ジョン・カーペンター監督の傑作「遊星からの物体X」は,異星生物と男たちの戦いを描いたパニック映画である。パニックになるのは,実は物体の方なのだ。
「遊星からの物体X」(原題: The Thing) は,ジョン・カーペンター監督による 1982 年公開の映画である (遊星からの物体X - Wikipedia)。日本公開時のチラシ情報はこのようなものだそうだ (表面,裏面)。
この作品は素晴らしいのである。ビデオに録画したテレビ放送を何度も見て,その後 DVD を何度も見て,もう何度見直したか分からないくらいである。これは,私がこの映画が大好きだということだけでなく,何度見ても飽きないというくらい味わい深い作品でもあることも意味している。
この映画は1951年公開の「遊星よりの物体X」のリメイクなのだが,さらにこれのリメイクが公開されるらしい (バラエティ・ジャパン | SFホラーの名作「物体X」が3度目の映画化,「遊星からの物体X」リメイク始動。「ギャラクティカ」脚本家による前日談に)。その情報を探しているうちに,マニアなサイト 物体xyzのホームページ と Welcome to Outpost#31 を見つけて,溢れ出るあまりの愛情にインスパイアされたので,物体Xについてあまり語られていない視点から書いてみようと思う。
この物語は,米国南極観測基地である「マクマード基地」に,1匹のシベリアンハスキー犬が逃げ込むことから始まる,男たちとエイリアンの戦いを描いたものである。基地に逃げ込む直前,犬はヘリコプターの爆撃に追われている。たった1匹の犬を爆撃するというあたりから,何かただごとではないことが起こっていることを予感させる。手榴弾すっぽ抜けのノルウェー隊員の焦り具合は,悲しくも可笑しい。
実際のマクマード基地の悪天候の映像を見ると (南極大陸マクマード基地における天候コンディション1の状態:小太郎ぶろぐ),本当の敵は異星生物ではなく,天候なのではないかと思ったりする。話がそれた。
何度見ても唸らされるのは,犬の演技である。基地の中を1匹だけで,辺りの様子を伺いながらそろりと歩いていく様は,その犬が犬以上の何かであることを暗示しているかのようだ。この犬の本名は Jed で,1977年生まれということだから (Outpost #31 - Movie - In Memorium),製作時は4歳くらいである。完全に監督の意図を理解しているかのような驚くべき演技なのだ。
犬と言えば,犬が誰かの部屋に入っていき,その部屋にいた男が犬に気づいて振り向く様子が壁に影で映るシーンがある。これが誰なのか長年疑問に思っていた (ハイビジョン 遊星からの物体X The Thing (HD DVD) の2番目の写真のシーン)。犬が噛み付くと仮定すると,候補としては,ノリス,ブレア,パーマーの3人に絞られる。シルエットを見る限り,体型的に太っておらずアゴが出ていることから,ノリスとブレアは除外される。したがって,パーマーではないかと推測していたのだが,以外にも大はずれ。実際に演じたのは,Dick Warlock なのだそうだ (Whose shadow was on the wall?)。彼は「炎の少女チャーリー」にも出演した俳優であるが,物体Xの出演者ではない。いったい何の冗談だ?
よく見てみれば「炎の少女チャーリー」の音楽ってタンジェリン・ドリームだったのか。知らなかった (炎の少女チャーリー (1984) Firestarter)。
この映画に登場するのは,ノルウェー隊員2人とアメリカ隊員12人で,すべて男である。唯一,女らしいというか女みたいな,いわゆるビニール製のワイフが登場する予定だったが,最終的にはカットされた (Trivia, Deleted Scine)。ハードボイルドな男の映画なのである。
さて,この映画は,異星生物が密かに人間に同化していくという恐怖を描いているのだが,ここでこの生命体の特徴として1つの仮説を立てることにする。
つまり,人間の体は異星生物の「擬態の材料」かつ「食料」ということである。こう仮定すると,いくつかの疑問に対して説明をつけることができる。まず,異星生物は,なぜ時間をかけて同化していくのかという大きな疑問である。安直に考えれば「すぐに襲い掛かってしまえばいいのに」というアイデアが浮かぶが,それは違う。生命体の戦略としては,個体数を増やすことよりも,生き延びることの方が重要なのだ。いきなり全員を同化してしまうと,その後の食料がなくなってしまうため,死んでしまうからだ。あるいは冷凍になって仮死状態になることを選ぶこともできるが,また発見されるまで待つのは賢いとは言えないからだ。
異星生物の目的は,殺戮ではない。死んでしまった人間は食料にならないからだ。その証拠に,一番最初に死んだノルウェー人には見向きもしていない。これで生きている人間しか襲わないのはなぜかという疑問も解決する。生命体にとって,人間は,危害を加えない程度に数を減らしつつ,できるだけ生かしておくのがベストなのだ。
異星生物が人間の体を取り込んで一体化していく様は,諸星大二郎の「生物都市」を思い起こさせる (諸星大二郎 - Wikipedia)。全人類を同化して,地球全体が1つの生命体になれば,その知識を全て利用できるようになる。全人類の知識の統合は人間の夢であるが,この生命体にとっては嬉しいことではない。食料がなくなってしまうからだ。残る食料は,以前に食べてみたであろう「カニ」くらいしかなくなってしまう :-)
