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English お叱りだけが記憶に残る「実践翻訳の技術」

「実践翻訳の技術」を読んだ後に残るのは,翻訳テクニックの記憶ではなく,お叱りの記憶である。

■ ■ ■

別宮貞徳著『さらば学校英語 実践翻訳の技術』 を読んだ。はてなに於けるsergejo さんで紹介されていたものだ。この紹介サイトを見つけるのにも苦労した (nlog(n): 数日前にはてなで話題になった記事が見つけられない)。

私も,「英語落ちこぼれ」の一人であり,学校英語に毛の生えたようなというよりも,毛だけが生えてしまっている状態である。つまり,加わったのは年齢だけで,力ではないということだ。TOEIC も TOEFL も受けたことがないので実力は不明。シャドウイングだけは続けているという状態である (nlog(n): 聞き流すだけでは向上しないリスニングという技術)。

世間には「打たれ強い」人間というのがいる。私はその人たちとは逆の人種であり,いうなれば「打たれ弱い」。なぜこのようなことを言うかといえば,この本は読む人間の性格によって価値が変わるからである。

本のタイトルを見ると「さらば学校英語」とある。学校英語に毛だけが生えた私にぴったりである。しかし,読んでみるといろいろと残念がことがあった。内容がいいだけに,ますます残念である。何が悪いのかといえば,その書き方である。毒がありすぎるのだ。

著者の別宮貞徳{べっく・さだのり}氏は1927年東京生まれ。元・上智大学文学部教授で,多数の訳書がある。大学は定年退職されている。この本が書かれたのが2006年だから,79歳ということになる。この先生は,基本的に口が悪いようだ。例えば,次のような言い方をする。

そんな人は英語の勉強よりも日本語の勉強を先にしろとどなりつけたくなります。「着れる」「起れる」などラ抜き言葉に対して,「取らさせる」などはサ入れ言葉とでも言うんでしょうかね。もちろん正しくは「取らせる」です。(p. 192)

「とでも言うんでしょうかね」の言い回しに皮肉感が出すぎ。怒れるお年寄りである。ちなみに,「おきれる」というラ抜き言葉は,正しくは「起きれる」と送る。ラ抜き言葉自体が正しくないのだが。

さらにきびしいのが次の言い方。

この訳は落第。すくいようがありません。(p. 178)

これも話にならない,と言いたくなるでしょうが,しかしこの誤訳は無知によるものではありません。ごく単純な careless mistake。(p. 180)

この訳はいけません。前のうっかりよりはるかに罪が重い。(p. 182)

学生の誤訳を例にあげ,それを指摘するのだが,叱責が余計である。これはきつい。2ページおきに出てきて,目を覆わんばかりである。私は本を読んでいると感情移入をしてしまう。先生の方に感情移入すればいいのに,よりによって学生に移入してしまう。だいたい,この本を読もうとするのは,英語のことをもっと知りたいと思っている人間であるから,先生の立場であろうはずがない。読者が学生の立場をとるのは自然である。もし学生の訳が間違っていたら,それは指摘して修正すべきである。しかし,学生なりに懸命に訳した結果なのであるのだから,叱りつけるのは適切な対応とはいえない。読者としての私は,読書時の感情移入はほどほどにしないときついというのは分かっているのだが,どうも下手で困る (nlog(n): 敗戦国の心理を描写する「高い城の男」)。

力がある程度ついているとか,目標に向けての強い意志があるのなら,強く叱咤されても大丈夫である。むしろ奮起の材料になる。しかし逆に,力がついていない人間は,強く叱られるとその芽が摘まれてしまう。この例題に出てくる学生は,先生の教え子なのだから翻訳家あるいはその道の専門家を目指しているのだろう。叱責に耐える力があると予想できる。しかし,この本の読者は「学校英語にさらば」できればいいと思っているだけなのだから,叱りつけは逆効果である。

読み進めると,この本はやはり英語力がなければいけなかったことが分かる。例えば,次のような記述がある。

challenge に挑戦

そこで一つ質問を呈上します。a challenging woman てなんだかわかりますか。(p. 230)

a challenging woman は「魅力的な女性」ということになります。(pp. 231-232)

研究社『新英和大辞典』第4版,第5版,第6版の challenge の語義を並べてみましょう。(中略) 画期的なのは,第5版で4だったものが,なんと1に躍り出ていることです。(引用者注: 第6版では,1. 能力・力量を試される難題[仕事],問題。3a. 挑戦) (pp. 232-233)

なるほど辞書は進歩するものだと思わずにはいられません。これでも,3に格下げされた「挑戦」に相変わらずしがみついている人は,よほど頭が固いか怠慢か,朴念仁の名前を奉るしかありませんね。

その朴念仁の迷訳のかずかず――

  1. They [students] presented a challenge to the teacher.
    彼ら(学生たち)は教師たちに挑戦した。
  2. The renewal of the urban fabric represents a challenge to the construction industry.
    都市組織の更新は建設産業に再び挑戦の機会を与える。
  3. ... the challenge is always uttered at a particular moment.
    その挑戦はつねに特定の時点を対象にする。

1, 2 は説明の必要もないでしょう。3 の challenge は「問いかけ」,(後略) (pp. 233-234)

問題は5番まであり,先生による訳がついているのは5番のみで,1〜4にはない。

話の流れをまとめると,次のようになる。

  1. この英語の言い回しが間違いやすいから気をつけるようにしなさい。
  2. この言い回しには,こんな意味がある。
  3. さて,ここで問題。
  4. 答は各自で。

えー!? それは酷くないですか,先生! さらに短くまとめると「ここが間違いやすいよ」→「正しい答は教えない」。間違いは分かりました。でも正しい答が分かりません。この後,誤訳の例が山ほど出るが,正しい訳は書いてあったりなかったり,なかったりなかったり。読者はどうすればいいのか。

読んでいて興味深い例も沢山ある。

  1. He only saw a book.
    彼は本を見ただけだ。
  2. He saw only a book
    彼は本しか見なかった。
  3. He saw an only book.
    彼は1冊しかない本を見た。
  4. Only he saw a book.
    彼だけが本を見た。
  5. Only, he saw a book.
    ただ〔しかし〕,彼は本を見たのだ。

(pp. 235-236)

これは面白い。しかし,先生の罵倒の声が先に聞こえてくるため,翻訳の技術が頭に入ってこない。ちょうど,英語の本を読むと,字面{じづら}では分かるのに,意味が頭に入ってこないのと似ている。罵倒がやむと,先生の自慢話が始まる。これにもうんざり。有用な内容が盛り込まれているだけに,とても残念な本である。

借りた本だが捨てたくなった。

こういう言い方をするお年寄りはいるものだ。話を聞いて「そうですよね〜」と受け流せるくらいになれるといい。学力ではなく,心臓に毛を生やすことだ (お,最初とつながった)。しかし,それは別に取り組むべき極めて個人的な問題である。この本としてはなんとかする方法はないものだろうか。書き方が変えられないのであれば,せめて本のタイトルを変えて読者を限定して欲しいものだ。副題が「さらば学校英語」では,私のように打ちのめされて死人が出てしまう。替わりに「翻訳家を目指す君たちへ」ではどうだろうか。

Posted by n at 2008-07-04 23:43 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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