地震の後,公共交通機関が全面的に停止したため,徒歩3時間で一旦都内の実家に非難。一晩そこで世話になり,土曜日に埼玉県の自宅に帰宅した。
地震の後,鉄道が全面的に停止した。直後から携帯電話はつながらなくなり,メールも送れなくなった。地震のときは新宿にいて,自宅まで帰るのは無理。途方に暮れていたが,妻と連絡がとれ,都内の実家に行けばと提案された。Willcom PHS のライトメールは遅延なく使えたため,これで連絡がとれたのだ。後に調べたところ,埼玉の自宅までは 25 km あり,休まず迷わず歩いても6時間はかかったことが判明し,無理して帰らなくてよかったとほっとした。方向音痴なので絶対に迷うのだ。
手もとに地図がなかったが,自動車用の青看板を頼りに2時間歩き,都内の実家にたどり着くことができた。多くの人は,印刷した地図を手に持っていた。会社で地図を印刷できた人たちである。
途中,歩いていて腹が減ったので,飲食店に入ろうとしたが,軒並み閉店していた。コンビニには人ごみができており,棚にはほとんど品物がなかった。
タイミングが合わず,また行き先も合わなかったために乗らなかったが,都バスは動いていた。通り過ぎたバスを見ると,ぎっしり人が乗っていた。自動車は,沢山の車が出ていたが,動かないほどの渋滞にはなっていなかった。ただ,消防車などの緊急車両が通りづらいようではあった。混雑していたが「我先に」という自動車はないように見受けられた。
2011年3月11日18:00頃,飯田橋陸橋から撮影。これだけ多くの車がありながら,事故なく,混乱もないというのは,すべての人が冷静であるから実現されているという証拠である。
公衆電話ボックスには列ができていた。無料で開放されていたようだ (NTT東によると13日午後5時現在、公衆電話は岩手、宮城、福島、茨城、長野各県の避難所に特設された計260台を含め、NTT東が管轄する17都道県では無料で通話ができる。
安否確認に伝言ダイヤル有効 公衆電話は無料 - 47NEWS(よんななニュース))。
一晩実家で世話になり,土曜日に鉄道を使って埼玉県の自宅に帰宅した。
Posted by n at 2011-03-13 23:44 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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