何とかして性欲をコントロールしたいのだが,難し過ぎて不可能。エロがあるから面白おかしく生きられるのだが,エロにいつも反応してしまうのは時間の無駄でもあるのだ。性欲がなくなってしまえばいいとは思わない。必要なときにだけ出てきて欲しい。切に願う。
どうすれば性欲をコントロールできるんだ・・・・人生において性欲は邪魔すぎる : オトコらしく生きる
上のリンク先の記事は2ch のコピペである。『Dr.有吉の密着治療室』という番組紹介の引用が意味不明だが,「どうすれば性欲をコントロールできるんだ」というのは,確かにそう思う。切実に思う。
私は男である。したがって以下は男の視点になる。結婚して子どももいるしいい年齢でもあるので,もうそろそろなくなってもいい頃なのだが,まだ性欲が残っていて面倒なことがあるのだ。夜中にひとりで起きているときなど,せっかく自分のために時間が使えるのに,エロ動画を探し回っていたりすることがある。はっと気がつき,何をしているのだろうかと思ったりする。まったくもって時間の無駄である。
性欲が邪魔だと思うのは,女性と接するときである。普通,人と接するときは「この人はどういう考えを持っているのか,自分と合う性質か」などを考えたりするのだが,その人が女性だとプラスしていろいろなことを考えてしまうのだ。「この女性はどうやったら口説けるのか?」くらいだったらまだしも,それに続けて「もしも肉体関係になってしまったら? いやそれはないだろう。でも,逆に迫られたらどうする? 据え膳だったらやっぱり食べるのか? しかし食べてしまったら後を濁すよね。だって立つ鳥後を濁…いやそれは『発つ』だから。『勃ってる』のはお前だけだから!」という皮算用的妄想が延々とバックグラウンドミュージックのように流れてしまうのは邪魔で仕方がない。しかも,女性の場合に考えることが増えるだけならまだ問題は少ないのだが,それが正常な判断を阻害することがあり,そうなってしまうと致命的である。エロが正常な判断を優先することがあるのだ。エロ的には最善だが,後々に影響する判断としては最悪である。
では性欲がなくなってしまえばいいのかというと,それはそれで寂しすぎる。性欲は人生を面白おかしくするスパイスでもあるからだ。問題は,常にスパイスにまみれてしまっていることなのだ。出したいときにだけ出せて,引っ込めておきたいときはあたかも無かったもののようにしておければそれが一番いい (「あたかも」を使って短文を作りなさい。:アルファルファモザイクだった)。要するにコントロールできればいいだけなのだ。
あからさまな性欲までいかなくても,分かっていてもつい反応してしまう悲しい男のサガというものもある。牧野ステテコ のパンチラ芸は,その男の性欲未満の部分をピンポイントでついている。目のつけ所が洒落ている (動画: 牧野ステテコ(2009/1/1放送)第2日本テレビ)。
性欲は,女性だけでなくすべてのものにエロスの視点を追加する。例えば上の写真である。このマネキンをみたとき「おおーッ」と思ったのである。マネキンであることがはなから分かっているにも関わらず,スカートの中が気になった自分に対して「こんなものにエロスを感じるとは斬新」というのと「阿呆らしい」という感情が入りまじって「おおっ」となったのである。後で冷静になってみて「お前はいったい何を求めているのだ」と自問した。
マネキンであればローアングルから堂々と写真を撮れると思っていたら,店の奥から店員が走り出てきて「写真は撮らないでください!」と怒られて意気消沈したというのは内緒である。その怒ってきた店員も女性であった (これは関係ないか)。
女性を目の前にしたとき,自分の中に性欲を感じるのはあまりにもなまなましくて,われながら嫌悪感を覚える。そういうときは,わざとセクハラ的なことを言ったりして,女性の方から距離を取るように仕向けて鎮めたりする。おっさんがセクハラ発言をして「グハハ」と笑ったりするのはこういった面もあるのだよ。
面倒くさいのは女性なのではなくて,女性に対する男としての自分の感情なのかも知れない。
何とかならんのか。
2015年9月21日追記:
加齢とともに性欲は減ってきます (nlog(n): 男の更年期かも知れない)。
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