私は占いを信じていない。信じていないというのは,つまり,占いというのが「当たる」ものではないと思っているという意味である。しかし,占いの存在自体を否定するつもりはない。というよりも,むしろ積極的にあった方がいいとさえ思っている。それは,私が,占いをメッセージだと思っているからである。
テレビや新聞雑誌で見かける占いに,星座占いと血液型占いがある。占いにはその他さまざまなものがある (占い - Wikipedia)。
血液型占いは,日本特有の占いである。「血液型占い」によく似たものに「血液型性格判断」があるが,血液型によって性格が決まると実証されたわけではないので,性格を判断するのは間違いである (疑似科学 - Wikipedia)。血液型で性格が決まるのであれば,性格というものが4種類しかなくなってしまって,現実とあわないではないか。
血液型性格判断はダメだが,血液型占いはOKである。人を12種類に分類するのはまずいが,星座占いもOKである。占いというのはメッセージだからだ。
人にはそれぞれ生まれた月が決まっており,血液型も決まっている。占いは,単に受け手を限定してメッセージを送っているに過ぎない。他の月の生まれの人ではなくて,この月の生まれの人に「だけ」,他の血液型の人ではなく,この血液型の人に「だけ」に限定しているので,説得力を持つように感じるのだ。他の誰でもない,「あなただけ」が究極の限定であるが,そこまでいかなくても「だけ」がついていると好意的に解釈してしまう (バーナム効果 - Wikipedia)。しかし,それは悪いことではない。
そもそも,占いコーナーに書いてあることを読んでみると「これに気をつけて!」「今日はいい日になりそう」など,当たり障りのないことが書いてある。誰にでも当てはまるようなことである (「ラッキーカラー」はよく分からないのだが)。しかし,それでも対象を限定することは意味がある。
対象を限定しているものに記念日がある。誕生日,命日,結婚記念日,母の日,父の日,こどもの日,敬老の日。私は妻とラブラブであるので毎日が結婚記念日のようなものだが,さらに深めるための結婚記念日はもちろんあってもよい。母の日には,特別に母に対して感謝をしようということになっているが,普段から感謝していないかと言えば,そういうことはない。普段も感謝しているが,その日は特別にしようと言っているだけなのだ。Webならば,先日のネイキッドデーもそうである。いつもデザインだけを気にして,HTML の構造はどうでもいいと思っているのではない。しかし,その日は構造について考え,見直しをしてみようではないか,ということなのだ。1つのことを取り上げて,特に吟味することには意味がある (nlog(n): そういえば CSS ネイキッドデー)。
交通安全週間もそうである。交通安全週間には,ポリスの方々は「検挙率アップ,件数にノルマあるよ」状態なので,ドライバーは,普段にも増して安全に運転しないといけないのよ本当にもう。
占いも同じである。「みなさん」には届かないメッセージにも「A型の人」「B型の人」「AB型の人」「O型の人」のそれぞれには届くことがあるのだ。合計すれば「みなさん」と同じであるにも関わらず。
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