないという、学問的誠意ですよ。それが分からないとは、トホホ。
彼の人は、安易な断定をしすぎ。
近代デジタルライブラリー 明治22年 数学用語英和対訳字書
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826493/5
これには「被乗数が」出てるよ。「数学用語」の対訳書だよ。
『数学英和小事典』にも「被乗数」の項目があるよ。何でだろうねえ。
nさん
調べ中ですが、海外では「かけ算の順番」が問題になったことはないようです。
Math Warというのもありました。
http://www-gse.berkeley.edu/faculty/ahschoenfeld/schoenfeld_mathwars.pdf
数学者から「かけ算は同数累加ではない」との提案で論争もあったようです。
Multiplication- repeated addition? ROBERT. D. BECHTEL and LYLE. J. DIXON.
http://www.jstor.org/discover/10.2307/41185606?uid=3738328&uid=2129&uid=2&uid=70&uid=4&sid=47699079087557
それでも、「かけ算の順番」が議論になったものを見つけることはできません。
英語に携わる某氏に期待したいところですが、たぶん無理でしょう。
それは、自然言語から順番がすんなり納得できるからではないかと推測します。
Posted by: Eri K at June 11, 2012 19:19逆の例としては、日本語の数詞は10進法なので、日本人に10進法は理解しやすいと言います。誰もが、これに違和感を感じません。なぜ10進法なのか問題にもなりません。
でもアメリカやイギリスには、12進法にしようと主張する人たちもいます。
http://www.dozenal.org/
http://www.dozenalsociety.org.uk/
根拠はいろいろとあるようですが、ちょっとおもしろいと思います。
Eri K さん (http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002530 )
西欧でかけ算の順番が話題になったことがないのは,それを疑問に思わないからなのでしょうね。
疑問に思うということは,すなわち自分たちの使っている自然言語の語順を疑問に思うということになってしまう。
一方で,日本では「自然言語と数式が別系統で発生したような感覚」 ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c002526 ) の人がいるため,問題になる。
西欧 数式は自然言語の補助言語 → 表現も自然言語の語順を保持
日本 数式は自然言語との関係が薄い → 表現は数学の性質を反映
なのでしょう。反対派の主張に私は賛同しませんが,「表現はその内容に合わせるべき」という考え方自体は間違っていないと思います。
アメリカの Math Wars というのはこれはこれで面倒な問題ですね。
Posted by: n at June 17, 2012 07:13どこか茶会運動と似た印象を受けます。政治経験のない候補者が勝ち進んだりするところをみると
http://dictionary.goo.ne.jp/study/newsword/monday/20101008-01.html
何もないところから出発させるという考え方をする人が結構いるのかも知れません。
>西欧でかけ算の順番が話題になったことがないのは,それを疑問に思わないからなのでしょうね。
>疑問に思うということは,すなわち自分たちの使っている自然言語の語順を疑問に思うということになってしまう。
たまに覗いて見ればこれだ。
あのさあ、nさん。あなたはどこまで無知なのだ?
たとえば割り算。6÷3を、3 into 6 makes 2 times.なんていうこともあるんだよ。数字の順がまるっきり逆じゃないか。しかし、日常的にある。
どこに、自然言語から定まる現在の四則演算があるのかね? 他言語を学び、その出自から算数の関わりを調べたのかね?
2/6を、two by sixとも言う。「/」と「÷」は等価だ。2÷6は等価なわけだ。byはoverとも言うがね。
欧米でも掛け順で議論があるのだ。それが日本発祥で無いよう願って調べているがね。
幸い明治の教科書、「洋算」つまり「算術」教科書を調べる限りは、輸入された可能性もある。元からそういうものであれば、日本のせいじゃない。
ただ、その元になった教科書(ラテン語なので読解に手間がかかる)に、掛け順が明示されている形跡は、今のところ見つけられない。明治3年には今の「サンドイッチ方式」が、算術教科書に現れているのにね。
そこを悩んだりもする。今の掛け順重視の人々の根底を考えるにはね。掛け順自由を主張しても、そこまで考慮しているのだ。それは私だけではない。掛け順自由派の共通認識だ。
nさん。自分の考えを言うのはいい。それは私は気にしない。
しかし、他人に向かって、しかも「モンスター」と罵倒して言うなら、ツッコまれて当然だ。
そういうことをやって、しかも改めない。私はあなたが受け売り屋と判断したから、もうどうでもいいが、面白がる奴が乱入してきたら炎上するよ?
