最近もあるのだろうかオヤジ狩り。もしまだあるのなら,紅葉狩りの要領でお願いしたい。
オヤジ狩りという言葉を聞かなくなって久しい。imidas'99 によれば,1996年に頻発したというから(学校健診・ オヤジ狩り),流行ったのはもう10年前ということになる。オヤジ狩りとは,中年サラリーマンを襲って金品を強奪することを言う。
秋といえば紅葉{もみじ}狩り。紅葉狩りとは,紅葉を見に出かけることである。なぜ見に行くことが「狩る」ことになるのだろうか。いまさら聞けない…紅葉狩りの素朴な疑問 - [暮らしの歳時記]All About によれば,
「狩る」という言葉には「花や草木を探し求める」という意味があります。
となっている。なるほど。
次のように考えればいいのかも知れない。「狩る」のに必要なのは,「出かける」→「探す」→「捕まえる」の一連の行為である。最も一般的な「狩る」は,最後の「捕まえる」の意味だが,そこに至る「出かける」→「探す」のことも「狩る」と言ってもいいということなのだろう。素晴らしい紅葉が見られれば,それも1つの「収穫」なわけだし。
巻戻って,オヤジ狩り。オヤジ狩りも紅葉狩りの要領でお願いしたい。オヤジを探し求め,眺めて愛でる。これじゃ。これにして欲しいのぞなもし。
秋といえば,食べ物も美味しい季節である。なし狩り,みかん狩り,りんご狩り,ぶどう狩り,かき狩りは,まとめて「果物狩り」や「フルーツ狩り」と言ったりする。しかし,これに「くり拾い」が入ると難しい。栗の場合,分類としては果物なのだが(やさい全作物リスト),一般に果物という認識が薄いからである。栗を含めたときは「味覚狩り」と呼んでお茶を濁したりする。秋の味覚だからである。考えてみれば,味覚は採るものでも眺めるものでもない。なぜ「狩る」なのか?
上の「狩り理論」をさらに拡張してみよう。「狩った」後のことも考えるのである。つまり,「狩る」ことに関連する一連の行為は,「出かける」→「探す」→「捕まえる」→「料理する」→「口に運ぶ」→「味覚が発生する」であるから,最後の「味覚」をもって「味覚狩り」とするのである。少々強引か。
「○○狩り」といえば,普通「○○」には獲物が入る。つまり,目的のものが入る。しかし,手段が入る場合もある。「鷹狩り」である。鷹狩りは,鷹を捕まえるのではなく,鷹を使ってウサギなどの獲物を捕まえるのだ。
梨狩り,鷹狩り,紅葉狩りでは,「狩り」の意味がそれぞれ違う。難しいものだ。
狩りといえば,1つ前に書いた記事(nlog(n): 詭弁論理学)の「詭弁論理学」に出てきた「魔女狩り」のアルゴリズムが衝撃的だったので,引用してみよう。
分岐するところで「YES」を選択しても「NO」を選択しても魔女になってしまうという恐ろしいアルゴリズムである。この挿絵は引用で,出典は安野光雅「わが友 石頭計算機」とのこと。これに衝撃を受けた人は私の他にもいるようだ。魔女裁判のプログラムで HTML 化されているので,実際に試すことができる。フローチャートで全体像を把握するよりも,先が見えない方が絶望感が大きい。
残念ながらわが友 石頭計算機 (文庫) は絶版である。現在はリクエストによって復刊しているようだ(わが友石頭計算機 安野光雅 復刊リクエスト投票)。
Posted by n at 2006-12-20 01:51 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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