秋は落ち葉の季節。都会では落ち葉はゴミになり,土は痩せていく。
都会では…と言えば,井上陽水は自殺する若者について歌っていたが,最近は落ち葉がゴミになることが増えている。
公園の片隅に,ビニール袋に詰められたゴミが置かれていた。中身は落ち葉である。どうして地面が土になっている公園でこういうことになるのか分からないが,落ち葉はゴミとして処理され,土に戻ることがなくなっている。土に戻らなければ,木は葉を作った分だけ栄養を失うことになる。いずれは栄養不足になって枯れることになるのだろう。
地面がアスファルトなど,土でないところなら分かる。落ち葉が腐れば滑りやすくなって危ないからである。そのまま放置してもアスファルトに吸収されることはないからだ。邪魔だし,美観も損なう。
小学生の頃に習ったことが全く生かされていない。落ち葉や果実は地面に落ちて腐った後,昆虫やミミズの食料となり,その糞や死骸はバクテリアなどによって分解され,木の栄養となり,それがまた葉や果実を作っていく。そのように循環していく仕組みになっていることを学んだはずなのである。「きれいな町」は,清潔である反面,循環の仕組みを壊してしまっている (日本学術会議_おもしろ情報館 自然の持つ循環の仕組みと現代社会)。
もともと,人間が登場したときからおかしくはなっている。小学校で習う「食物連鎖」は,頂上が肉食獣で,底面が小動物のピラミッド形をしている。ピラミッド形になっているのは,上に行くほど個体の数が少なくなることを示している。ただし,その図には人間が入っていない。
落ち葉がゴミになっているのは,人間の存在ではなく,今の日本の社会のせいである。街路樹を植えてみるくらいのことはするが,長生きさせることまでは考えていない。枯れたら植え替えるだけである。もう少し社会システムが成熟してくれば,循環型の社会が実現できるのかも知れない。
落ち葉を踏みながら歩くと,いい匂いがするものだ。まだ自分にも植物と関わっていきたいという感覚が残っているようだ。
Posted by n at 2015-11-18 19:30 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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