「反論の技術」は,反論という切り口から議論の仕方について解説している本である。実に痛快。そして役に立つ。
香西秀信著の反論の技術―その意義と訓練方法は,読んでいて実に痛快な本である。「意見はすべて反論である」,「誰もが賛成するような意見は言うな」などの明確な主張があり,その根拠が示されている。この本では,議論ができるようになるための訓練の方法が示されている。
この本では,前書きなしにいきなり本論に入る。著者の香西氏は,前書き後書きを書くのが嫌なのだそうで仕方がないのだが,前書きには次のことが書いてあると嬉しいものだ。
私なりにまとめると次のようになる。対象は「エッセイは書けるが,議論が下手な人」である。私のような,「ブログで交わされる議論を読んで,ある意見に対して『その通りだ』と思い,まったく反対の意見なのにも関わらず『その通りだ』と思ってしまうような人間」にもぴったりである。ねらいは,議論ができる人間の育成。構成としては,前半が反論の意義,後半が反論の訓練方法となっている。
本の中で用いられている専門用語については,本文中に解説があるが,詳しすぎて分かりづらいものがある。複数回出てくるものについてまとめておく。(ギ)はギリシア語,(英)は英語の意味である。
用語 | 元の語 | 意味 | ページ |
レトリック | rhetoric (英) | 弁論術 | 45 |
エンテュメーマ | ενθύμημα (ギ) | 弁論的推論 | 46 |
トピカ | τοπικα (ギ) | 議論の方法 | 80 |
トポス | τοπος (ギ) | 議論の型 | 81 |
トポイ | τοποι (ギ) | トポスの複数形 | 94 |
「トポイ」については,本文中では「トピカの複数形」であるとしているが,恐らく誤植である。「トポスの複数形」が正しい。「トポス」は数学の概念とは別のものである(トポス (数学) - Wikipedia)。
反論の技術を高めるには,「面白い」と思った議論を集めることであるという。一番よいのはノートに書き写すことであるが,切り抜きでもよい。香西氏は,面白い議論の例をあげながら,次のように述べている(pp. 96-97)。
柳沼重剛氏はイギリスの議会の論戦を次のように紹介している。
国会での論戦が,要旨なんていうのではなくて,全部新聞に出る。(中略) いちばんおもしろかったのは騒音防止法の審議の最終段階で,最後まで問題になったのは,行商のアイスクリーム屋が使っているチリンチリンという鐘を,騒音として規制の対象に含めるかどうかということだった。つまりあれは営業用で,あれを取り締まったら,「アイスクリーム屋のおじさんが来たよ」ということを知らせる手段を奪うことになって,それは営業権の侵害ということにならないかでもめたのだ。しかし,営業用でも音には違いないので,それなら音を立てずに営業する方法をアイスクリーム屋は考えるべきだという方向に次第に議論は傾いていったが,そんな中で,
A議員 「私の町に来るアイスクリーム屋は,あの鐘にたいへん工夫をこらしていて,その音はきわめて音楽的でさえある。あの鐘を音楽に高めるまで努力をした,そういうのまで十把ひとからげに規制することには反対だ。」 B議員 「貴殿は音楽と騒音の区別を法律で規定できるとお考えか。小生はたとえベートーヴェン作曲のアイスクリームの歌でも規制すべきであると考える。」 C議員 「ただいままでの御議論を承っていると,都会の騒音にばかり心をお向けのようであるが,私の住む田舎に来てごらんなさい。かっこう鳥の何とうるさいことか。都会の方々はかっこう鳥の声はロマンチックで美しいものと頭から決めておいでだが,あれは田舎の者にとっては騒音,それも甚だしい騒音に他ならない。あれに比べればアイスクリーム屋の騒音など取るに足るまいと存ずる。」 D議員 「しかし,かっこう鳥は鉄砲で撃つことができるが,アイスクリーム屋はそうはいかない。ゆえにアイスクリーム屋の鐘は規制すべしと考える。」 (「柳沼重剛著,『語学者の散歩道』,研究社,1991年,pp. 255-256」からの引用)
これを読んで馬鹿馬鹿しいと感じる人がいるかもしれない。が,私はここに,レトリックの伝統の厚みと,議論文化の成熟とを見る。日本人の議論に最も不足しているのは,このような聞き手に対するサービスである。
つまり,相手を論破するだけではなく,聞き手である第三者の説得も必要だというのだ。「面白い」と感じる議論の本質がある。
図にすると,上のようになる。自分の直接の目的は相手を反論によって論破することだが,これは最終目的ではない。最終的には第三者を納得させることであるのだ。しかし,「みなさん,これで納得してください」と言っても説得にはならない。第三者を説得する手段は,議論している相手を論破することしかないのである。
この本のねらいは,読者が反論ができるようになることである。香西氏は,反論するには,まず型を身につけるのが大切だとして,手本となる典型的な反論の型をあげている(p. 121)。
私は○○氏の意見に反対である。
○○氏は次のように言っている。引用 (相手の主張と根拠を確認するため)
しかしこの論理はおかしい。
第1に,…
第2に,…
第3に,…
以上の理由により,○○氏の論理は成り立たない。
ここでいう型とはテンプレートのことである。「型」というのは便利なもので,この型にあてはめて空欄を埋めていくだけで,かなりそれらしい文章ができあがる。
なるほど,これを知ってから周りを見渡すと,その型に沿って構成されている議論がたくさんあることに気づく。例えば はてなダイアリー での議論は はてなブックマーク - タグ 議論 などから見つけることができる。
(本の表紙と同じキーホルダーを持っていた)
私の受けた学校教育では,「作文といえばエッセイであって,それ以外はダメ」であった。「遠足に行きました。咲いていた花がきれいでした。」はマルだが,「遠足に行きました。電車に乗って公園に行き,お弁当を食べて帰りました。」はバツだった。バツな理由は,感想が書かれていないからだった。しかし,学校の外では,事実だけで作文することの方がずっと多いのである。新聞に感想ばかりが書いてあったらたまらない。議論をしていても,気持ちでは相手を納得させることはできない。
そんなエッセイ教育の結果,「考察を書け」と言われると「感想を書いてしまう」人間が出来上がってしまった。考察は感想ではない。そうなのだ。実は,感想を含むようなエッセイを書くことと,感想を含まない事実だけを書くことは,別のものとして訓練すべきだったのだ。「では,訓練ができていない人間はこれからどうすればいいのか?」訓練法の1つには,木下是雄著の 理科系の作文技術 がある。
もう1つの訓練法が,香西氏による「反論の技術」に書かれている。「反論する」という視点だけから書かれているというのが面白い。反論を通して他人を説得する技術を身につけることができる。
私はこの本を通して,「根拠」というものの重要性を改めて認識した。「その意見の根拠となるものは何か」を常に意識していると,議論の流れが見えてくるようになる。
Posted by n at 2007-04-18 23:51 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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