私が自分の意見をはっきりと言えるようになったのは,20歳か,それよりも後のことである。きっかけは太宰治の小説だった。
太宰治の小説の中に,1つのことわざに2つの解釈を与える話がある。
私は,中学校,高校と,国語のテストの成績が思わしくなかった。大学での小論文からは逃げていた。テストは答が1つに決まっていたので,国語というものは解釈が1つしかないものだと思っていたのだ。答も解釈も1つしかないと思っている人間にとっては,自分の考えというものは,先生の考えと違っており,それはイコール間違いであって,そんな人間に作文など書けるはずもなく,かなり苦しんだ。作文が書けないのは小学生の頃からの筋金入りである (nlog(n): 作文の量を増やす姑息な技)。そんな苦しみから解放してくれたのは太宰の小説だった。もっと早くに読んでいれば,どんなにか楽だったかと思う。今の私は,思い通りに文章を書けるようになったとまでは言えないが,それでもブログでこれだけ書くようになったのだから,その変化はかなりのものである。
実はその太宰治の小説なのだが,記憶を頼りに探してみても,なかなか見つけることができなかった。このたび,青空文庫と Google の力を借りることでようやく見つけることができた。長いのだが引用してみよう。
きょうの漢文の講義は少し面白(おもしろ)かった。中学校の時の教科書とあまり変りが無かったので、また同じ事を繰り返すのかと、うんざりしていたら、講義の内容がさすがに違っていた。「友あり遠方より来(きた)る。また楽しからずや。」という一句の解釈だけに一時間たっぷりかかったのには感心した。中学校の時には、この句は、ただ、親しい友が遠くから、ひょっこりたずねて来てくれるのは嬉(うれ)しいものだ、というだけの意味のものとして教えられた。たしかに、漢文のガマ仙(せん)が、そう教えた。そうして、ガマ仙は、にたりにたりと笑いながら、「たいくつしている時に、庭先から友人が、上酒を一升、それに鴨(かも)一羽などの手土産をさげて、よう! と言ってあらわれた時には、うれしいからな。本当に、この人生で最もたのしい瞬間かも知れない。」とひとりで悦にいっていたものだ。ところが、それは大違い。きょうの矢部一太氏の講義に依(よ)れば、この句は決して、そんな上酒一升、鴨一羽など卑俗な現実生活のたのしみを言っているのではなく、全然、形而上学(けいじじょうがく)的な語句であった。すなわち、わが思想ただちに世に容(い)れられずとも、思いもかけぬ遠方の人より支持の声を聞く、また楽しからずや、というような意味なんだそうだ。的中の気配を、かすかにその身に感覚する時のよろこびを歌っているのだそうだ。理想主義者の最高の願望が、この一句に歌い込められているのだそうだ。決して、その主人が退屈して畳にごろりと寝ころんでいるのではなく、おのが理想に向って勇往邁進している姿なのだそうである。また楽しからずやの「また」というところにも、いろいろむずかしい意味があって、矢部氏はながながと説明してくれたが、これは、忘れた。とにかく、中学校のガマ仙の、上酒一升、鴨一羽は、遺憾ながら、凡俗の解釈というより他(ほか)は無いらしい。けれども、正直を言うと、僕だって、上酒一升、鴨一羽は、わるい気はしない。充分にたのしい。ガマ仙の解釈も、捨て難(がた)いような気がするのだ。わが思想も遠方より理解せられ、そうして上酒一升、鴨一羽が、よき夕(ゆうべ)に舞い込むというのが、僕の理想であるが、それではあまりに慾(よく)が深すぎるかも知れない。とにかく、矢部一太氏の堂々たる講義を聞きながら、中学のガマ仙を、へんになつかしくなったのも、事実である。やっぱりことしも、中学で、上酒一升、鴨一羽の講義をいい気持でやっているに違いない。ガマ仙の講義は、お伽噺(とぎばなし)だ。
「ガマ仙」は中学校の漢文の先生のあだ名,矢部一太氏は大学の漢文の先生である。中国の故事成語「友あり遠方より来(きた)る。また楽しからずや。」に違う解釈を与えているという話である。ガマ仙は字面どおりの解釈であり,矢部先生は形而上学的な解釈を与えている。太宰は,矢部先生の講義内容に感心しながらも,だからといってガマ仙の解釈を捨てるのではなく,「捨て難いような気がするのだ」と言っている。
この話は,「正しいのはどちらなのか」ということと「間違っているものは捨てる」というのは別の話だったのだと,そう思わせてくれた。間違いとみなされるかも知れないが,いや待て,だからと言って捨てることはないではないか。間違いの中にも汲むところはあるのだと。
そして私は救われた。自分の考えはもしかしたら間違いかも知れない。しかし,その間違いの中にも,拾えるところはある。安心して自分の意見を言っていいのだ。臆病になりすぎる必要はない。そう考えるようになった。そして,少しずつ自分の意見を言えるようになっていったのだった。ただし,自分の意見を「間違い」だと考えるのではなく,他人の考えとの「単なる違い」であると考えればいいのだ,というその考えに至るまでには,まだまだ時間がかかったのだが。
さて,上にあげた引用元をどうやって見つけたのか。その流れを以下に示す。
以上である。
最後に,「朋あり遠方より来る…」の出典と意味についての説明を,Yahoo! 知恵袋のベストアンサーから引用する。
論語、学而第一の『子曰はく、学んで時にこれを習ふ。亦説(よろこ)ばしからずや。朋あり遠方より来る、亦楽しからずや。人知れず、而(しこう)して慍(いか)らず、亦君子ならずや』の一節です。
『先覚者に従って聖賢の道を学び、絶えずこれを復習して熟達するようにする。そうすると、智が開け道が明らかになって、ちょうど今まで浮くこともできなかった者がたちまち泳げるようになったようなものであるから、誠に喜ばしいではないか。己の学問が成就すると、己と同じく道を志す人達が、近い所は言うに及ばず遠い所からまでも訪ねて来て、己を師と仰いで教えを請うようになる。こうなれば、己の学び得た所を広く人に伝えて人と共に善に帰すことができるようになるのであるから、なんと楽しいことではないか。学問は、もと己の人格を完成するためにするのであるから、己の学問が成就したことを人が知らなくても、泰然自若として、少しも不平らしい心を起こさない。このように、専ら道を楽しんで、境遇の如何によって心を動かさないのは誠に理想的な人格者ではないか。』という意味です。
この章は、あるいは孔子自身のことを述べたものだとも言われ、論語の編纂者がこれを論語の冒頭に置いたのは意味のあることだと考えられています。あるいは、一部の小論語でもあると言われます。
すばらしい。
Posted by n at 2008-07-25 01:33 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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