この記事で述べたことを、あなたは多数を相手に支え切れるのか? 少なくとも、多数の子どもと、その保護者から散々に、あなたの言説の正当性を問われる。それをよく考えるべきだろう。
忠告しておく。怪我をしないうちにやめておけ。珍しいことを聞いたと思って嬉しがるな。算数は、あなたのオモチャではないのだ。子どもが真剣に取り組む学問だ。それを軽々しく扱えば、それ相応の報いを受けるだろう。
Posted by: K.K at June 24, 2012 13:39まだ、このページあったのか。てっきり、404と思ったのに。
社会的生命の要らん奴らは大胆だね(苦笑)。
あちこちで、情報集まってる(らしい)。なんとかKさん。
最初にここに絞ってれば良かったのにね。雉も鳴かずば撃たれまい。
職、大丈夫なのかなぁ。失うにしても得るにしても。Eなんとかさん。
まあ、nなんとかさんも同様か(笑)。蟹は己に似せて穴を掘ると言う。自分が恐れるものは、他人も怖がると思うんだろうね。
まあ、好きにすることだ(大笑)。まあ、同一人物視だけは気を付けたまえ。
ん? 俺? 当ててご覧(苦笑)
P.S.
串って向こうが見えないと思う人は気楽だね。格好の餌食となるんだけど。いや、俺はやらんがね。串なしでも、俺が直接そうこうはしない。
まあ、そんだけ。
Posted by: K.K at August 06, 2012 02:31教員を志望している学生です。
掛け算の順番問題に興味があり、記事を読ませていただきました。
順番にこだわるということに私は否定的な考えを持っています。記事の内容を踏まえながら質問をさせていただきたいのでお答えいただければ幸いです。
?単位という考え方から捉えた場合。
算数は数学と物理に分かれていく…この中でも物理という方面を大事にしたいいうことですが、単位の掛け算が【個】×【人】=【個】という単位の掛け算は便宜的にはかっているだけで本来の単位の掛け算ではないように思えます。単位の掛け算における式は恒等であることが国際的な基準としてもうけられておりそれにのっとった考え方をするならば
【個】/【人】×【人】=【個】であります。
サンドイッチ法だなんてとんでもなく、物理方面の単位を重要視する学問でも全く通用しないものではないでしょうか。
?近年文字式を高学年に導入した背景として。
中学教育への前準備だと思われますが、文字式を使う以上は数学ではないでしょうか。
そこでy×8≠8×yというふうに文章題だから…ということで教えるのであれば前準備どころか生徒が混乱してしまうのではないでしょうか?
?数学ではなく算数である。という意見について。
なるほどなぁと思いながら読ませていただきました。
算数という学問を教えている中で数学を持ち出すなということでしょうか。たしかに一理あるのかもしれないと思い自分なりに考察させていただきました。
ですが掛け算には3つの法則があることを認めた上で順
序を気にするというのはいかがなものでしょうか。
数学を持ち出しているわけではなく算数という枠組みの中で習うことですよね。
文章的な意味で〜ということであっても
【個】×【人】=【個】のようなサンドイッチ論法を仮に認めるとするならば【人】×【個】=【個】はなぜみとめないのですか?(単位の計算としては上記どちらも間違いではありますが、仮に主張であるサンドイッチの式をみとめるのであれば)
自分の主張としましては、そもそも文章題とかそういうものは全く関係ないですし、それによって反論をする人は論点がずれているのではないかと思っています。
掛け算で結合法則、分配法則、交換法則が成立すると教える以上
掛ける数×掛けられる数=掛けられる数×掛ける数
という式を認めないというのは子供に混乱を与えるだけではありませんか?
教員志望学生 さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c003297 )
> ?単位という考え方から捉えた場合。
> 【個】/【人】×【人】=【個】であります。
それでいいと思います。上記の記事では,【個】×【倍】=【個】として書いています。
> ?近年文字式を高学年に導入した背景として。
欧米式の 8×y が 8y に容易に移行できるのに対し,日本式の y×8 は逆転しなければならないという欠点があるのは,記事中に書いた通りです。
> 掛け算で結合法則、分配法則、交換法則が成立すると教える以上
> 掛ける数×掛けられる数=掛けられる数×掛ける数
> という式を認めないというのは子供に混乱を与えるだけではありませんか?
