東日本大震災が起きてから,味覚が少し変わった。それは今でも続いている。
私には,アレルギーで食べられないものはあるけれども,食べ物の好き嫌いがほとんどない。そうやって躾けられてきたということもある。子供の頃に無理して食べていたのは,銀杏と春菊,目刺,それに奈良漬だった。大人になってからはどれも美味しく食べられるようになった。
しかし,大人になっても食べられないものがあった。それは「味噌汁の中の煮干」である。そんなものは料理でもなんでもないのだが,母親からは「それくらい食べなさい」と言われ,無理やり食べていた。味噌汁に入っていなければラッキー,入っているとアンラッキーで気分が沈んだ。あの,ダシが出てしまって味がなく,ゴロリとした食感で,どこかで少し苦い。飲み込むには大きすぎる。鍋に入れる前の乾いた煮干ならバリバリ食べられるのに,味噌汁の中で元気なく泳いでしまっているのはダメなのだ。なぜこんなものがあるのだ。今日は3匹も入っている。必ず食べなくてはならないとして,いつ食べるかが問題。最初に食べてしまって後味をよくするか,最後に食べてすぐに歯を磨く方がいいのか。
大人になって一人暮らしをしたときは,煮干は残して捨てていた。小さい煮干にしたときは,何匹かは食べてその他は残すというようなことをした。結婚してからもだいたいそんな感じだった。「大丈夫だ,お前 (煮干のこと) は十分に役割を果たした,大事なところは味噌汁に全部出ている」と煮干に話しかけることで,何か悪いことをしているような気分を昇華させていた。
東日本大震災が起きて,スーパーマーケットから食べ物がなくなるのを経験した (nlog(n): 東日本大震災から1年)。その日から,煮干が食べられるようになった。味がなくてフニャフニャしていても平気。震災のショックが,5年経った今でも煮干に味をつけてくれているようにも思えるのだ。
Posted by n at 2016-03-11 04:08 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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