トリビアの泉に、女優のミラ・ジョボビッチが出演していた。本人が「ミラ・ヨヴォヴィッチです」と言っていた。「ジョボビッチ」は英語読みだったのだ。
MillaJ.com :: The Official Milla Jovovich Website の FAQ によると、生まれはウクライナで、名前の読み方は
"mee-luh yo-vo-vitch"
であるという説明がある。活躍の場がアメリカなので、英語の発音で「ジョヴォヴィッチ」と呼ばれてしまうことが多いようだ。本人は名前の発音を気にしているらしいので、「ヨヴォヴィッチ」あるいは簡単に「ヨボビッチ」と呼ぶようにしてはどうだろうか。
日本には、外国人の人名、特にヨーロッパ系の人名に関しては、できるだけ本人の発音で呼ぶ習慣がある。これは、日本語がヨーロッパ系言語とは全く違うことが大きく影響しているが、その人を尊重しているという点で評価できる。とてもいいことである。
ヨーロッパ系同士ではこうはいかない。「モーツァルト」はフランスに行けば「モザール」だし、「バッハ」はアメリカに行けば「バック」と呼ばれてしまう。アルファベットで表現すると、Mozart とか Bach なので、自分の言語でそのまま読めてしまうからである。区別をつけづらいのだから仕方のないこと、ではある。日本人が「魯迅」を「ルーシュン」ではなく「ろじん」と読んでしまうのと同じである。
日本人は律儀なので、状況に応じた読み分けもしてしまう。ギリシアの勝利の女神「Nike」を「ニケ」と呼ぶ。そして、アメリカのシューズメーカー「Nike」を「ナイキ」と呼んでいるのである。もちろん「ナイキ」という社名は、同じ女神の名前からとったものである(マークは女神の羽)。「ニケ」を英語読みしているだけである。この2つを読み分けているのだから、日本人の気の使い方はかなりなものだと言える。
さらに日本人が偉いのは、名前の読み方が違うことが分かると、訂正するところである。これはなかなか出来ることではない。画家の ミロ (Joan Miró)は、最初に日本では「ホアン・ミロ」として紹介された。ミロがスペイン人なので、スペイン語の発音で呼んだのである。しかし、その後ミロがカタロニア出身だということから、カタロニア語での本当の発音「ジョアン・ミロ」に修正された。(私はミロの作品では、初期の「農場」が好きだ Statek (Le Ferme) ワシントンナショナルギャラリー蔵)
このような訂正の例は、他にもある。今年6月に亡くなったアメリカの第40代大統領 ロナルド・レーガン (Ronald Reagan) は、初めのうち「リーガン」という名前で新聞に出ていたが、その後発音になるべく忠実にということで「レーガン」に修正された。
残念ながら、例外もある。「処女の泉」で有名な、スウェーデンの映画監督イングマール・ベルイマン (Ingmar Bergman) は、「ベリマン」という発音が近いらしいのだが、「ベルイマン」で定着してしまった。同じくスウェーデン出身の元プロテニスプレーヤー Stefan Edberg は、「シュテファン・エドベリ」。英語読みで「ステファン・エドバーグ」と呼ばれることも多く、「エドベリ」「エドバーグ」の率は半々くらいだった。Bjrn Borg の場合はもっとひどくて、「ビヨン・ボルグ」と呼ばれ、正しく「ビヨン・ボリ」と呼ばれたことはほとんどなかった。
本人の名前の発音は、活躍の場の言語に大きく左右される。しかし、本人が「こう呼んで欲しい」と言っている場合は、それを優先してはどうだろうか。ミラは人気がある女優なのだから、早めに「ヨボビッチ」に切り替えてあげるのがいいのではないか。歳をとって、ヨボヨボになる前に…。あぁ、今日のトリビアで、ダジャレは笑いの中で一番低次元だと言っていたっけ。
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