人は,生まれてから死ぬまでに,心の中に1本の樹を育てる。樹の幹となるのは愛情である。このように考えることで,私自身の心の構造が上手く説明できることが分かった。親子や男女の関係も説明できる。この話題は連載の予定。
現実世界において,真実というのは事実の形で存在していて,多くの人の目に触れるところにある。複数の人間でそれが真実であることを確認することができ,共有できるものである。
ところが,心の真実というものは,自分の心の中だけにあり,他人がそれを見ることはできない。自分自身で信じていることだけが真実なのであって,他人が何と言おうと変わることはない。思い込みだけが真実なのである。
例えば,周りの人100人が「それはからかっただけだよ」と言っても,本人が「いじめられた」と思ったのであれば,「いじめられた」という思いがその人の真実である。この場合,第三者的な意見は全く意味がない。本人の思いは,他人から説得されただけでは変わることはないのである。
ここでは「他人に対する説得は,すべて意味がないもの」と言っている訳ではない。他人がどう感じるかを説得しても意味がない,と言っているだけである。逆に,本人の立場に立って言えば,「自分はこう感じた」という1点に関しては誇りを持ってよい。他人にとやかく言われる筋合いはない。それは自分自身だけの感覚であり,常に真実なのである。
自分がどう感じたかということを変える必要はない。しかし,その感覚を最終的にどう受け止めるかは,変わってもよい。例えば,学校の先生にひどく叱られてその時は非常に腹が立ったとしても,叱った理由が私のためであることが分かれば,納得することができる。腹立たしさは感謝として受け止めることも可能なのである。自分がその時どう感じたかを「感情」,最終的にどう受け止めたかを「理解」という言葉で表現することにする。その場での感情をストレートに受け止めることができれば,心は軽くなる。理解するのは後回し。それには「感情」と「理解」を分離できなければならない。分離できるようになるには,一定のトレーニングが必要かも知れない。
Posted by n at 2005-02-19 14:22 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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