映画「おくりびと」を観た。遺体を棺に納める「納棺師」という職業を描いた作品である。出演者,脚本,カメラのどれもが優れた作品だった。ネタバレ注意。
この映画は「納棺師」という,遺体を棺に納める職業を描いた2008年の作品である。「皆様のご家庭にあってはならないが,世の中になくてはならない」職業のひとつである (杉田敏講師の話 nlog(n): 「実践ビジネス英語」を味わう - Endangered)。私たちは,生まれるときにも他人の手を借り,死ぬときも他人の手を借りなければならない。この映画は,死んだ後に手を貸す人たちの話である。この映画の企画は,主演の本木雅弘が持ち込んだものだそうだ (『おくりびと』本木雅弘 単独インタビュー - シネマトゥデイ)。
映画が始まる前,画面に「TBS」の文字が映しだされた。「TBS か。つまらないものだったらどうしよう」という不安がよぎった。以前,フジテレビが映画化した「容疑者 室井慎次 - Wikipedia」では,田中麗奈の演出が微妙だったからである (nlog(n): 使えない人「容疑者室井慎次」)。そして映画全体がダメだった。しかし,今回はいい意味で裏切られた。出演者,脚本,カメラどれもが優れている作品だった。
以下では映画の内容と結末に触れているので,未見の方はご注意されたい。
まず冒頭のシーンがいい。ほとんど白い画面の中で,何本かの線が見えている。最初はパステル画かと思ったが,画面にはうっすら動きがあり,ぼんやりとふたつの明かりが見えてくる。これはパステル画ではなく実写で,吹雪の中を車がこちらに向かって走ってくる映像だったのである。撮影は 浜田毅。
次のシーンは,すぐに本木雅弘が納棺師としての初仕事の場面に切り替わる。礼儀正しく,独特の作法をもって死者を清めていく。ところが,ここでオモシロな事実が発覚するのだ。この場面で,映画全体にわたるスタンスを観客に提示しており,実に上手く表現されている。人間の死をシリアスに描きながらも,コミカルなエピソードが挿入される娯楽作品になっている。シリアスな場面ばかりでは130分もの長い時間見続けるのは難しいからである。このシーンは途中で終わり,続きは映画の1時間後から描かれる構成になっている。
あらすじは次のようなものである。話は大悟 (本木雅弘) が,せっかくプロのチェリスト (チェロ弾き) になれたのに楽団が解散して無職になってしまうところから始まる。借金をしてまで買った1800万円のチェロを手放し,田舎に帰ることになる。求人広告で「旅のお手伝い」とあるのを旅行代理店だと思ったら「安らかな旅立ちのお手伝い」をする納棺業の会社だった。社名の「NK エージェント」は No-Kan の略称だったのだ。詐欺まがいの広告だったが,面接でうっかりお金を受け取ってしまったばかりに仕事をするはめになってしまう。当初は単純にお金のためだったが,続けていくうちに仕事に誇りを見出していく。
本木雅弘が裸になるシーンでは「うほっいい体」が見られる。納棺 DVD の死体役と銭湯での入浴シーンである。バスの中で女子高生にヒソヒソと話されて,「あそこの人,かっこよくない?」と言っているのかと思ったら「臭くね?」だった。腐乱死体処理後だったことに気づき,銭湯に直行。体を思い切り洗う。鼻の穴洗浄までするあたり細かい描写となっている。
腐乱死体処理という最初のキツい仕事の後,家に帰った大悟は,今朝潰したばかりという鶏の目を見て食べられなくなる。そして美香 (広末涼子) の体を求める。美香のズボンを下ろし,パンツの近くに顔を寄せるというシーンがあり,本来なら見ている方もエロチックな気分になりそうなところだ。しかし,観客としては初の腐乱死体の仕事のすぐ後だということが災いしてまったくそのような気分にならないから不思議である。このシーンの大悟の気持ちはよく分かる。自分の中で処理しきれないどうしようもない感情を女の体にぶつけることは男にはあるからである。そして,女性は理由が分からなくても受け止めてくれることが多い (ただし映画の元となった「納棺夫日記」では拒否されている。下記参照)。
どのドラマを見るときにでも思うことなのだが,入浴シーンは役者の心意気を見せるところである。役者はさも暖かそうに気持ちよさそうに入っているが,実際は冷たい風呂に入っているからだ。その証拠に,よく見れば風呂から湯気が出ていない。温かくできないのだ。お湯が温かければ,湯気が出て映像が見にくくなってしまうし,カメラのレンズも曇ってしまうからである。
この映画では,「食べ物」「遺体」「銭湯」がいくつもの側面を持ったものとして用いられており,映画に深みを与えている。食べ物は「ご遺体」であり,生きていく上でなくてはならない。そして美味しいのだ「困ったことに」。人間の「ご遺体」もまた,納棺師という職業上,生きていく上でなくてはならないものでもある。食べ物はまた,大悟の仕事の慣れを表すバロメーターの役割も果たしている。最初は仕事の後は喉を通らなかったのに,次第にムシャムシャいけるようになっていく。タコの「無駄な死」という導入で,小さな命をどうやったらまっとうさせることができるのか考えさせられる。「銭湯」は,体を洗う場所であるだけでなく,友人の実家であり,他人と知り合える場所でもあり,納棺師としての仕事の場所,さらには納棺師とその他の人間との和解の場所にもなる。
