泣いてもいいし,泣くのを我慢してもいいのは,男でも女でも同じである。「男だから」「女だから」を,物事を諦める理由にするのはよくない。しかし,物事をやるための理由にするのならいいのではないか。
「男だろ,泣くんじゃない」「女の子は涙が出ちゃう」は,私が小さい頃によく聞いたセリフである。「泣くな我慢だ男は強い」「だけど涙が出ちゃう,女の子だもん」はアニメの歌詞である (昆虫物語 みなしごハッチ - Wikipedia,アタックNo.1 - Wikipedia)。しかし,そんなことはない。女でも泣くのを我慢したっていいし,男が泣いてもいいのだ。「男は黙ってサッポロビール」のような美学は分かるが,それはビールが飲めるようになってからでも遅くない。
我が家の娘たちはまだ幼くて,「パパ,おちんちんついてる」とは言ったりするが,それは性差を意識したものではない。服装や髪型は女の子のようにするし,ひな祭りも女の子のものだし,というように女として育てている。しかし,男と比較しては育てていない。桃の節句はするが (nlog(n): 雛人形は折紙で,nlog(n): 買ってもらった雛人形),それだけでなく,本人がやりたいといえば端午の節句もやるのだ (nlog(n): こいのぼりは手作りで)。
我が家では,このように,男女の性差を比較した教育はしないことにしている。しかし,もしも子供の方から「男の子だから?」「女の子だから?」ということを言ってきたときには,次のように言おうと思っている。
できるかな? 女の子だもんね。(女の子に対して)
できるかな? 男の子だもんね。(男の子に対して)
できるかな? 人間だもんね。(理解不能)
できないこともあるさ,人間だもの。(みつを)
これが我が家のジェンダーフリー教育である (ジェンダーフリー - Wikipedia)。性別を限定しているが,最終的には同じことを言うのだ。「女の子だから」や「男の子だから」という修飾語は,できるだけ使わないようにしたいのだが,外で聞いてきてしまうのであれば仕方がない。「女の子」のように限定した方が相手に伝わりやすいという占いと同じ効果もあるから,大目に見よう (nlog(n): 占いは受け手を限定したメッセージに過ぎない)。「ジェンダーフリー」は「ジェンダーレス」とは違う (ジェンダーフリーとは 〜Q&Aですぐわかる!〜)。
「女は女らしく,男は男らしく」であるのはよい。子供が個人で持っている資質が,そもそも女であり男であって,「その人らしく」という最終的な形の一部であるからだ。「女は女らしく,男は男らしく」は「自分の得意なことをしろ」の言い換えである。これはまた,「自分の不得意なことの言い訳にするな」でもあるが,そんなことはもっとずっと大きくなってからでいい。また,「男女の比較」で女らしく男らしくを言うのは違う。比較してはいけないのだ。
「女と男」からなる「人間」という広いカテゴリーは,幼児には理解できないので意味がない。「人間だもの」はみつをにしか理解できないのでどうでもいい。
Posted by n at 2009-04-14 21:45 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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