小雨の降る中,「思い出のアルバム」の歌碑がある常楽院に行ってきた。
3月は,幼稚園や保育園の卒園の季節である。卒園式でよく歌われる「思い出のアルバム」の歌碑があるというので,行ってみることにした。
天台宗 福増山常楽院 は,調布市西つつじヶ丘,京王線のつつじヶ丘駅から徒歩3分のところにある。
先週の週末は小雨が降っていた。今年はいつもより寒い。それでもここのところ暖かくなってきたので,梅の花が急にほころび始めた。
常楽院は駅から近いのだが,入り口は駅から一番遠い。常楽院の南側に墓地があって,その向かいに入り口がある。駅から歩くと,常楽院をぐるりと半周する感じになる (常楽院(宗教法人) - Google マップ)。入り口から歌碑が見える。
雨に濡れた石碑というのも趣がある。ここの住職が作曲をされたということで,楽譜が彫られている。歌詞は1番しか彫られていないので,よく味わいたいなら歌詞も準備していくことをお勧めする (おもいでのアルバム)。
当山第五十二世住職本多慈祐(昭和41年没)は、作曲家名本多鉄麿として当寺経営の「神代幼稚園」の園長を勤めるかたわら、讃仏歌、仏教保育に関する歌、各地の幼稚園、保育園、学校等の園歌校歌を数多く作曲した。
作曲の本多鉄麿さんは童謡などを2000曲以上作曲したとのこと。作詞の増子としさんは,墨田区の江東橋保育園の園長だった人だそうだ (Tako-sanのホームページ「思い出のアルバム」)。さらに詳しい情報と鉄麿さんの写真は いつのことだか、思い出してごらん。あんなこと、あったでしょ。: 東雲通信 で。増子としの,この作詞をした2年後の不幸な病気についてのくだりは涙なしには読めないものになっている。
「おもいでのアルバム」ができたとき、増子は「今度出来た曲いいわよ」と、 顔をくしゃくしゃにして、うれしそうに担当編集者に原稿を渡した、という。 ところが、なんたる、不幸か。 発表から二年後、増子は、脳に障害を発生した。 退院後、目白台の自宅で、家族と静かな生活を送っていたが 日が経つにつれ、記憶が、どんどん薄れていった。 あるとき、朝のワイドショーで、TVから、芹洋子の「思い出のアルバム」が流れてきた。 それを聞いていた増子は、 「ああ、いい曲ねえ。この歌は……」と、つぶやいたという。 それが自作だと、気が付かない彼女に夫は、驚いて、 「これは、お前のつくった歌じゃないか」と大声をあげた、という。
常楽院に隣接してあったという「神代幼稚園」は,今は駐車場になってしまったということで見てみたのだが,それらしい痕跡は見つけることはできなかった。閉園となったのは歌碑のできた1996年 (平成8年) だそうだ。
うちの子どもも,この3月で3年間通った幼稚園を卒園する。卒園式では,やはりこの歌を歌うことになっている。子どもが2年前にこの歌を覚えてきたときは,聞くたびに涙してしまい,これはまずいと思っていたが (nlog(n): 「おもいでのアルバム」が泣けてしかたない),聞き過ぎたためか今では何ともなくなってしまった。慣れというのは恐ろしいものである。それでも,歌碑の前に立ったときは胸にぐっときたから,まだダメなのかもしれない。子どもの卒園式は今度の日曜日である。ハンカチも要らないくらいで済むのか,それともバスタオルが要るほどになってしまうのか,そのときにはっきりするだろう。ただし,そのときになってはっきりしても遅いということはある。
この歌が心にしみてしまうのは,子どもが育ってきたこれまでのことを思い出して,子どもの成長を感じるからだけでなく,自分が子どもだった頃の思い出も同時に重ねてしまうからなのだ。
Posted by n at 2012-03-22 23:29 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
Master Archive Index
Total Entry Count: 1957