自分の考えを文章にすることは利点が多い。しかし,欠点もあるのではないか。
ブログを書くようになってから,文章を多く書くようになった。今まで言語化してこなかったことも,文章にするようになった。自分の考えを言語化することは,それの明確化にもつながる。読者に第三者がいることを意識すれば,さらに明確にするようになってくる。自分の考えていることを客観視できるようになる。これは言語化することの利点である。
言語化する作業をしていると,不安に思うこともある。文章にできない思考を捨ててしまっているような気がするのだ。文章を書くことを目的とすると,目的以外のことは不要になる。不要なものは排除した方が効率がよい。すると必然的に,文章にできないこと自体を考えなくなるのではないか。
以下では,思考の言語化が非言語化領域を圧迫するかどうかについて考える。
言語化する習慣があることがよいのは当然である。言葉にすることで,明確化される頭の中の領域が増えるからである。
言語化された領域が増えると,非言語化領域が狭くなるように思える。これが,心配していることである。言語化できていない部分を無視してしまう危険である。非言語化領域とは,平たく言えば「言葉にしていないこと」で,ここでは例えば,感情,直感,味,匂い,音楽,体の動き,雰囲気,などのことを想定している (これらは「思考」とは違うのかも知れないが深く立ち入らないことにする)。
ある領域が増えたときに,それ以外が減るというのは,全体の枠が決まっているからである。しかし,よく考えてみれば,人間の思考に関してはこの枠は存在しないはずである。では,なぜ枠があると考えてしまうのだろうか。それは,人には時間という制約があるからである。思考自体には論理的制約はないが,思考をしている人間には物理的制約があるからだ。
言語化というのは,物事の1次近似であるから,それよりも細かい近似はいくらでもあるし,言語化されたことでそれを1つのステップとしてより高度な領域に目を向けられることにもなる。そう考えれば,言語化できている領域が広ければ,より高度な非言語化領域に早く到達することができることになる。さらに,言語化するという作業は,非言語化領域に目を向けるということであるから,「言語化できていないことを無視してしまわないか」という不安は無意味であることが分かる。
したがって,気をつけておかなければならないことは,非言語思考の無視ではなく,言語化する作業への時間の割当である。つまり,「ブログを書くことは有意義だが,かける時間に注意しろ」である。
あれ? こんな結論になってしまった。もっと深い洞察が得られたような気がしたのだが…。
Posted by n at 2007-11-03 02:15 | Edit | Comments (2) | Trackback(2)
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言語化しないと 考えられないから・・・
Posted by: maro助 at November 08, 2007 21:39言葉にならない モヤモヤしたものを
一言で言い表す事の出来る言葉を見つけた時の
あの感動を きっと自己満足!って呼ぶのだろうと・・・
maro助 さん
Posted by: n at November 09, 2007 00:22まずは自己満足しなければ他人を満足させることはできないのですから,それでいいのではなかろうかと。