人にはそれぞれ「努力しても上達しないこと」がある。しかし,それは間違いかも知れない。その努力は,「片足だけ鍛えていた」からかも知れないのだ。
人にはそれぞれ得意なことと不得意なことがある。学校の勉強でも,得意科目と不得意科目がある。いくら勉強してもできるようにならないことがある――最近までそう思っていた。しかし,これは間違った認識であることに気がついた。
私が体験した最近の身近な例は,英語の勉強である。ふとしたきっかけで,昨年から英語の勉強を始めた。といってもやっているのは,単純なトレーニングで,日本語の文を見たらすぐに英文を発音できるようにするという「瞬間英作文」である (英語上達完全マップ●瞬間英作文)。自分にあったやり方も考えた (nlog(n): 英短文暗唱トレーニング法 - 私の場合)。トレーニングしていると,英語が身についてきているのか「どこかで試したい」と思うようになってきた。このような欲求は,今までになかったものである。学生時代は英語が不得意だったからだ。
このことから学んだのは,「トレーニングすれば上達する」ということである。あまりに当たり前のことだ。いや,そうではない。違うのだ。分かったのは「今まで鍛えていない部分をトレーニングすれば上達する」ということなのだ。学校の英語だって,勉強しなかったわけではないのだ。
子供のころにやった遊びに「ケンパ」がある (私は東京生まれ)。「ケンケンパ,ケンパ,ケンパ,ケンケンパ」と言いながら,地面に描いた丸の上を跳んでいく遊びだ (上の図)。「ケンケン」では片足で跳び,「パ」で両足を開いて止まる (山口県につたわるこどもの遊び(ケンパ))。
ここで,「ケンパ」の丸が一列しかない場合を考える。右足しか使ってはいけないのがルール。それが延々と続いているとすれば,どうだろうか。
今までやってきた努力のうち,実らなかったものは,片足しか鍛えてこなかったのではないかと思うのだ。つまり,片足だけ筋肉隆々でモノスゴくて,もう片方はヨワヨワな状態なのだ。しかし,どんなアスリートだって,片足で行ける距離はたかが知れている。
しかし,もしも,両足を交互に使っていいのなら,ヨチヨチ歩きの子供だって,片足のアスリートよりも遠くに行くことができるのではないだろうか。
「その世界で一流」になるには才能と努力の両方が必要だろう。しかし,それを目指さないのであれば,努力だけで,つまり「自分にあったトレーニング」だけで,かなりのところまで行くことができる。
このように考えると,上達を望むなら
でいいということになる。トレーニングは単調であり,退屈かも知れない。しかし,不足を補った後,両足のバランスがよくなれば,あとは勝手に歩き出すようになる。これで遠くまでいける。しかもつらくない。
私は,人生は歩くことだと思っているのだが (nlog(n): 人生は障害物歩だと考えることにした),こんなところにも類似点があるとは。というか,なぜ今まで気づけなかったのか (T-T)。認識を新たに明日への一歩を踏み出そう。
(本文中で使った図は,Google SketchUp 7 で,ボーナスパックから「人物」コンポーネントを追加して描いている)
Posted by n at 2009-03-04 20:53 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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