筋力トレーニングは,限界を超えてからが勝負だという。限界を体に教えるには,限界まで負荷を高めなければならない。
筋力トレーニングは,限界を超えてからの1回に意味があるという。そんな話を聞いた。
厳密には「限界」というのは超えられないものを意味しているから,「限界を超える」という表現は矛盾しているといえる。正確には「自分でここが限界だと思えるところを超える」になるのだろうが,今度は長すぎて何を言いたいのか分からないんだぜ。
最近,プロテインサプリメントを飲み始め,筋トレもやっているのだが,一向に筋肉がついてこない (nlog(n): プロテインサプリメント1か月では効果なし)。ということは,筋トレのやり方が間違っているのではないか,ということである。
思えば,今やっている筋トレは,負荷と回数ともに「確実にできる範囲」なのである。負荷も軽く,回数も少ない。よく考えてみれば,これは現状維持のための運動になるはずだ。つまり,体としては「今の力でできることであれば,余計に筋力をつける必要はない」と判断しているということである。もしも筋肉を増やしたいなら,今の力ではできないということを体に伝える必要がある。そのためには,「もうこれ以上できない! ギリギリだ」というところまで筋力を使って,さらにそこからもう1回をやる必要があるのだ。そうすることで,能なしの筋肉に,「現状では不可能であるが,筋肉がつけばできるということ」を教え込むことができるのだろう。
冷静に考えるなら,トレーニングには,現状維持のためのものと,増強のためのものがある。必要に応じて使い分ければよいということだ。
さて,筋肉の次は脳である。脳には筋肉はないが,鍛えるにはトレーニングしかないというのは筋肉と同じである。ここ何年かで,英語学習のトレーニングとして音読を続けており,順調に覚えつつ,順調に忘れて行っている (やっほーい\(^O^)/笑)。現在のテキストは英検Pass単熟語 (nlog(n): 「英検Pass単熟語1級」で語彙増強)。こちらについては,限界に近い負荷が作業の中に組み込まれている (nlog(n): 若い頃の自分に教えたい英文音読トレーニング法)。実際に力がついたかどうかは,また来月のお楽しみである。
そう考えると,学校でやっていた勉強というのは,壮大なトレーニングの蓄積だったということになる。
最近はトレーニングばかりしているような気がする。では実践は? 実践に向けて備えるのがトレーニングである。つまり,実践はしないのがトレーニングなのである。ムハハハハ。
2011年10月7日追記:
効果がありました (nlog(n): 筋肉ついたがちょっと邪魔)。
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