「大きな古時計」に登場する「おじいさん」と,その孫の年齢について考える。おじいさんは晩婚であったに違いない。
我が家の3歳になる娘が,歌を覚えた。
今は もう 動かない おじいちゃん
おーい! そこで止めるな~! 最後まで歌え~! そこで止めると意味が変わるから~。おじいちゃんが聞いたらびっくりするなんてもんじゃないよ~。
さて,有名な「大きな古時計」を歌っていると,少しだけ気にかかることがある。それは年齢に関することである。
歌詞 (大きな古時計) の情報から,次のことが分かる。
つまり,おじいさんは100歳で亡くなっていることになる。なかなかの長生きである。
歌詞をもう少し深く読んでいくと,別のことも分かる。歌っている人のことである。「おじいさん」と呼びかけていることから,歌っているのは孫ということになる。孫でない人も,お年寄りのことは「おじいさん」と呼ぶが,近所のお年寄りについて,「きれいな花嫁やってきた」などの家庭の事情にまで首をつっこむことは考えにくい。しかも古時計の置いてあるのは家の中であり,そとからは見えないし音も聞こえない。音が聞こえなければ「チクタク」という音の表現もできないだろうし,常に動いている状況を心を込めて歌えないからだ。したがって,「おじいさん」の身内に限られる。
この歌詞とメロディーから分かるように,これは子供が歌う歌である。その年齢は,いっているとしても,せいぜい10歳。そして,孫はおじいさんが生きているときのことを知っている。なぜなら,今はもう動かなくなってしまったが,時計が動いていたときのチクタク音を聞いているからである。それに,まったく知らないおじいさんのことなど,懐かしんで歌うことはなかろう。
これらを総合すると,「おじいさん」と孫である「わたし」の年齢に関するひとつの仮説を立てることができる。これを上の図に示す。「おじいさん」が95歳のときに「わたし」が生まれ,「おじいさん」が亡くなってから5年経ち「わたし」は10歳になって,時計を見ながらおじいさんのことを思い出してこの歌を歌っているのである。おじいさんが生まれたときは新品だった時計も,今は古くなってしまい,そして動いていない。
私が気になっているのは年齢差である。「おじいさん」が生まれてから,孫の「わたし」が生まれるまでに95年間もあるのだ。間には「わたし」の親が入っているだけである。親としては父か母のどちらかであるが,ここでは父親「おとうさん」としよう。「おとうさん」が30歳のときに「わたし」が生まれたとしたら,「おじいさん」が65歳のときに「おとうさん」が生まれていることになる。かなりの高齢である。高齢で子供を作ったといえば,三船敏郎は62歳 (三船敏郎 - Wikipedia),上原謙は71歳 (上原謙 - Wikipedia) が有名であるが,レアケースであるから有名なのであって,普通は難しいということの裏返しである。
実は,ここでは「おとうさん」が30歳で「わたし」を作ったことを仮定しているからすごい年齢になっているが,平均すれば「父」「祖父」それぞれ42, 43歳であればよいことになる。それでも,家系的に「強め」ではある。私としては,おじいさんが高齢にも関わらず,若くて「きれいな花嫁」を連れてきて,夜な夜な「チクタク」していたのではないかという,若干エロースな想像をしてしまうのだ。その根拠を次に述べる。
おじいさんは高齢で結婚したに違いないことは,「おばあさん」の存在から分かる。歌詞に出てくる「きれいな花嫁」は「わたし」にとっての「おばあさん」に当たる人である。いくら綺麗だといっても「おばあさん」である。「わたし」が「おばあさん」の若い頃を写真で知っていたとしても,今が余りにもヨレヨレだったら,「きれい」だとは言わないだろう。また,「おばあさん」が「きれいな花嫁」の頃は,自分はもとより,父親も知っているはずはない。生まれていないからだ。したがって,「おばあさん」は若い頃の美しさが,現在でもいくらかは想像できるくらいでなければならないことになる。つまり,「おばあさん」は「おじいさん」よりかなり年齢が下であると言える。もし同じ年齢だったら,おじいさんが亡くなったとき,おばあさんも100歳であり,現在は105歳になっているはずで,これは考えにくい。出産の年齢を考えればますますである。さらに,歌の中では,おばあさんの死については語られていない。つまり,おじいさんの死後,この歌を歌っているときまでは生きていると思われる。もし生きているとすれば,たとえおばあさんが綺麗でなくても,花嫁に「きれいな」という修飾をつけることは十分に考えられる。これを聞いたおばあさんがお小遣いをくれるかも知れないからだ。まとめると,おばあさんは存命であり,おじいさんはかなりの晩婚であることが結論できるのだ。
おばあさんは若くて綺麗でなければ,高齢のおじいさんは奮い立たないのである。おじいさんが奮い立たなければ「おとうさん」が生まれない。やはりここでもエロスな妄想が!! すんまそん! 子供の歌なのに!!
「わたし」の可能性として,上では「孫」であるとしてきたが,「ひ孫」である可能性もある。歌を歌って聞かせているのは「孫」で,「ひ孫」にとっての父親だと考えるのである。つまり,「おとうさん」が「おとうさんのおじいさん」について歌っていることになる。「ひ孫」にとっての「おとうさんのおじいさん」は,「ひいおじいさん」ではあるが,お年寄りという意味では「おじいさん」であるので,ひ孫が歌っても矛盾が生じない。
「大きな古時計」の原曲は,アメリカ人のヘンリー・クレイ・ワーク作詞作曲の「My Grandfather's Clock」である (大きな古時計 - Wikipedia)。イギリスでのエピソードがもとになっているとのこと。原詞でのおじいさんの年齢は90歳。日本語訳よりも10歳若いということになる。それでも90歳まで生きたのだから元気である。原詞では子供を作る年齢は若くなるが,高齢だったことに変わりはない。なぜ私が「夜もチクタク」を想像してしまうかと言えば,時計の音が気になるのは静かになった夜だからである。昼間は,時計の音はほとんど気にならないが,皆が寝静まった深夜には,時計の時刻を刻む音と,若かりし頃のおばあさんの声が…あ~れ~。妄想が止まらなくなってモッコリしたのでおしまい。
「大きな古時計」の詳しい歴史や,「大きな古時計・その後」の歌については 大きな古時計特集 世界の民謡・童謡 さんでどうぞ。「おふくろさん騒動」の黒幕が「古時計」の翻訳者だったりするという話も読める。
Posted by n at 2008-11-12 01:06 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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