「片づけられない女たち」は,自分が ADD かも知れないと疑いを持ったとき,男女に関わらず,最初に読む本として最良ではないかと思う。
サリ・ソルデン著「片づけられない女たち」は,米国に住む ADD の女性たちに向けて書かれた本である。ADD とは Attension Deficit Disorder の略称で,注意欠陥障害のことである。この本は,アプローチや解決法が欧米的ではあるが,それを差し引いてもとてもよく書かれている。
この本がまず優れているのは,何について書かれているかが明示されていることである。それは,米国に住んでいて,女性で,片づけられないということに悩みを持っている人たちであり,これは読者として想定している人たちでもある。このように範囲を限定し,しかも最初に明示してあることは,私のような ADD かもしれないと思っている男性が読む際にも,どこが当てはまってどこが当てはまらないかということに見当がつけやすいので助かるのだ。米国と日本では文化的な背景も違うし,女性と男性では社会的な扱いも異なる。それらは ADD を持つ人間に対して影響を与えるのだが,最初に影響範囲が示してあると,それらを別として考えればよいことが分かるからだ。つまり,これは特に女性に向けて書かれた本ではあるが,男性に対しても有用であると言える。
もし「片づけられない」という悩みが,性格という精神的な原因からきているのか,神経科学的な障害が原因であるのか,分かれば大きな助けになる。対処法がまったく異なるからだ。ただし,成人の ADD の場合,相談に行く先は原因に関わらず同じで,精神科か心療内科になる。
この本の出版は2000年。ADD の原因について解明されてはいないが,次のように書かれている。2010年の現在でも完全に解明されてはいない (注意欠陥・多動性障害 - Wikipedia)。
今のところ,ADD の原因は脳の中で科学的な情報伝達システムが安定していないことだということで大方の意見が一致している。脳そのものに問題はない。器質的な損傷はないし,頭が悪いわけでもない (かえって頭の良い人は多いという)。問題はただひとつ,脳の中で情報をやりとりしている「神経伝達物質」という化学物質が,何らかの理由でうまく出ないだけなのだ。そのため,行動がきちんと制御できず,安定しない。
pp. 25-26 (サリ・ソルデン著「片づけられない女たち」)
このように,原因は絞られているが,その症状の表れ方は個人によってかなり違う。日常生活には次のような形で症状が現れる。
- 時間,お金,モノにだらしない
- 何かというとすぐに感情的になる
- 本来の実力が発揮できず,能力の割に実績がふるわない
- 自分に自信を持てない
- 対人関係が不健康になる
- 鬱状態になる
p. 32 (サリ・ソルデン著「片づけられない女たち」)
しかし,ADD 以外の原因で似た症状が出ることもあるため,診断を下すには他の可能性を除外する必要があると言っている (p. 31)。他の可能性には,育った家庭 (荒れた家庭,虐待の多い家庭),親 (精神障害やアルコール依存の親) などがある。診断を求めるなら,ADD だけでなく,ADD とよく似た他の障害や疾患にも詳しい臨床家に頼むことが大切である (p. 31)
としている。
この本には,ADD を持つ人間に対し,短期的にどうすればいいのかを教えるのではなく,長期的にどのような方向に向けていけばいいのかが示されている。基本的な治療方針は薬物療法であり,その他次のようなことが推奨されている (p. 33)。
この本での薬物療法では「リタリン」(塩酸メチルフェニデートの商品名) の処方について書かれているが,薬は国や時代によって変わるため,必ずしも現時点で最適なものとは限らない。また,薬物によらない治療もあるだろう。
自分が ADD であることが分かったとしても,それで解決ではない。しかしもちろん,人生の終わりでもない。自分は自分自身の ADD をどう受け止めていったらいいのか,自分は治療によって変わっていけるのか,自分が変わった場合にどのような問題が起こってくるのか,それらについても詳しく書かれている。
人は誰でも自分自身の自己像を持っているが,周りの人間に対しても「ああいう人」というイメージを持っている。もしも私が明日から全然別の行動を始めたら,周りの人はびっくりすることになる。家族などは,特に密接な関係があるので,昨日までと違う行動をしたらもしそれがいいことであってももとに戻そうとするだろう。あくまでその人のイメージからずれない範囲でつきあおうとする。それは人間として自然な反応である。よく物語にあるように,中身の人間が別人と入れ替わっても,周りの人間は中身{なかみ}とつきあうのではなく外見{そとみ}とつきあおうとするのである。
自分が今までの自分から変わろうとするとき,変えるべきは自分だけではないのだ。これには時間がかかるが,もし成功すれば,今までのネガティブで鬱々とした負のスパイラルから抜け出し,自分本来のポジティブで生き生きとした正のスパイラルに入っていくことができるとしている。もしそんなことができたなら,今後の人生が,例え今まで生きてきたよりも短かかったとしても,大きな喜びとともに送れるようになるはずである。
「片づけられない女たち」には,「片づけ方はこうする」などという表面的なハウツーは書かれていない。書かれているのは,ADD というものを深く知るための情報であり,長期的で広範囲にわたる戦略である。手短かに対処してお茶を濁すのではなく,本気でこの障害と向き合うための姿勢を作るのを手助けしてくれる。自分が ADD かも知れないと疑いを持ったとき,最初に読む本としてよい本である。
ちなみに,私には「片づけられない女性関係」はないので念のため。ちょっとくらいあってもいいかもな的な妄想はあったりする。
Posted by n at 2010-02-23 23:52 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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