もしも自分がお金持ちだったら,もう少し自由な発想ができていたかも知れない。
私は,貧乏な家庭で育ったということもあり,根っからの貧乏性である。貧乏性というのは,困ったもので,10円とか100円の違いはもの痛いほど分かるのに,10万円とか100万円単位の違いはあまり分からないのである。パックのジュースを買うのに,そういえばあっちのスーパーマーケットの方が20円安かったなどということを思い出して,目の前のものは買わず,遠くまでわざわざ歩いて行ったりする。そのくせ,200万円のバイクを値切り交渉せずに一括で買ったりしてしまうのだ。金銭感覚と実際の金額がリニアに対応していない。どこかで針が振りきれてしまうのだろう。「1, 10, 100, いっぱい」みたいな感じで,「いっぱい」に達してしまうと大小が分からなくなってしまうのだ (笑)。
前置きはこれくらいで。
友人の中に,こいつは根っからの金持ちだと思う人間がいる。一生働かなくても生きていけるくらいの財産があるという。それでもちゃんとした仕事を持ち働いている。
自分と一番違うのは,その友人は,発想がニュートラルなのである。今の仕事も,「まあ,こういうのもいいかな」というスタンスでやっている。今の職場は,沢山ある候補の中のひとつに過ぎないのだ。私のように,「この就職難の中,もし今の仕事を手放したら次はないかもしれない」などと思ってはいないのだ。同じ仕事をしていても,心の中はだいぶ違うのである。
ここでの重要なポイントは,同じ結果を出していたとしても,仕事中の心境は大きく違うということである。他人にとっては結果がすべてであって,結果が出てくれば,その途中がどうであろうと関係がない。ましてや,作業中の当人が考えていることなど全く関係がない。ところが,当事者にとっては,結果よりもむしろ心の動きの方が大切なのである。
当人が考えていること,つまり,一方は「続けても続けなくてもいい」と思う中で仕事をし,もう一方は「何が何でも続けなければならない」と思いながら仕事をするということである。心の選択肢として,2つあるか,1つしかないかの違いがある。本人にかかるプレッシャーは大きく違うのである (nlog(n): やらなければというプレッシャーから逃れる方法)。
もしも自分がお金持ちだったら,何をしているだろうか。何らかの仕事は必ずやっているに違いないと思う。ただし,その仕事で稼げているとは限らないという点が,お金持ちでない場合と違うのである。仕事をしていても,収入はゼロかもしれないのだ。この場合の「仕事」とは,「何らかの作業をすること」という広義の意味である。普通「仕事」というと,お金が稼げるものである。その「狭義の仕事」とは,その仕事に対して,他人が金銭的な価値があると認めたもののことである。一方で「広義の仕事」は,他人の評価に左右されない。他人が無価値だと思ったとしても,関係がない。自分の価値観だけが基準になるのだ。自分が信じることを「仕事」として行っていくことができるのだ。
私の場合,長い期間をかけて貧乏性を身につけてしまったため (泣笑),知らず知らずのうちに必要以上の制限をかけ,選択する範囲を狭めているような気がするのだ。そして,まだこれがお金の話だけだったらいいが,もしかするとお金に関係のないことにも必要以上の制限を自らかけているのだとすると,それは本当にもったいない話になる。
かなりネガティブな方向で考えてきたが,これまでの話をポジティブに考えるなら,アマチュアでやり続けることにつなげることができる。例えば次のような疑問「なぜ上手くもないのに公表するのか?」に答えることができる。その理由は,「自分が価値を見出しているから」である。他人がどう思うかは関係がない。ただ,公表すれば,必ず他人からの評価を受けることになるのも事実である。しかし,その評価は公表した後につくものであって,事前にされるものではないのである。
Posted by n at 2013-11-14 23:27 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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