確かに混乱を与える可能性はあります。しかし逆に
Posted by: n at December 18, 2013 01:44「掛ける数×掛けられる数=掛けられる数×掛ける数」
であることを最初に教えることにも,混乱を与える可能性はあります。
かけ算の導入では,「掛けられる数×掛ける数」の順番で統一されています。九九の順番がその例です。
すべての法則を一度に教えるのは無理です。
まずはこの順番でかけ算を身につけるのが大切だというのがこの記事の主張です。
現代数学の考え方でも右から掛けるのと左からかけるのはたとえ整数環上でも区別する。ごっちゃにすることは決して(というのは言い過ぎだが正確を期する場合は)ない。饅頭3個5皿を饅頭3個×5とすべきだというのはそういう考え方を小学校に持ち込んだだけ。交換法則が成り立つのは「数」どうしの掛け算。ここがわかってないひとが多い。
Posted by: nomisuke at January 06, 2014 02:22上のホーをテキトーに跳ばし読みしったら
>くだらない質問にも答えておこうか。
乗数(multiplier)という一般用語はある。経済学などでは頻繁に用いる。対応する語として被乗数(multipicand)も同様だ。
しかし、数学として定義できていないということだ。だから数学用語にはない。
というのがあって微笑ましい。数学用語にも(廃れた言い方であまり使わんしmultiplierは他の語と組み合わせて特別な意味で使うことが多くなったが)。。。ある。
言葉はともかく「数学として定義できていない」どころかきっちり定義して区別する。こともひとこと言っておく。笑。
Posted by: nomisuke at January 06, 2014 03:37読みしったら (誤)
読みしとったら (正)
Posted by: nomisuke at January 06, 2014 03:40補足。ブログ主の引用した箇所で森毅が言いたい事を具体例で説明すると次のようになる。なお、森毅の言う「日本式の方が合理的というのが世界の相場だが」というのは森毅独特の故意のだまくらかしの可能性もある。「世界」というのは「数学のよくわかったホンマモンの数学者の世界」という意味であろう。
以下
m×5=m+m+m+m+m
という「定義」を採用する。
【問題】饅頭3個5皿で饅頭は全部でいくつか。
*解答(正解)
饅頭3個×5=饅頭(3×5)個=饅頭15個
*誤答
5×饅頭3個=饅頭(5×3)個=饅頭15個
★理由:5×饅頭3個は定義されていない。
☆反論:交換法則があるからどちらも同じ。
★反論への反論:饅頭の個数と乗数の交換法則といっても、そもそも5×饅頭3個が定義されていない以上意味が無い。
☆「反論への反論」への反論:饅頭3個なんて言うからおかしい。3と書けばよい。
★「「反論への反論」への反論」への反論:3と書いても饅頭3個を表す3ゆえ5とは立場が異なる。従って5×3(饅頭3個の3)は相変わらず定義されていない。定義されていないものを定義されているかのように扱い「交換法則の成立」というそれらしいコトバを持ち出しているだけ(の論理的にはまったく破綻した議論)である。
参考までに。正しい交換法則の使い方(使うメリットはないが)は
饅頭3個×5=饅頭(3×5)個=饅頭(5×3)個=饅頭15個
どんとこい似非数学。
Posted by: nomisuke at January 06, 2014 04:21nomisuke さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c003329 )
興味深いご意見です。
Posted by: n at January 13, 2014 02:51>その手の人は頭がかたすぎて「便宜的定義なんぞにこだわり続けるのはくだらないことであり、途中で便宜的定義を別の定義に自由に変えてよい」ということがわかっていないのだと思います。その証拠→ http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c003329 …(ココ)
>世間一般の常識では「1箱あたり3個の饅頭5箱分を3饅頭×5と書いても5×3饅頭と書いてもよい」です。その辺の事情を理解できないせいで、「最初に3饅頭×5と書くと約束したなら、それに従い続けなければ非論理的な議論になってしまう」と信じてしまっている不幸な人達がいるわけです。(1月14日)
「わかっていないのだ」とゆーナンノ証拠にもなっとらん。大笑。
「便宜的定義なんぞにこだわり続けるのはくだらないことであり、途中で便宜的定義を別の定義に自由に変えてよい」根拠ナシにいうとるダケ。ダメオシのつもりで「不幸な人達」などと貶めていやがる。笑。論理的に見て最低だな。
Posted by: nomisuke at January 15, 2014 01:35まちがった。「便宜的定義なんぞにこだわり続けるのはくだらないことであり、途中で便宜的定義を別の定義に自由に変えてよい」というアホクサなたわごとをわかっていない、ことはソノトーリだった。笑。
