最初に巻き戻して,見方を変えて観直したい映画がある。
これは Nickelback というカナダのバンドのミュージックビデオ。曲名は「Someday」である。愛・蔵太の少し調べて書く日記 さんで,叙述トリックが用いられている作品として紹介されていた。
トリック - Wikipedia には,推理小説における叙述トリックの説明がある。
叙述トリック
小説という形式自体の暗黙の前提や偏見を利用したトリック。
Nickelback のミュージックビデオは推理小説ではないが,手法としては同じものである。仕掛けが分かったときに巻き戻して見たくなる映像である。以下はそんな映画の話。
私は,映画を見るとき,最初の数分間でその映画の見方を決める。その映画がコメディなのか恋愛ものなのかホラーなのかというジャンルを決めるのだ。ジャンルを決めるということは,見る姿勢を決めるということであり,これは視聴者にとって大切なことでもある。例えば,映画がコメディだと分かれば,安心して大笑いすることができる。コメディでは大笑いするシーンでも,恋愛ものに出てきたら「クスッ」と笑うだけにして,大きな流れをくずさないようにするに違いないからだ。見る姿勢を決めることは安心感につながるのだ。ホラー映画の場合,安心して見るというと変な感じがするが,「安心して怖がることができる」は「怖がることを楽しむ」と解釈すればよい。
見る姿勢を決めることは,映画監督の表現したいことを掴み取るための第一歩になる。しかしその反面,逆の効果もある。映画のストーリーに偏見を持ち込むということでもあるからだ。そして,この観客の持つ偏見を逆に利用するのが,叙述トリックということになる。
上のミュージックビデオの場合,見方は次のように変わっていく。
最初は,痴話喧嘩か何かが原因で別れる話に見える。男のあまりに未練がましい姿が映し出され,映像を観ている側の偏見を固定する。これは「失恋もの」の映像だと決めつける。しかしこの偏見により,描かれているものが正しく受け取れなくなってしまうのだ。しかしラストシーンでストーリーの意味を初めて理解し,同時に自分の偏見も理解することになる。そして最初に巻き戻して観たくなる (nlog(n): 途中からジャンルが変わる映画)。
巻き戻して何度か見る場合,そのたび毎に見方が変わっていくことに気がつく。
この叙述トリックは,事実を出演男性の視線でとらえることで実現されている。主観的に把握された事実だけで構成されている。そのため,最後にトリックだと分かったとしても,観客はイヤな気分にならない。この男性の感情と彼に見えた世界はトリックではないからだ。
映像はよくできている。女が男の呼びかけに答えない,女の足あとはつくのに男の足あとはつかない,男が追いかけているのにバックミラーには写らない,という状況が上手く表現されている。
Nickelback の「Savin' Me」は,不思議な力を身につけてしまった男性の話。HiroIro: Nickelbackの何となくデスノート風なPV さんで紹介されていた。不思議な力は連鎖していく。先の「Someday」も霊的叙述的だった。Nickelback は霊的現象好き?
ちなみに,私はシックス・センスの「ラスト10分だけ」を観てしまった不幸な人間だったりする。
2015年7月2日追記:
Nickelback「Someday」のミュージックビデオをもう一度見てみたところ,ラストが変わっていました。この記事を書いた2006年のものは,女性が交通事故で死んでしまい先に死んだ彼氏と再会して抱き合うというラストでしたが,現在のビデオでは交通事故の後も女性は生きているということになっています。
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