calc さんとの話 の中でうまい例が思いついたので,まとめてみることにする。論理学の「ならば」の真理値に関する問題である。なぜ「偽の命題を仮定すれば,どんな命題も導き出せる」のか? 「偽を仮定すると,結論がどうであっても常に真」となるのか?
古典論理(二値論理)において,含意演算「→」の真理表は次のようになる。p, q はそれぞれ命題を表し,「T」は真(しん),「F」は偽(ぎ)を表す。
p | q | p→q |
T | T | T |
T | F | F |
F | T | T |
F | F | T |
「真→真」は「真」,「真→偽」は「偽」になることは問題ない。仮定が「偽」(p が F)であるとき,結論 q が「真」であっても「偽」であっても「p→q」の命題の値としては「真」になってしまうのは何故なのだろうか? 「長い間これでやってきて困ったことが起きていない」ので,これが正しいことは信頼できるのだが,どうもしっくり来ない。
そこで,次のような例を考えてみた。m を整数としたとき,次の命題は常に真であると言える。
これは当たり前のように思える。ここで,m に 2 を代入すると,「偽→真」が得られる。命題は常に「真」だったので,「偽→真」の命題も「真」となる。次に m に 3 を代入すると,「偽→偽」の命題が得られ,これも「真」となる。これで「仮定が偽の命題の真理値の問題」を,何となく納得することができる。ちなみに,m に 4 を代入すれば,「真→真」の命題が得られ,結論を逆にした「4 が 4 で割れるならば,4 は 2 で割れない」は「真→偽」の命題であり,真理値は「偽」である。
「賞味期限が昨日」の商品は「偽」である。売ることができないからである。しかし,「製造年月日が明日」の商品は「真」である。そこには,なんでもありの世界が広がっている。こうなってしまっては,賞味期限が昨日であるか1ヶ月後であるかは全く関係がない。「真」が導かれるのである。しかし,どちらか選べと言われたなら,例えそれが偽であったとしても,「賞味期限が昨日」の方を選びたい。
という論理式が通用しない「法曹界の第一人者」が紹介され,批判が行われている。その批判はもっともで,確かにしっかりしてもらわなければならない。しかし私は,単純に批判してそれで終わりという気にはなれないのだ。例えば,上の例題の逆の命題を考えてみよう。
ちょっと見ると,この命題は「常に偽」のように思える。しかし,m に代入する整数によっては,真の命題になったりするのである。直感というものは割とあてにならないものなのである。
Posted by n at 2004-10-29 21:39 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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