昨日は節分で,我が家でも豆まきをやった。後始末をしていたら子供も手伝い始めてしまい,複雑な気分になった。
昨日2015年2月3日は春の節分だった。こよみの上では春である。
最近は恵方巻{えほうまき}なる商品が盛んに売られているが,そんな商売っ気たっぷりの戦略にはのらないぞというわけで我が家では買っていない (2015年の恵方は西南西だそうだ→恵方の見つけ方)。商業戦略でないとすれば,それはきっとあれだ,うら若き女性にぶっとい太巻きをくわえさせて,その様子をおおっぴらにニヤニヤしながら見られるという,おっさんちっくな発想の実現じゃなかろうかと思ったりするのだが,どうなのだろうか。だとすれば売り手と買い手の利害関係の一致があって,どちらもハッピーとなりそうだ。現代風にいうなら,Win-Win の関係である。
我が家では例年通り豆まきをやった。市販の豆まき用の豆を買ってきて撒くだけである。子供がまだいなかったころもやっていたが,子供が生まれてからは一緒にやっている。「おには〜そと〜,ふくは〜うち〜」と玄関とベランダを回る。以前は風呂場からトイレまですべての部屋にまきまくっていたが,もうすぐ寝る時刻で時間もないし,豆の回収も手間だしということで,外に向かってまくだけにした。そうすれば,親にとって掃除は楽だし,子供にとっては食べる豆が残せるしで,ここにも Win-Win な関係を発見! (笑)
一通り豆まきが終わったら,歳の分だけ豆を食べる。「おとうさん,そんなに食べるのずる〜い」などと言われながら食べられるのも,子供が小さい今のうちだけなのだろうな,と思いながら食べた。「それじゃあ,こうしよう。自分の歳の分だけはきちんと数えて食べなさい。残った分は分けて食べることでよろしい」ということで子供も納得した様子。子供はたくさん食べたいからなのかどうか知らないが,昔の数え方は「たす1」していいんだよね,というようなことを言っている。それは昨日寝る前に読んだ昔話の「おおどしのきゃく」に出てくる「おとしとり」の話とつながっているのだと説明してみたり。
さて,一段落したところで,玄関の外の豆を片付けに行くことにした。我が家は集合住宅の中の一軒なので,共用部分の廊下は他人が行き来する。昨年,豆をそのままにしておいたところ,翌朝,踏み潰された豆の無残な姿があったため,夜のうちに始末してしまおうと思ったのである。そうしたら,子供も出てきて手伝うという。寒いからやめておけといっても聞かないので手伝わせることにした。しかし,これには少しばかり抵抗があった。鬼を追い払うという,伝統的ではあるがある意味メルヘンチックなことをさせておいて,一方では豆の掃除というきわめて現実的なことを手伝わせてしまっているからだ。子供の心の中では,そのあたりの住み分けはできているのだろうかと若干心配になったのだった。
暦は一歩先を進んでいるが,季節の春はまだ遠い。
Posted by n at 2015-02-04 22:02 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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