現在、私自身の心理状態に大きな変革の波が押し寄せている。非常にスルドイことが分かってしまったのだ。「自分は、自分が思っているほど能力がない」ということである。認めがたい事実。しかし、逆に言えば、こんなことが認識できるまでに何十年もかかってしまった、そうとも言える。
きっかけは、職場の同僚との言い争いだった。
同僚: バイトは仕事を放置しているじゃないか。なぜやらないのだ。
私: それは、彼らができないからだろう。
同僚: それは彼らに能力がないということか?
私: そうだ。彼らには能力がない。
同僚: …。
同僚は、私が「時間がないからだろう」とか「キツく言わないからだろう」とかいう返答を期待していたのだろう。私も、売り言葉に買い言葉で「能力がないからだ」と言った後で、「ゲッ、すごいことを言っちゃった」と思ったのである。
しばらくして冷静に考えてみた。私は理工系的な思考回路をしているからか、ひとつの事実が分かると、それを他のものに当てはめたり応用したりしてしまう。そして、自分に当てはめてみたのである。
私には、仕事以外のことで、「頑張ってやるべきだと思っているが、後回しにしてしまっている」ことが山ほどある。できるだけ手をつけないで放置しているのである。外側から事実だけ眺めれば、「放置している」ことに変わりはない。後回しにしていること、放置していること、塩漬けにしていること、は同じである。問題のバイト君と一緒なのである。
つまり、「放置している」と「処理する能力がない」は同じことだと言うことである。
ここで私自身の問題は、「頑張ればできるはず」と思っていたことにある。これは、「自分には能力があるが、できないのは頑張らないから」だと、自分の能力を過信していたことに他ならない。
では、「後回しにしていること」は諦めるのか? 能力がないから?
今のところ、諦めるかどうかということは考えていない。それは別の問題として捕らえることにする。とあえず、「頑張ってやらないといけない」場所には置かないで、別の場所に置く。当面は、「頑張らないとできないことは、能力がないからできないことだ」と認識するだけ。
「思っていたより、自分に能力がない」ということを自分自身に納得させるには、今しばらくの時間がかかりそうである。かなりキビシイ現実だからである。これを納得することで、一歩前へ進めるのか、それとも一歩後ろへ退くのか、まだ分からないが、新たな一歩であることに変わりはない、そう考えることにする。
2007年7月2日追記:
関連に「バカの壁」がありますが,放置するかしないかの境界と,思考停止の境界であるバカの壁は違うものです (nlog(n): 「バカの壁」を読んで)。
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この記事を読むと、なんか昔の私を見ているようで(苦笑)。
余談ですが、結婚して子供ができて大きくなって、子供が親(私)を深く見ているのを聞くと、バカの壁を実感します。「子供に教えられる」とはこのことだったのか、と。
Posted by: calc at July 19, 2004 07:45> この記事を読むと、なんか昔の私を見ているようで(苦笑)。
そうですか…。誰もが通る道でしょうか。
「お前、その年でまだそこにいるのか?」「はい、そうです」。この「はい、そうです」が言えるようになりました。今まではいろいろ言い訳をしていた気がします。
「バカの壁」読んでみます。
Posted by: n at July 19, 2004 09:03