この本は,ジャック・マイヨールの生涯を描いた,彼の兄によって書かれた伝記である。狂気へ向かっていく描写は精神的にもグランブルーな世界にいざなってくれる。
ジャック・マイヨール、イルカと海へ還る: ピエール・マイヨール は,Pierre Mayol, Patrick Mouton, "Jacques Mayol l'homme dauphin" の全訳である。著者のピエール・マイヨールはジャック・マイヨールの兄,共著者のパトリック・ムートンは海洋作家である。
閉息潜水の達人ジャック・マイヨールは,2001年12月22日,74歳のとき,イタリアのエルバ島で自殺した。この本は,ジャックの生い立ちから死に至るまでの軌跡を身内の視点から描いたものである。閉息潜水とは,息を止めてもぐる技術,すなわち素潜りのことである。
この本には,素潜りで遊んだ子供時代から,イルカと出会い,世界的名声を得た後,自身の狂気によって自らの命を絶つまでが綴られている。前半では,やんちゃな子供時代に続いて,閉息潜水の記録を伸ばしていく華やかな時代が綴られる。追悼の伝記ということもあってか,それは楽しかった思い出のはずなのに,全体的に暗い雲が立ち込めている。読み進むのがかなりキツい。文字も大きいし,200ページ強しかないのに,読み終えるのに1か月以上もかかってしまった。軽いはずの本の1ページが,とても重くのしかかってくるのだ。読んでいるこちらがおかしくなりそうになる。
その重さの1つには,精神が崩壊していく描写が克明すぎるということがあげられる。実際に崩壊を目の当たりにした人間にしかできない描写である。本の後半は,それでも無理やり飲み込むようにして読めるのだが,それよりも,問題は中盤の「兆し」の部分である。よくない条件が少しずつジャックの心に傷を残し,傷が癒える前に,誰かが新しい傷をつけていく。精神が蝕まれはじめるときにこそ異様な輝きを見せるのは,統合失調症の画家ルイス・ウェインの作品を髣髴{ほうふつ}させる (ルイス・ウェイン - Wikipedia)。ルイス・ウェインの作品は,向こうの世界に行ってしまうギリギリの手前が一番の崖っぷちである (YouTube - Louis Wain))。
ジャックに深い傷をつけたのは「女」の存在である。ジャックにとって,女とは,愛し合ったとしても最終的には裏切るという存在だったのではないか。それに対してイルカは裏切らない。女にはない信頼関係をイルカに求めていたようにも思える。
読んでいて鬱々としてくる本にディックの小説があるが (nlog(n): 敗戦国の心理を描写する「高い城の男」),それとは別の暗さがあった。あの小説も読むのが苦しくて長い時間がかかってしまった。
彼は,身内にこそ弱い部分を見せ,その言動は正常ではなくなっていったものの,外部に対しては強くストイックな人間であり続けた。晩年にジャックが繰り返した次の言葉は狂気から出たものではない。
Posted by n at 2009-05-06 20:46 | Edit | Comments (1) | Trackback(0)人間が万物の霊長だという奢りを捨てない限り,環境も平和も維持することは出来ない
「ジャック・マイヨール、イルカと海へ還る」p. 216
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Posted by: おお at May 07, 2009 03:21