分かるハズがない。「便宜的定義(である)」ことの根拠もナシ。「途中で自由に変えてよい」という主張の根拠もナシ。反論は「ぼくちんのいうことが分かってない」で終わりじゃねえ。
あ。「不幸な人達」ちゅうダメダシもあったナ。笑。
Posted by: nomisuke at January 15, 2014 01:49よく見たら
>世間一般の常識では
か。。
そんなハナシ、ハナからしとらん。「数学上の常識では」ちゅうハナシだ。そこんとこを「わざとスレチガエさせて」ゴマカシてはいかんねぇ。
掛け算に順序がないと言うてる連中のロンリはこんなもん許りだから困る。
Posted by: nomisuke at January 15, 2014 02:07何度もお騒がせする。
ちと古いがこんなサエズリがあったので紹介してコメントする。多くの連中がどこでカンチガイするのかがよく分かる。いわばスピード違反して事故ルようなもんだ。
個人名(漢字)をそのままにするのはどーもテーコーがあるんで伏せる。
>◯◯◯@hajimebs 11月11日
これは面白いし勉強になる。>◯◯◯さん @genkuroki の #掛算
なるほど、数式に抽象化することは、それによって「100円のノートを3冊買うと」式のベタな記述から「計算」を「解放」してやることであるわけで、掛け算の順番へのこだわりは、話をむしろわかりにくくする。
なかなかカッコイイ言い方なんだが正しくはこう言うべきだ。
数式に抽象化することは、それによって「100円のノートを3冊買うと」式のベタな記述から「思考」を「解放」してやることであるわけで、
100n×3
と書く。nはノートの冊数の生成元。これを
100×3
と略記する事にする。したがって
3×100
と区別する。いいかげんなタイドで掛け算の表記の順番までテキトーにすると、話をむしろわかりにくくする(現代数学では周知のコト)。
何度もおサワがせする。
ちと古いがこんなサエズリがあったので紹介してコメントする。多くの連中がどこでカンチガイするのかがよく分かる。いわばスピード違反して事故ルようなもんだ。
個人名(漢字)をそのままにするのはどーもテーコーがあるんで伏せる。
>◯◯◯@hajimebs 11月11日
これは面白いし勉強になる。>◯◯◯さん @genkuroki の #掛算
なるほど、数式に抽象化することは、それによって「100円のノートを3冊買うと」式のベタな記述から「計算」を「解放」してやることであるわけで、掛け算の順番へのこだわりは、話をむしろわかりにくくする。
なかなかカッコイイ言い方なんだが正しくはこう言うべきだ。
数式に抽象化することは、それによって「100円のノートを3冊買うと」式のベタな記述から「思考」を「解放」してやることであるわけで、
100n×3
と書く。nはノートの冊数の生成元。これを
100×3
と略記する事にする。したがって
3×100
と区別する。いいかげんなタイドで掛け算の表記の順番までテキトーにすると、話をむしろわかりにくくする。(現代数学では周知のコト)。
以下引用。
鰹節猫吉 @sunchanuiguru1月13日
@sunchanuiguru #掛算 (続き)加減より乗除を優先する理由も、このような「理論」によって説明される。岡山県総合教育センターは、3+2×4=11である理由を、算数教育界独自の理論で解説している。(続く) pic.twitter.com/FH90u2eROX
(続き)なぜ3+2×4=11なのか【「2×4」は、一つの数を示しているのだ。したがって、「3+2」より「2×4」を先に計算するのは当然】ということなんだそうである。(続く)
(続き)しかも驚くべきことに小学校指導要領解説算数編に書いてあるというのである。(続く) pic.twitter.com/ikoVGuLkPA
(続き)確かに【一つの数量を表すのに()を用いることや乗法、除法を用いて表された式が一つの数量を表したりする】と意味不明なことが書いてある。算数教育界には、普通の数学とは異なるの独自の理論体系が存在するのだ。
ココマデ。
困ったねえ。確かに「岡山県総合教育センター」の pic.twitter.com/FH90u2eROX の書き方を見ると「書いた人の理解」も不十分で「考え方を押し付け」ようとしているように読めるナ。だけどな。「「2×4」は、一つの数を示している」は(現代数学の考え方として)強ちマチガイとも言えない。こういうのを批判している連中(鰹節猫吉氏含む)も、其処ら辺りの現代数学の考え方の「理解が不十分」なまま「算数教育界独自の理論」とか「しかも驚くべきことに」とか「意味不明なことが書いてある」とか「算数教育界には、普通の数学とは異なるの独自の理論体系が存在する」とか言っているに過ぎんね。ワカランことをワカランと言うのはいいが、よく考えもせずにワカランことを意味不明なタワゴトと批判するのはよくないよな。まあ算数教育がセンモンの人たちも必ずしも「現代数学の考え方」をよくリカイしとるとは言えんし、そこを「独自の考え方」で分かろうとしてそのちょっとオカシナリクツを押し付けようとしている連中も居るようだが。だけど。どっちの連中も現代数学の考え方の理解が「不十分」であることは共通している。笑。批判している連中も「その程度の数学の理解」しかない。
