そんなに電車の中で携帯電話で話したいのならじっと見つめてあげる…「キモッ!」。しかし,携帯電話もそれくらいキモいのである。
電車の中で携帯電話で話す人は嫌われる。私も嫌いである。
音量的には問題がないという意見もある。
確かにその通り。しかし,問題はもう少し複雑なのではないかと思う。
元ネタは上の記事だった。話題に乗り遅れた。気がつくのが遅かったのではなくて,まとめるのに時間がかかってしまった。
私が電車内の携帯電話通話を嫌う理由は次の2つである。
どちらの理由も,1次的ではなく2次的である。「携帯電話で話すなよ,うるさいよ」と言っても「音量的にうるさいわけではない」ので,話が少し難しくなっている。職場の後ろの席で,小声で不満をグチグチ言う人がいたら「うるせーよ」と思うでしょ? 「うるさい」にも色々あるわけだ。2次的で難しいというのは,例えば野球で,スピードしか分からない人に回転のかかった球の話をすることに似ている。「あいつの球は打ちづらい」というとき,ボールの1次的な性質はスピードであり,2次的な性質は回転である。「あんまり速くないのに,球が重たいんだよ」と言っても,「スピードは遅いんでしょ? それに,ボールの重さって変わるわけ? 質量的に?」と言い返されると,説明する気をなくしてしまう。もうね,面倒くさくなるのね。「説明しても分からないだろうな感」が満載。
理由が単純ではないためになくならないものに,「自転車のランプは点灯しないと危険だよ問題」があるのを思い出した (nlog(n): 無灯火自転車が減らない理由)。
携帯電話はメールなどの用途もあるが,以下では通話での用途に限定して話を進める。
「電車の中での携帯電話が不快」な理由は,「独り言に聞こえるから」である。これは,家に帰るとおじいちゃんがテレビに向かって独り言を言っていて,それを見るとウフフとなるのとは訳が違う。全然知らない人が隣でブツブツ独り言を言っていたら,「ギョッ!」とか「ヒェーッ!」とかなる。
電車に乗っていると,親切にも次の停車駅を教えてくれる人がいる。
次は市ヶ谷,市ヶ谷。南北線,都営新宿線はお乗換え。
頼んでいないのに…。車掌でもないのに…。不思議なことに,だいたいは,車掌の声色で教えてくれる。いわゆる「向こう側へ行ってしまった人」である。普通の独り言は,その人の感情が表現されるのだが,これは違っている。「独り言」と言っていいのかも微妙だが,相手がいないので,独り言のうちに入れておく。
上のような人はそのままにしておけばよい。駅が変わったにも関わらず市ヶ谷駅のアナウンスをしてくれるかも知れないが,それは仕方のないことである。しかし,次の場合はどうだろうか。
いったい何なのかしらね。ちゃんと分かってるのかしら。何度言えばЯΥΘεξЁЖЩй?≒д (聞き取り不能)
「不満があるんだろうなぁ」と思って,ちらりと横目で見てみると,相手がいない。いわゆる「向こう側のもっと向こうへ行ってしまった人」である。隣の席なら,立ってもいいから離れるレベルである。声がだんだん大きくなるようだったら,車両を変えるレベルになる。この人の場合は感情を表現しているという点で本当の独り言なのだが,先の「乗り換え案内人」よりも危険度は高い。
割と混雑している車内で,そこだけ空間があいていたり,席があいていたりするとき,それにはそれなりの理由がある。皆さん知っているのだ。よく分かってらっしゃる。
さて,携帯電話に話を戻すと,電車内は携帯電話は独り言に聞こえるので,周りにいる人は「ギョッ」とするのである。ちらりと見て,「あぁ,携帯電話か」と思っても,しばらくしてまだ話しているのが聞こえると,またまた「ギョッ」とする。そしてまた「そういえば携帯電話だったな」と再認識する。この「ギョッ」は,一般には「不快」とか「迷惑」などと表現される。しかし,携帯電話で話している本人は,何が「不快」で,何が「迷惑」なのかが分かっていない。「小さい声で話せばマナー的にOK」くらいにしか思っていない。でも小さい声でもキモいですから。そういえば,「キモい」をネタにするとは,亀子のぶおはすごいところに目をつけたなぁ (豚汁飲む?僕の汗だけど)。ただし,「亀子のぶお」という名前が覚えられないことが問題だ。それはこちらの問題か。話がそれた。
何か解決策はないのか考えてみる。「携帯電話を禁止」とまで強く言うのは暴力的だし,やったとしても,なかなか改善されそうもない。もっと建設的に考えよう。建設的な解決策は,迷惑だと思っている人が自らの行動を変えることで実現される。不快の原因は,「独り言に聞こえること」なのだから,常に携帯電話で話しているということを認識すれば,不快感は解消されることになる。それを認識するには,携帯電話で話している人をじっと見つめればいいのだ。この場合,「人をガン見してはいけない」という暗黙の一般的マナーを破ることになるが,相手は携帯でマナーを破っているのだから,オアイコである。
車内アナウンスで,「車内での携帯電話での通話は…」と,毎日,各駅で,言われるのはいい加減ウンザリ (nlog(n): ボクらはバカになってしまったのか)。そのアナウンスの方が,音量的には断然大きくてうるさい。電車内の携帯電話が不快な理由のもう1つは,あれだけアナウンスで「お願い」されているのに,それを無視して話し続けることであって,つまり「お願いを無視」という点で不快なのである。したがって,これは携帯電話の問題では最早ない。
「ゴミは決まった場所に出してください」と書いてあるのに,「テキトーにしばって中身が漏れているゴミ」を出す人の無神経さと同じである。ゴミとして汚いのはもちろんのこと,お願いを無視する無神経さが汚いのだ。ゴミ置き場を提供している人だって,好き好んで自分の家の前を提供しているわけではない。それくらい分かんなさいよ的な感じである。
携帯電話での通話の場合,「お願い無視」をなくす解決法は,「お願いアナウンスをなくすこと」である。そうすれば,その無神経な人を見ることによる苛立ちや不快感はなくなる。携帯電話で話すこと自体の無神経さはなくならないが,お願い無視の無神経さは気にならなくなる。少なくとも,マナーを守る人と守らない人の断絶はなくなる。車内アナウンスも減るので,音量的にも静かになって一石二鳥。
先にあげた,私が電車内の携帯電話通話を嫌う理由は,どちらも話す人の無神経さが原因である。しかし,その理由を説明しても分かってはもらえないだろう。そんなとき,人は,諦めて「マナー」と言うのである。私は「マナー,マナー」と言うのは好きではないのだが,これに関してはどうしようもない。
建設的解決策としては,何だかオモシロな方法しか見つけられなかったが,これはつまり,この問題に関しては手詰まりであることも意味している。
Posted by n at 2008-10-27 23:33 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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