1年間続けてきて果たして効果があったのかという疑問を抱きつつ,今日も続けるジョギングなう。
ジョギングを始めてから1年が経過した。お腹まわりが多少スリムになったようにも感じたことがあるようだが,果たしてどうなのかと最近は思う (nlog(n): ジョギング継続効果あり)。
ジョギングの目的は体を鍛えることである。より具体的に言えば,鍛えた体に期待することは,「病気をしない,怪我をしない,多少の負荷がかかってもなんのその」ということである。これは短期的な目的。そして長期的には,もう若くはないので,緩やかに年をとるというのが目的である。
だがしかし,最近になっても,風邪をひいてダウンはするし,車の運転を数時間ぶっ続けでやれば翌日から3日間動けなくなるしで,それほど効果を感じられないのが実情である。
ジョギングの目的としては,精神的な面もある。もともとは ADD 対策の一環で始めたものでもあるのだが (nlog(n): ジョギングなう),1年間やってみて,効果はなかった。忘れ物に関しては,記録をとる方がずっと効果的である (nlog(n): ADD のための忘れ物対策)。走ることで脳が若返るという研究もあるようだが (ランニングで脳が若返る! 新しい神経細胞をつくる因子のメカニズムを解明。 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム),これについても実感はない。
最近は緩急をつけた走り方にしている。「インターバル走」というそうだ。「次の交差点まで速く」走って,「今度の十字路まではゆっくり」走り,「また次の辻までは速く」というように,強弱を交互につけている。速く走るときには色々なフォームを試している。体の重心を高めに保つと腰が壊れそうになるので,低めに抑えるのがよさそうだ。膝の負担も軽くなる。胸の力を抜くと,胸の筋肉がブルンブルンして邪魔なので (nlog(n): 筋肉ついたがちょっと邪魔) 少し力を入れ気味に。緩急をつけると当然ながら負荷が高まる。負荷を高めることで体力の増強を求めるというのは,筋トレの場合と同様である (nlog(n): トレーニングは限界を超えてからの1回に意味があるという)。筋トレで効果が出たので,ジョギングでも出るのではないかと調子に乗ったというわけである。
このため,だんだんジョギングというよりランニングに近くなってきている。
速く走るときは道路の凹凸がシビアに効いてくるので,足首に怪我をしないためにも注意が必要だ。特に夜に走る場合は凹凸が見えにくいので,なおさら気をつけなければならない。
村上春樹の本「走ることについて語るときに僕の語ること」を借りてみた。村上春樹が老いについて語った本だそうで,何か参考になることがあるかも知れない。しかし,棚に積んだまま返却期限を迎えてしまった (→読みました)。
続けることに果たして意味があるのか,疑問を感じつつも,なまった体を鍛え直すのには一朝一夕にはできないということを胸に,また今日も走るのだった。(面倒だな)
あれ? おかしいぞ。(面倒くさいな)
語尾に心の叫びが。(あぁ,なんて面倒なんだ)
2011年11月8日追記:
返却する前に読みました (nlog(n): 自分のことを語りたくなる「走ることについて語るときに僕の語ること」)。
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