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misc 鑑真失明していなかった

大学への基礎数学-雑記帳 で取り上げられていたニュース。日本史の授業で「やっとのことで来日した鑑真はすでに失明していた」と習ったのだが、これに反対する新説が発表された。

■ ■ ■

奈良新聞2004年10月29日付の記事 [鑑真] 来日時、失明していなかった-定説に新見解【奈良博室長】 によれば、

30日に開幕する第56回正倉院展で28年ぶりに公開される正倉院塵芥(じんかい)文書第35巻の「鑑真奉請経巻状」が鑑真の自筆であり、当時鑑真は完全に失明していなかったのではないかとの新見解を、奈良国立博物館の西山厚資料室長が正倉院展図録の中で明らかにしている。同書状の細部の書跡を精査した上で導き出した結論で、今後の同文書の研究に論議を投げかけそうだ。

とのこと。鑑真が日本に到着する前に失明していたというのは、鑑真の伝記「唐大和上東征伝」にある。

この書状は、来日を果たした鑑真が東大寺の良弁に経典の借用を申し出た内容で、現存する鑑真唯一のものとして知られる。鑑真の伝記「唐大和上東征伝」によると、鑑真が失明したのは天平勝宝2(750)年。このため、同6(754)年に書かれたとされる唐の書儀に沿った書状は、鑑真が指示し、弟子ら別の人物が代筆したとの説が半ば定説となっている。

日本にたどり着いたのは天平勝宝5年12月。ところが、これより後に書かれた「鑑真奉請経巻状」が鑑真の自筆だという説である。

焦点は、この書状が鑑真の自筆であるかどうかである。この説が正しいと「えーっ、そうなの?」という気になるが、よく考えてみれば鑑真の不幸の度合いが少し下がるだけである。日本に行こうと思い立って11年目、皇帝の反対,暴風・盗賊などの苦難の末6度目にして日本にたどり着いたのは67歳の時だったというのだから驚きである。失明していなくてもこの事実は変わらないだろう。

鑑真で有名なのは、唐招提寺 の鑑真像である。日本における写実的な彫刻として最初のものとされているが (発見された壁画・塑像についての考察 その1)、実際に製作したのは中国人とのことである (本朝肖像事始め)。誰が彫ったにせよ、素晴らしい彫刻であることに変わりはない。今年の4月に唐招提寺に行ったときには旅に出ていたようで、残念ながら見ることができなかった。

関連: 奈良国立博物館 - 第56回正倉院展

Posted by n at 2004-10-30 11:31 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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