我が家の5歳児がひらがなを読むようになった。ひとつの力を手に入れたことで,引き換えに失う力もある。
我が家の子どもたちは5歳と3歳になった。最近,5歳の娘がひらがなを拾い読みするようになった。一文字一文字発音していく様子は微笑ましい。本人にとっても,文字が読めるというのは嬉しいことのようで,自慢顔である。どこで字を教えてもらったのかと聞いても「自分で考えた」などと言って教えてくれない。教えてくれよ…。
ひらがなが読めるようになったのはいいことである。しかし,いいことばかりだろうか。そんな風に思ったのは,娘がこんなことを言ったからである「あのお歌,何て歌ってるのか書いて」。歌詞を書けというのだ。紙に書くと,それを読むようになった。そして,歌を聴いてそのまま覚えることをしなくなったのである。歌詞は読めるし,読んだものは覚えられる。しかし,覚えるスピードは遅くなった。覚えるスピードは字の読めない3歳児の方がずっと早いのである。
人は何かを手に入れると,別の何かを手放していくのかも知れない。1月7日放送の実践ビジネス英語の「Quote ... Unquote」のコーナーで次の言葉が紹介されていた。
For everything you have missed, you have gained something else; for everything you gain, you lose something else.
- Ralph Waldo Emerson, U.S. philosopher, poet and essayist, 1803-1882.
ラルフ・ワルド・エマーソン - Wikipedia手に入れられなかったあらゆるものと引き換えに,別の何かを手に入れたのであり,手に入れるあらゆるものと引き換えに,別の何かを失うのである。
字を読む力を手に入れると,これに頼ろうとするので,音を聴いてそのまま覚える力を失ったのである。この「何かを手に入れると別の何かを失う」というのが本当だとすると,親としては,子どもの動機付けに注意を払わなければならない。親が評価する能力は伸びていき,評価しなければ伸びることをやめるからである。
人間に与えられている時間は有限である。大人になってもこれは同じで,最近も似たような経験をした (nlog(n): 新しい習慣を取り入れると別の何かが外れていく)。
「神童も大人になればただの人」と言われる (神童 - Wikipedia)。これは本人の能力が衰えたのではなく,親や社会がそのような方向に持っていった結果なのではないかと思うのだ。まだ歩き出さない頃,誰もいない壁に向かって何やら話しかけていたこともある。もしかすると,彼女には見えて大人には見えない何かがあったのかも知れない。しかし,大人が反応しないので,それを見続けるのをやめたということも考えられる。親が子どもの何に反応すればいいかは,よく考える必要がありそうだ。
さて,もうひとつの問題は,お姉ちゃんの影響で,3歳児までもが字を読もうとしていることだ。そして読めなくて泣く。お前はまだ読めなくていい。無理に読もうとすることはないんだよ。
Posted by n at 2011-01-19 23:06 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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