Posted by: nomisuke at January 17, 2014 02:27twitter.com/genkuroki/status/402363766043471873
Gen Kuroki@genkuroki 1月19日
#掛算 【再】掛算の順序にこだわる教え方への批判に反論したい人には画像 pic.twitter.com/RTmLAM5X のような教え方を小学校六年生相手にすることへの賛否を明確に述べてもらいたいです。この情報の拡散と賛否を明らかにさせる方向への誘導に御協力をお願い致します。
というサエズリがあった。
とくに「掛算の順序にこだわる教え方への批判に反論したい人」を指名して「画像 pic.twitter.com/RTmLAM5X のような教え方を小学校六年生相手にすることへの賛否を明確に述べてもらいたい」というが、小生ナドのように
y=x×8
とするのがもっともよろしいと思っていても「文章の流れから言えば x×8=y を推奨したい。」には教え方としてあまり賛同出来ない。というワケで「否」と書いたら「ホラみろ。掛算の順序にこだわる教え方への批判に反論できないだろ。」などと見当チガイの解釈をされたらたまらんね。
他にも。小学校六年生に教えるのと二年生に教えるかのチガイもある。
また
y=8×x
はダメとしても「8円のノートがx冊」という意味になってしまうので問題文とは合わない。という説明には首をかしげる場合もある。
斯様に「掛算の順序にこだわる教え方への批判に反論したい人」に「賛否のどちらかをセマって」0か1かの踏み絵を踏ませようというやり口には賛成できんよ。トンデモないことを言い出してるな。やめて呉れ。
Posted by: nomisuke at January 19, 2014 01:47そもそも教育というのはまだ習ってないことを教えるものじゃないですか?既に知ってること以外は教えられないの?
解かせる文章題に「あたりの量」の概念が含まれている以上、これを分数なしで解かせるのは無理がある。
Posted by: 必須 at June 29, 2015 23:17純粋にかけ算の問題にしたければもっと別の問題にすべきだ。
必須 さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c008662 )
まだ習っていないことを教えるので,かけ算ではまずは「何がいくつ」という順番で考えましょうというのは,子供にとって理解しやすい導入だと思うのです。
Posted by: n at July 01, 2015 02:01順序を指定する教え方の方が順序を指定しない教え方よりも子供が理解しやすいとしても、順序を指定する教え方で混乱している子供がいるっぽい以上、より理解しやすい教え方が考案されることが望ましそうなのです。
Posted by: 必須? at July 03, 2015 21:15必須? さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c008665 )
逆に,順序を指定しない教え方をされたことで混乱する子供も出てくるでしょうから,教育方針の方向転換は慎重にする必要があるでしょう。
Posted by: n at July 04, 2015 00:30より多くの子供たちが理解しやすい方法が考案されるのが望ましいということには同意します。
先生が日本の九九で6×4を教えてからこの問題を出していれば、6×4=24で問題はない。
Posted by: 九九 at April 17, 2016 15:31問題: 「子供が6人います。みかんを4個ずつあげるには,いくついるでしょう」
答: 式 6×4=24 ○ 24個 ○
九九の6の段を教えてないのに問題を出したのですね!!先生が×
日本語を理解出来ていないから、順序を入れ替えるなどπは3でいいなどと言いだす。
間違えた。基礎が4個で6人だから、式 4×6=
Posted by: 九九 at April 17, 2016 18:19日本語を理解出来ていないのは私だ。九九の4の段でいいんだ。
他のサイトで、数字の小さいのを前にするの見たから、思い込みで文章まともに読んでなかった。
九九 さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001450.html#c008702 )
Posted by: n at April 18, 2016 03:28それでいいと思います。