自分は ADD かも知れない。断定できないが,思い当たることが多すぎる。
ADD とは,Attention Deficit Disorder の略で,「注意欠陥障害」のことである。ADD は,しばしば ADHD {Attention Deficit / Hyperactivity Disorder} 「注意欠陥・多動性障害」とまとめて議論される (注意欠陥・多動性障害 - Wikipedia)。
サリ・ソルデン著の「片づけられない女たち」を読んでみたら,自分に思い当たることが多すぎることに気がついた。「片づけられないおんなたち」は,女性の ADD にターゲットをしぼって書かれている本である (nlog(n): ADD の概要がつかめる「片づけられない女たち」)。もちろん,男性にも ADD を持つ人はいて,私は多分その中の1人だ。私の持つ問題の具体的な特徴を思いつくままあげれば,次のようなことがある。
整理してみると,空間的・時間的・金銭的なものに対するバランス感覚に欠けている。精神的には混乱が多いことが災いして様々な形となって現れているということが分かる。幸いにして,これは病気ではない。しかし不幸にして,これは障害なので治らないのである。病気は治療できるが,障害は治療できないのだ (薬物療法という手はあるようだが)。これまで知らずにずっと生きてきたが,それと知ったとしても,これからも付き合っていかなければならないことは変わらない。面倒である。
私は,子供の頃から忘れ物がひどく,学校に出かける途中で忘れ物に気づいて走って戻っていた。親に聞いてみると毎日のことだったという。部屋の片付けができないというのは,毎日親にガミガミ言われていたので今さら思い出すまでもない。お金の管理ができないので,できるだけ使わないことにしている。だから貯金は貯まり放題。約束を忘れてしまうというのは,かなりの実害が出ていて,歯医者の予約などは何度ぶっちぎってしまったか分からないくらいだ。子供の頃は「うっかり屋」として許されたが,大人になるとこれは厳しい。おかげで友達と疎遠になったりもした。それは自分のいい加減な「性格」が原因だと思ってきたが,ADD だとすると,性格ではなく障害なのだった。そうは言っても,自分からは取り除けないものではあるので,広い意味で言えば性格に入ることなのかも知れないが。
上にあげた ADD の具体的な特徴について,私の経験を踏まえた上で総合的にまとめると次のようになる。
物事の優先順位がつけられないのである。だから,不要なものを捨てて部屋を片付けることができないし,その結果として部屋に物があふれるので探し物も見つからない。頭の中に常に考えが駆け巡るので,予約や待ち合わせも思い出せない。
優先順位がつけられないからと言って,重要度が分からないという訳ではないというのが非常に難しいところである。ダイレクトメールと友人からの手紙があったとして,友人からの手紙が重要なことは分かる。しかし,ダイレクトメールにも何らかの価値を見出してしまうのだ。そのためダイレクトメールはそのままゴミ箱直行とはならずに,棚の上に積み上げられていくことになる。ダイレクトメールの価値とは,内容に価値は見いだせなくても,「この下らなさはブログのネタになる」という別の価値である。しかし,そんな下らないことにかける時間は結局なくて,ゴミも溜まるし,ブログを書こうと思って書けないフラストレーションも溜まっていく。この場合,ダイレクトメールという「もの」の価値だけが判断基準ではないので難しい。ブログを書くという「時間」を判断基準に入れなければならないのだ。「もの」と「時間」の配分を考えて,捨てるかどうかを決めるというのは非常に難しいことなのである。それを普通の人は何気なくやっているらしい。
そうなのである。普通の人は何気なくやっていることでも,ADD を持つ人間は大量のエネルギーを投入しなければならないようなのだ。上のダイレクトメールの例で言えば,普通の人なら「いらね,ポイ」で済むのに,私は捨てる前に次のように考えるのである。「これはものの価値は低いのだがネタの価値は結構高いぞ。ここで捨てるのは簡単だが,それを敢えてネタにするのは意味がある。誰もそうは見てこなかった新しい視点だからだ。そうだ,このことをブログに書いて公開しよう。書くのにはまとめるのと実際に書く時間が必要になるな。これくらいのネタだと2時間くらいになるか。今日これから2時間はかけられないな。明日にするか,でも今日でも明日でも2時間かかることには変わらないぞ。ここで明日に先送りにすると,明日のやることを圧迫するし,今のバカバカしいこのふざけた感情を忘れてしまうかも知れない。気持ちを思い出すのに労力をかけるくらいなら,今少し無理でも書いてしまう方が効率はいいな。そんなことを考えているうちにもう10分も経ってるぞ。2時間つーか,すでにかなり眠くなっちゃってる。寝るなら眠くなってる今がベストだ。そうすると時間はとれないな。仕方ない,ポイするか。いや待て,捨てるのはいつでもできる。今日のところはどうするか保留」。捨てる前にちょっとだけ考えてみたことなのに,結局捨てていない。捨てるという目標が達成できていない。せっかく時間の見積ができてるのに活用できていない。あまりにあんまりである。文章にしてみると面白いが,本人は真剣なのでたちが悪い。
ADD は「もの」同士の価値のあるなしももちろん分かる。比較すれば「こちらが大切」というのは分かる。しかしピンと来ない。外国語で言われているようなのだ。「It sounds less important than that.」って内容は分かってもピンと来ないでしょ。「あまり重要では無い気がする」。でも価値がゼロってわけじゃないような気もするでしょ。
私が自分の状態を例えるなら次のようだと,昔からずっと思ってきた。
ものすごくエネルギーを使ったのに,何もできていない。それどころか逆に悪化している。この例なら,内側に出た冷気は外に逃げていってしまい部屋はいつまでも暑いまま。それに加えて,エアコン自身が稼動した熱量で室温はかえって上がるし,電気代もかかって悪いことばかり。それだけど,エアコンとしては懸命に働いているのだ。
もしかして,みんなは「頭の中に浮かんだ考えを整理する前にワーッと次の考えやさらに次の考えが押し寄せてくる」という感じではないの? やっぱり変!?
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