雑誌の小さなコラムに記事を書いた。ゲラ刷りの校正も無事終わったので,加筆修正して上げておこう。
テレビでオーケストラの演奏会を見る機会がある。画面の中では汗をかきながら様々なアクションをつけて指揮棒を振る指揮者の姿がアップになる。以前,私は指揮者には簡単になれるのだろうと思っていた。しかしこれは大きな間違いだった。
(ウラディーミル・アシュケナージ, Vladimir Ashkenazy)
私は学生のときオーケストラ部に入ってみて驚いた。指揮者と顔を合わせる時間の9割以上は練習だったからである。練習時間に比べれば本番は一瞬でしかない。では練習で指揮者は何をするのか? 指揮者はすべての楽器の1音1音について,音程,強弱,ニュアンスの指示を与えるのである。単にテンポを指示するだけではなかったのだ。テンポ通りに指揮棒を振れば,それで指揮者ができると思っていたのは大間違いだったのだ。
さらに指揮者は,自身の中にある曲のイメージを純粋に音にしようとするのではなく,オーケストラの持ち味を見極め,それを生かしていくという複雑な作業を行っていく。その過程には指揮者とオーケストラが共有する感動がある。演奏会は練習の感動の最終形態であるに過ぎない。
演奏会本番において,指揮者は練習とはまったく異なる役割を演じる。指揮者は体全体を使って表情豊かに指揮をする。これは観客に向かって情熱的であることをアピールしているのではない。演奏者にアピールしているのだ。熱のこもった演出により,演奏者に緊張感を持たせ,練習のときの記憶を呼び起こしているのである。
さて,話は変わって虫のこと。セミは数年に亘って土の中にいて,外に出てくると数週間で死んでしまう。あまりに儚い一生ではないかと人は言う。しかし,これは間違った認識である。セミの一生は決して儚くない。セミにとって重要なのは成長であり,それは木の根元で行われるからである。土の中の生活は,単に外に出て来るための準備期間ではないのだ。もちろん外での活動も重要ではある。外でアピールすることで命を繋げていけるからである。
オーケストラの指揮者とセミ,両者には多くの共通点を見出すことができる。表面的な姿はとても派手である。すぐれた指揮者は聴衆に感動を与え,セミはパートナーを見つけて子孫を残す。そしてどちらも人の目に触れないところにその本質がある。指揮者が練習を通して音楽を作っていく過程は感動的なものだが,単に外から見えないだけである。セミにとっては成長することが最も大切なことであるが,それが土の中で行われているだけなのだ。
(補足) 蝉が土の中で過ごすのは7年間と一般に言われているが,この年数は種類によって異なり,また環境によっても変わるとされる(セミ - Wikipedia)。
Posted by n at 2006-01-19 01:14 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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