詭弁を見破って,正しい議論を展開するのに役立つ本。後半は論理パズルの話になっている。
わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 悪魔の詭弁術 さんで紹介されていた本,「詭弁論理学」を読んでみた。
議論しているとき,私は「何となく納得できないが,言い返す言葉が思いつかないうちに相手に押し切られてしまう」ことがよくある。これは,そういうモヤモヤ感は何が原因なのかをつきとめるのに役立つ本である。
本の構成は大きく2つに分かれていて,前半は詭弁について,後半は論理パズルになっている。安野光雅著「わが友 石頭計算機」に出てくる魔女裁判のフローチャートも紹介されている (nlog(n): 梨狩り・鷹狩り・紅葉狩り)。
前半の詭弁の部では,詭弁にごまかされないための心構えが述べられている。正しい議論をしていくための原則として,次の4点を挙げている。
詭弁の戦術に対するチェックポイントも示されている。
どれも議論を冷静に進めるのに役立つ。
しかし,このような対策については,まとめると全体が見やすくなるという利点があるが,まとめることで詳細が省かれてしまうため,「ドミノ理論に従うための労力」って何のことだっけか? と分からなくなってしまうという欠点もある。「ドミノ理論」というのは,「風が吹けば桶屋が儲かる」的な議論のことである。従うための労力はどんなことだか,やっぱり分からない。というか忘れた(ダメじゃん)。
この本を読んでから,会議に出席してみたところ,議論を少し離れたところから観察することができた。自分が議論の中心にいるときでも,冷静さを保てたのである。その会議では,「相殺法」を仕掛けてきた人がいた。私が「作業が進んでいないのは何故ですか?」と訊くと,「そちらの作業はどうなっているんですか?」と訊き返してきたのである。私の作業と相手の作業は別のものである。「オレもやるから,お前もやれよ」とか「お前がやらないなら,オレもやらない」というのは感情の話。作業内容には関係がない。作業については個別に議論し,感情については別にフォローすればいいだけのことである。それまではどこがモヤモヤしているのか分からなかったことが,はっきりと分かるようになったのは収穫だった。
私のような「何となく納得できないけど」の場合,納得できなければ「どこがどう納得できないのかを明らかにする」をやりながら進めればいいということは分かった。しかし現実的には結構難しい。偉い人たちがいたりすると,流れている話を一旦止めることなどできない。議論の場では立場を平等にしなければ正しい議論はできないということを痛感してしまう。この本では,そういう人間関係を含めた議論の対策については述べられていない。それはまた別の話なのだ。
さて,後半は論理パズルの話題になっている。そこに出てくる「40人の貴族とその従者」という問題の答がよく分からない。問題文は ที่ร้าง - 詭弁論理学という本と、考える事のおもしろさ で読める。出典は,『数学セミナー』1973年9月号だそうだ。
貴族が2人,3人くらいなら分かるのだが,それ以上は無理。この本では,39日目に首が飛ばなければ,38日目に首が飛ばなければ,…とさかのぼって考えていくことが解説されている。しかし,さかのぼっていく考え方では,私の頭のスタックがオーバーフローしてしまう。こう考えたらどうか。「1日目に誰の首も飛ばなければ,少なくとも2人は悪者」「2日目に誰の首も飛ばなければ,少なくとも3人は悪者」とやっていけば「39日目に誰の首も飛ばなければ,少なくとも40人(つまり全員)は悪者」となる。そうすれば納得できるのだが…。ダメ?
この問題は「賢いサルタンと40人の不貞な女房」「煤で汚れた3人の顔」「赤い帽子白い帽子」などでも知られているとのこと。
キツネの肉球で鼻をつままれたような感じなのである。
Posted by n at 2006-12-20 00:28 | Edit | Comments (1) | Trackback(0)
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この記事を読んでから この本を探してて
今日 出会えました☆
楽しませて頂きます☆
Posted by: maro助 at December 28, 2006 21:19