つい最近「安井かずみがいた時代」という本を読んで,安井かずみがどんな人だったのかを知った。とても有名な人だったんだねぇ,って今さら?
安井かずみは,1970年代から80年代にかけて,女性のロールモデルとなっていたそうだ。当時,そっち方面にはまったく興味がなかったからなぁ。なんでも,年下の沢田研二が大のお気に入りで,「年上のひと,美しすぎる」と歌詞に織り込んで本人に歌わせてしまうとか,お茶目過ぎ。
私が安井かずみを作詞家として初めて認識したのは,沢田聖子の歌う「ひとりぼっちの昼下がり」(1982) である。この曲は,歌詞,メロディー,アレンジがどれも素晴らしく名曲に違いないのだが,ほとんど知られておらず,不当に低い評価であることが残念である。原題は「ひとりぼっちの昼下り」で,そのまま読むと「ひるくだり」になってしまうところが玉にキズ。
この「ひとりぼっちの昼下がり」は,沢田聖子の8枚目シングル「あなたへのバースデーカード」のB面に収められている。A面,B面ともに,作詞安井かずみ,作曲加藤和彦,編曲清水信行。この歌の季節はおそらく初夏。木漏れ日の中,なだらかな山道をひとり歩いて行く。澄んだ空気の中,道端の草花を見ながらゆっくりと歩いて行くと,気がつけば湖のほとりまで来ていた。ただそれだけを歌っているのだが,引きこまれてしまう。ギターのハーモニクスが,ときおり目に入ってくる刺さるような日差しを表現しているようで,その編曲が詩と曲のよさをさらに引き出している。
これほどよい曲でありながら評価されないのにはいくつかの理由がある。まず,アナログEPレコードのシングルのしかもB面であること。A面の曲は特記するほどの曲ではないこと。そして何より,このB面が沢田聖子の作曲ではないということなのである。というのも,沢田聖子の1枚目から7枚目までのシングルは,A面は有名ドコロの作曲であったとしても,B面は必ず沢田聖子の作曲であって,彼女のシンガーソングライターとしての立ち位置を,彼女自身が主張し,ファンもそれを期待していて,それが初めて破られたからなのである。沢田聖子のコアなファンはそれだけに残念に思い,曲として評価する気も起こっていないように思うのだ。
作曲の加藤和彦は安井かずみの当時の夫である。私が加藤和彦を知ったのもこの曲からである。しかし,ほんの近くまで知ってはいた。私はその前からギター大好き少年だったので,高中正義も好きで,高中がソロになる前はサディスティックミカ・バンドのメンバだったことも知っていた。しかし,そのバンドのメンバに加藤和彦がいて,ミカの当時の夫でもあったということまでは知らなかった。
安井かずみの作詞で最初に心をうったのは,アグネス・チャンの「草原の輝き」(1973) である。安井かずみの名前を知らなかったのは作詞家に興味がなかったからである。アグネス・チャンは,今でこそアレな感じになってしまっているが,デビュー当時はとても可愛かったのである。まだ恋ということを言葉でしかしらない少年の心さえ鷲づかみにしたくらいである。それはアグネス・チャンの容姿や舌足らずな歌い方だけではなく,歌詞に魅力があったからである。歌の季節は春。小川の流れる草原にひとりいて,恋する人を夢に見るという内容である。会いたくて涙がでちゃうんである。けれどもそれは見せないようにしなくちゃ。…これには参った。幼いハートにバキューンである。
一目見ただけでハートを射抜かれるということはたまにあって,沢田聖子もそうだった。デビューしたばかりの頃,ひな祭りコンサートの様子がテレビ放映され,パツパツのジーンズをはいた俯きがちに恥ずかしそうにする沢田聖子が映し出された。外見を意識するようにテレビ用に訓練を受けた歌手とは違う,歌だけを歌うためにステージに立つ少女の姿がそこにはあったのである。
「草原の輝き」と「ひとりぼっちの昼下がり」には10年の隔たりがあるが,その情景はとてもよく似ている。どちらも気持ちのよい自然の中にひとりいて,そして歩いていく。男にとって,女はよく分からない生き物であるが,自然の中にひとり女がいる情景はとてもいいということは確かだ。
安井かずみは肺がんのため55歳の若さで亡くなった。加藤和彦は安井かずみにつきっきりの看病をし,彼女の死後1年で再婚する。しかし,安井かずみの後を追うように自死してしまう。それでも,残された曲は私たちの心を打つのである。
沢田聖子の「ひとりぼっちの昼下がり」はシングル発売後,1993年発売の「シングル・コレクション」で初めてアルバムに収録されたが現在廃盤となっている。
Posted by n at 2014-08-25 00:30 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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