自覚なき嫌がらせはなぜ発生するのか。面白がりながら,相手のどこを攻撃するのか。分かってしまった。
私の顔をデジカメでアップで撮って,メールで送ってくれる知り合いがいる。これはどういうことなのか?
私は自他共に認めないかもしれないが男前である。しかし,十分に中年なので,額は広がっているし(えーと,要するに何と言うか薄毛?),シミも多くなってきている。その知り合いが送ってくれるデジカメ写真は,なぜか髪の毛のはえぎわやシミに焦点が当たっている。私は人間の価値は顔の造作で決まるものではないと思っているので,あまり気にしない(nlog(n): 顔じゃなくて心だけどやっぱり顔だ)。多少は「老い」が気になってはいるが,それはニオイなどの他人に影響のあることのみに限定される(nlog(n): 加齢なる日々の始まり)。とは言っても,わざわざ手間をかけて送りつけられると,気分が良いものではない。つーか気分悪いのさ。
その知り合いは,普段の付き合いでは仲が悪いわけでもなく,言いがかりをつけてくるわけでもない。ということは,何をしているのか本人は自覚がないことになる。単純に面白がっているだけという,自覚なき嫌がらせである。本人は攻撃をしていると思っていない。
数多い写真の中には,画像処理してシミを強調してくれているものもあった。最近まで,なぜ手間をかけてまでそんなことをしてくれちゃっているのかが分からなかった。しかし,このところ立て続けに複数の人からいろいろな嫌がらせや攻撃を受けたので,その理由が分かってしまった。気づいちゃった,気づいちゃった,ワーイワイ。(泣き笑い)
「嫌がらせの的は,嫌がらせをしている本人が気にしていることでもある」ということが分かったのである。
頼んでもいないのに写真を撮ってくれる知り合いは,私より何歳か年上。ハゲてないし(あぁ,言っちゃった),肌もキレイである。しかし,本人は気にしているのだった。自分が自分自身で気になっていることに焦点を当てて,他人を攻撃する。いわゆるひとつのイジメである。自分より悪い状況の人を見つけてイジメることにより,自分の気が紛れるのだと思われる。心配事が減ったような気になるのだ。彼は私の何かが羨ましいのかよく分からないが気に食わないらしい。しかし,気に食わないと思っているところは直接の攻撃の対象ではなく,別のところになっている。別のところで,自分が気にしているところや悩んでいるところを標的にする。
他人を仲間ハズレにして苛める{いじめる}人は,自分が仲間ハズレにされるのが怖い。力の弱い者を苛める人は,自分より力の強い人の言うなりになる。つまり,イジメる点は自分自身の弱点でもあるのだ。
しかし,ダイレクトに自分の弱点で攻撃してくることは少なく,少しばかりネジれていることが多い。例えば,チビをいじめる体の大きい子供は,自分の体が小さいことを気にしているのでもない。ましてや大きいことを気にしているのでもない。この場合,体の別の部分が小さいのが気になっているのだ。もしかすると小さいのではなくて,変な形なのかも知れない。少なくとも自分の体にコンプレックスを持っていることは確実である。ここで重要なのは,実際に小さいかどうかではなく,「小さいと本人が思っている」というのがポイントである。
気になるところというのは,詳しいところでもある。気にしていると,だんだん詳しくなってしまうからである。そして,詳しいからこそ,それを材料に攻撃できるということにもなる。逆に,詳しくなければ攻撃できないし,攻撃されてもあまり感じない。
人に嫌がらせをする人は,知らず知らずのうちに,自分の弱点あるいは弱点に近いところをさらけ出してしまっていることを知るべきだ(教えてあげないけど)。頭かくして尻丸出し。私はこのような仕打ちを受けたときには,できるだけ受け流すようにしている。取り合わない。相手の悩みと心の闇が分かってしまうが,できるだけ無視する。そして,どうしてもガマンならないときだけ,角度を変えて反撃するようにしている。その攻撃は相手にとってかなりの痛手になる。実際にやってみると,かなりの効き目でごめんちゃいな気持ちになるほどだ。
自分の悩みを他人へのイジメとして発動する人に同情は無用だ。悩み相談には乗ってあげない。自分で解決できるまで悩んでいればよいのだ。
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