褒められれば嬉しい。それは確かである。しかし褒めてくれる人が誰でもいいのかと言えば,そうではない。
ほめられサロン
ほめられサロンは,名前を入力すると,むやみにベタ褒めしてくれるサービスである。ほめられると嬉しいという声も多い (はてなブックマーク - ほめられサロン)。これは期待できそうだ。
私は「褒められて伸びるタイプ」であるのを自称していることもあり,やってみた。しかし,どうもいかん。嬉しくない。恥ずかしくもなく,照れもしなかった。要するに何も感じなかったのである。褒められれば,単純に喜べるだろうと思ったのだが,それは勘違いだった。
分かったのは,私が褒められて嬉しいのは,私のことをよく知っている人が,ピンポイントで褒めてくれる場合だけだったということである。私のことを知ってくれている人というのは,生身の私を知っている人だけでなく,ブログの文章や音楽で,ある側面だけを知ってくれている人でもいい。褒められて嬉しい点としては,表に出していないところである。成果物を褒められてもそれほど嬉しいものではない。成果物であれば,細かいこだわりを褒められる方が嬉しい。自分に対してよく考えてみると,この「こだわり」というのがキーワードであるように思える。
私が他人に対して持つ興味は,その人のこだわりである。しかもそれを,その人の「表面だけ」から見つけたい。おもてに出ているものだけから,どんな裏打ちがされているのかを見つけたいのだ。こだわりがある人というのは,それがどうしても表面に出てくるものだからだ。こだわりのない人には興味がまったく湧かない。
私がもし「白鳥」を褒めるのなら,羽の美しさではなく,水面下の足についてである。それも,水かきの形とか,効率的な脚の動かし方についてよく話を聞いた上で褒めチギルだろう。私は他人を,私だったら喜ぶと思うように,褒める。それ以外の褒め方はできない。
「ほめられサロン」に戻って言えば,ツンデレにするなら分からなくもない。
上の表示は,名前を「バカ野郎」にして,「男性」,「一般事務」を選択した場合である。ツンデレしてくれる相手が男だという設定が微妙ではある。
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