主人公のマクレディが劇中で言うように,この生命体には弱点がある。1つは熱に弱いというもの。2つ目は,上で述べた「同化」である。同化は最大の武器であるが,同時に食料を消費してしまうという弱点でもあるのだ。
3つ目の弱点は,これこそがこの記事で言いたかったことなのだが,正体がバレるとパニックになってしまうことである。例えば,物体犬 (Dog-Thing) である。周りのハスキー犬に見破られて吠えられると,パニックになって,頭が割れてスパゲッティー的な内臓を出してしまう。物体パーマー (Palmer-Thing) もそうである。それまで人間の姿だったのに,血液検査でバレたら突然,頭が溶けて割れてしまう。この生命体は,冷静なときは円盤を作ったりして非常に知的であるのに,びっくりするとパニックになって原始的な本能が丸出しになって,おバカになってしまうのだ。これは最大の弱点である。
恐らくは,カーペンターは,ビロ〜ンピュルピュルとなる物体を撮りたかっただけで,弱点としては考えていなかっただろうが,上手いこと結果オーライになっていて,これが奥深さにつながっている。まさにカーペンターマジックである。
物体Xは,血液だけのときや小さいときはおバカであり,自分が物体であることが分からないようだ。これが象徴的に表れているのは,パーマーの物体化シーンである。直前に,ノリスの物体化してカニっぽくなった頭部を見て,パーマーが「こいつはなんの冗談だ?」とつぶやく場面がある。つまり,このつぶやいた時点ですでにパーマーは物体に侵されているのだが,当人は物体であると気づいていないのだ。本人はまだ人間だと思っている。その後,椅子にしばりつけられ,血液検査を待っている間に,体の中で同化が進んでいることになる。物体Xが,自分を物体だと認識するのは,脳を同化した時点だということになる。これについては,物体Xの自覚 でも議論されている。
その他の疑問,J&B は怪しくないのか,雪上車を壊したのは誰なのか,血液金庫の鍵の行方,フュークスの死因は何か,などについては,物体Xの謎 で解説されている。素晴らしい。
Welcome to Outpost#31 は巨大ファンサイトで,この映画に関する情報が網羅されている。基地内の部屋の配置や (Outpost #31 - Movie - Maps),映像に映りこんでしまった失敗など (Outpost #31 - Movie - Goofs!),英語が得意でなくても,かなり楽しめる構成となっている。むしろ,これを読みたいがために英語を勉強する気になるかも,くらいな勢いである。ビル・ランカスターによる脚本や,元になった小説「影が行く」の原書 (原題 Who goes there?) も読める。
見ていて「うわ,痛そう」というシーンがある。血液検査のときである。血液を採取するのに,なぜ親指の腹にナイフで切り込みを入れるのか分からない。血は採りやすいかも知れないが,痛すぎるし,その後の生活にも支障が出そうである。
劇中で,マック (マクレディの通称) が,化け物に変わりつつあるウィンドウズを火破りにするシーンがあるが,これはコンピュータの OS をもじった話ではない。Macintosh は 1984 年 (Macintosh - Wikipedia),Windows は 1985 年の登場であり (Microsoft Windows - Wikipedia),どちらもこの映画の公開の後である。
この映画はホラー映画の傑作である。私にとっても,思い出深く,大好きな映画であるので,記事が思わず長くなってしまった。これでもまだ語りつくせていないくらいである。
新作が面白いものであることを期待しつつ,今回はこの辺で。
Posted by n at 2009-05-19 23:52 | Edit | Comments (2) | Trackback(0)
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豚インフル。
Posted by: おお at May 21, 2009 23:36各国対応がまちまちですが、日本国民の国民性がモロにでた形になっていると思いませんか。特に政府からのメッセージは「冷静に対処しましょう。不断通りの生活をしましょう。」と他の国とは変わらないと思いますが、メディアをはじめ特に都市部に住む国民がプチ・パニックになっているようにも思えます。そういう意味ではわが日本国民は物体Xだったんだ。なんて。
おお さん
Posted by: n at May 22, 2009 05:37うちの周辺の薬局からは,いきなりマスクが消えました。売り切れです。確かにプチ・パニックにはなっています。オイルショックのときに似ています。
しかし,プチ・パニックになるのは日本人に限ったことではないように思えます。最近の例ではリーマン・ショックがありました。全世界がプチ・パニックになった結果起きたことなんだと思います。
パニックになるのは,物体Xだけでなく,人間の本質なんだと思います。国民性が出るのは,「報道の仕方」なのではないでしょうか。