脚本がいいだけに,細かいアラが目についてしまった。橋の上から鮭の遡上を眺めるシーンがあるのだが,鮭が作り物なのである。流れていく鮭の死骸は作り物でもいいので,川を上っていく鮭は本物を使って欲しかった。本木雅弘がチェロを弾くシーンはよくできていた。ビブラートの動きに若干の難があるものの,本当に弾けているような演技だった。相当な練習をしたに違いない。その分,子役が残念だった。大悟の子供時代の子役は,顔が似ているわけでもセリフがあるわけでもないのに,弾ける演技ができていないのだ。本木雅弘のチェロを見て,映画「アマデウス」のモーツァルトの役者を思い出した (彼も実際は弾けないそうだ)。
映画の中ではチェロのメロディーが何度も流れる。出だしはクラシックの曲のようで,しだいにリズムが加わって盛り上がっていくあたりがクラシックにない感じ。こういうスタイルの楽曲はどこかで聴いたような気がすると思ったら,ジブリだった。作曲は久石譲なのである。
大悟の妻である美香が,大悟に仕事を辞めるように懇願するシーンがある。そして「穢 (けが) らわしい」と言って実家に帰ってしまう。このセリフは人間の死を職業にする人たちへのさげすみが込められていて,そんなにこの仕事をダメだと思っている人が多いのか疑問だったが,映画の元になった「納棺夫日記」には実話であることの記述がある。
昨夜,体を求めたら拒否された。今の仕事を辞めない限り嫌だという。いろいろ話し合ったが,子供たちの将来の事も考えてくれと最後は泣き出した。近々になんとかするからと,その場逃れの言葉で再度求めたが,『穢らわしい,近づかないで!』とヒステリックに妻は拒否した。
青木 新門著「納棺夫日記 (文春文庫) 」 (単行本では p. 25)
物語の最後では,大悟は生き別れた父親の納棺に行くことになる。2年前に亡くなっている母親宛に電報が届いたのである。最初は自分と母親を捨てたとして拒絶していた大悟だが,NKエージェント事務員 (余貴美子) の説得で向かうことを決意する。見知らぬ漁港の部屋には記憶の中で顔がおぼろげだった父親が横たわっていた。父親という実感がないまま納棺の作業をすすめるうち,手に小石がかたく握られていることに気がつく。父親が家を出て行く前に,ただ一度だけ交換した石だった。そして淡々と仕事を進める大悟の目からは涙がこぼれ落ちる。手のひらから小石を見つけるのは偶然ではない。それまで映画の中で,仕事として繰り返し繰り返し遺体の手を開き,指を組み合わせてきたからである。
よくできたラストだが,別の流れでもよかったようにも思える。例えばこんな話である。納棺処理の仕事が入るが,大悟は父親とは知らずに向かう。社長はなぜか30万円の一番高い棺桶を持っていけと言う。現場に到着し,作業を進める中で,手のひらの中の小石に気がつき,この遺体が父親のものだと悟る (「大悟」という名前の意味付けもできる)。父親と分かっても,納棺師としての仕事はそのまま続けられる。職人として表情を変えずに作業するが,その目からは涙がこぼれるというストーリーである。表情を押し殺した本木雅弘の演技がさらに光るものになりそうではないか (自画自賛)。
役者はみな素晴らしい。本木雅弘も,すでにシブがき隊の「モックン」ではなく,しっかりした役者となっている。広末涼子の演技は軽めだが,この作品ではそれがよい方向に働いている。私たち一般の観客に近い存在でいてくれているからだ。NK エージェント社長を演じる山崎努は,しぶとく生きる一癖も二癖もある人間で,本当にこんな人間がいそうに思うくらいである。事務員の余貴美子も最初から訳ありの雰囲気を出しているし,火葬場の笹野高史もこれ以上ないくらいの味を出している。
無名だが,死体役も見逃せない。「5分も遅いぞ。お前ら死人で食ってんだろ」と言われた家の女性の遺体が特によかった。指が硬直していて本当に血が通っていないようだった。メイクもよくて本当に死体。それが納棺師による死に化粧で生きている人のように変わっていくのだ (実際はメイクを取っていくのかも知れないが)。死体での登場となった父親役の峰岸徹は,この映画の上映期間中に本当になくなったのだそうだ (おくりびと - Wikipedia)。
映画のタイトルは「おくりびと」なのに,映画の中で納棺師のことを「おくりびと」とは呼んでいない。疑問に思いながら見ていると,最後に答があった。銭湯にいつもいる将棋好きのお年寄りが火葬場で働いていたのである。この老人もまた,死者をあの世へ送る「おくりびと」だったのである。
Posted by n at 2015-12-11 23:34 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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