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misc ばあちゃんが死んだ

先週,ばあちゃんが死んだ。享年102。週末は葬式だった。

■ ■ ■

婆ちゃんのボケが始まったのが6年前。その頃に自分の死ぬのは8月だと言っていたが当たらなかった (nlog(n): 祖母の予言)。本人は,ボケるかなり前から迷惑をかける前に死にたいと思っていて,その思いが翌月死ぬとか再来月死ぬとか言うことをさせていたのだろう。

それから半年くらいして寝たきりになった (nlog(n): 育児と介護を支えるもの)。寝たきりになってから,もう6年も経つのか。何度か入院することはあったが (nlog(n): 祖母が誤嚥性肺炎で入院),ずっと自宅に居ることができた。それは介護をする人が自宅にいたからである。寝たきりの老人の介護をするというのは,並大抵の苦労ではない。それが自分の親だったとしてもである。手間がかかることに加えて,自分のすべての時間を使うことになるからだ。

しかし,その献身的な介護のおかげで,祖母は畳の上で死ぬことができた。死ぬときには,婆ちゃんの子どもや孫が何人も集まり,最後を看取った。

婆ちゃんの体は実に健康的で,歩けなくなっても肌はツヤツヤだった。死ぬときも,正常な機械が燃料を失って停止するかのように,徐々に,ものすごくゆっくりと,身体活動を弱めていった。最後の数日は,体温も33°あたりと驚くほど低く,血圧もゆっくりゆっくりと下がっていった。

週末は葬式だった。呼ぶのは親類縁者とごく身近な人だけにして,式はひっそりと行われた。告別式では,棺のなかは白い花で埋め尽くされ,100枚以上にもなる写経と,好きだった帽子が入れられた。写経は介護中に親が (婆ちゃんの子供) 何年もかけて書いたものだった。

ああ,何ということだ,この記事を書いているうちに,目と鼻から何らかの液体が出てきてしまったではないか。

葬式はいいもんだ。遠くに別れ別れになっている親戚が集まってくる。死んでからできる唯一のことは親戚同士のつながりをもう一度作ることなのである。

葬儀屋の若い人と,葬式でお経をあげてくれた坊さんは,葬式で今やっているのは何なのかを説明してくれた。

人は死んでから旅をする。だから,「死に装束」というのは旅支度になる。足袋を履かせ,スネには脚絆{きゃはん},手甲{てこう}をつける。死装束では,「着物は左前,紐は縦結びで固結び」というように普段の生活でタブーとされていることをすべてやっていくのだという。頭につける三角形の天冠や編み笠,数珠,わらじは,横に添えるようにした。三途の川の渡し賃である六文銭は印刷したものを使った。もちろん,死に装束は地方や宗派によって異なる (死に装束 - Wikipedia)。

坊さんは唱えるお経の意味を説明してくれた。神仏を召喚し,本人に懺悔をさせて,連れて行ってもらうという。葬式というのは,僧侶の修行の一端を見せてくれる場にもなっている。それを現代の言葉で説明してくれるのはありがたいことだ。

今回の葬儀で,私が行った現代的タブーはビデオ撮影と写真撮影である。ビデオや写真で残せば思い出すきっかけになるが,他人の葬式でそんな無礼はできないことだ。

婆ちゃんは死んだ爺ちゃんに会えているだろうか。

Posted by n at 2012-12-08 05:07 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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