英語の分かりにくさは,後ろから修飾することで範囲を限定していくことにある。英文を文頭から順に理解するには,最初に含めた候補をばっさり捨てていくやり方に慣れる必要がある。英語と日本語では「捨て方」が違うのだ。
英語を勉強していると,「ここが分かりにくい」というところにブチ当たる。例えば,範囲の狭め方である。日本語とかなり違うので,思い切り戸惑う。以下では,住所の表記法を例に,アプローチの仕方の違いを見ていく。これは英文を文頭から順に理解するのにも役に立つ。
日本語の場合,住所表記は上のようになる。例は東京駅の住所である。範囲の狭め方は,「東京都」→東京都に含まれる「千代田区」→千代田区内の「丸の内1丁目」→9番地1号で「9-1」である。
範囲の狭め方は,以下に示す英語風の場合よりも効率的である。問題があるとすれば,最後まで誰宛になるのかが分からないことである。「駅長室」なのか「田中さん」なのか,それとも「ポチ」なのか。これはあくまで想像例なので,東京駅に田中さんやポチがいるかどうかは分からない。しかも,ポチは犬かどうかも分からないが,ここではこだわらないことにする (こだわってるなぁ)。
東京駅の住所を英語風に表記した場合,「9-1 Marunouchi 1-chome, Chiyoda-ku, Tokyo」となる。通常はカンマのところで改行し,行末のカンマは書かない (あて名の記入方法 - 日本郵便)。最近では,「1-9-1 Marunouchi」と書く人が多い。この住所表記は,「外国人が認識できる文字で書かれていて,日本人の郵便配達員が認識できること」が必要十分条件なので,実際はどちらでもよい。
さて,この英語風表記の場合,最初に宛名の「ポチ」が来る。全国には沢山のポチがいるので,そのポチのどれかである。次に「9-1」が続くので,全国のポチは「9-1」に住んでいるものだけに限定される。この例では3匹である。さらに「Marunouchi 1-chome」が続くので,ここで初めて1つに限定される。後は付け足しである。いや,もしかすると国内に「Marunouchi」が他にもあるかも知れないので,やはり必要である。例えば「霞ヶ関駅」は東京にも埼玉にもある (霞ヶ関駅 (埼玉県) - Wikipedia)。
なぜこの英語風表記が分かりづらいかと言えば,範囲の狭め方が日本語と違って逆だということだけでなく,逆になっていることで,日本語にはない注目すべき現象が起きているからである。上に述べたことの繰り返しになるが,「ポチ」とあげたところで,まずは全国のポチを想像しなければならない。つぎに「9-1」で,「9番地1号」に住んでいるポチ以外は外される。つまり,最初は考えに入れたものをここで捨てるのである。さらに「Marunouchi 1-chome」でそれ以外を捨てる。この捨てていく感じが日本語にはないものなので分かりにくいのである。
英語に限らず,範囲を狭めていくためには,最初にガバッとすくって,どんどん捨てていくという処理が必要となる。日本語の場合,「東京都」でガバッとすくうが,次に「千代田区」以外を捨てる場合は「市区町村」を捨てるのであって,「ポチ」を捨てるのではない。英語の場合,すべての「ポチ」をすくった後で,「9-1」以外の「ポチ」を捨てるので,同じ捨てるにしても感じが大きく違う。英語では,せっかく個別に拾ったものを捨てていく。これは非効率なように思えるのだが,英語人は平気らしい。
よく,「英文は文頭から順に理解せよ」と言われる。「基本英文700選」の第383番には次の文がある。
I awoke this morning to find the summit of the mountain covered with snow.
けさ起きてみると,山の頂が雪におおわれていた。基本英文700選 改訂版 (駿台受験叢書): 鈴木 長十, 伊藤 和夫 pp. 68-69
なるほど,この例なら順に理解した方がよさそうである。「私は,雪におおわれた山の頂を見るために今朝起きた。」では少しおかしい。しかし,実際は以下でみるように,残念ながらこのような例は珍しいのである。
「捨て」の操作については,「the summit of the mountain」に注目したい。「the summit」では「頂上」なのか「首脳会議」なのか分からない。ここまではどちらも候補になり得る。次の「of the mountain」が来たところで「首脳会議」が捨てられ,「頂上」が残るのだ。日本語の場合「山の」と来たら「頂上」「端」「景色」などが続きそうだが「首脳会議」は絶対に来ない。英語の難しいところは,このような「予測の範囲」が日本語と大きく違うところにもある。
「速読速聴・英単語 Core 1800」の第46番の例文に次がある。
英文: Asthma is one of many illnesses / outside the traditional realm of aches and pains / that some chiropractors attempt to treat.
読み下し訳: ぜんそくは多くの病気の中の一つである / 痛みや苦痛の伝統的な範ちゅうに入らない / (それは) 一部のカイロプラクター〔脊柱指圧師〕が治療を試みているものだ。The Japan Times, October 9, 1998. 速読速聴・英単語 ― Core 1800: 松本 茂, 藤咲 多恵子, Gail K. Oura pp. 210-211
「読み下し訳」は英文の順序を保ちつつ,日本語に置き換えたものである (nlog(n): 「速読速聴・英単語」の暗唱開始)。したがって,「読み下し訳」で内容が理解できればよいことになる。しかしこれが難しい。「ぜんそくは多くの病気の中の一つである」これは問題ない。その病気がどのようなものであるかを次の節で説明している「痛みや苦痛の伝統的な範ちゅうに入らない」ものだと。ここで私の思考はストップする。ぜんそくは比較的新しいとはいえ,もうかなり一般的であるから (気管支喘息 - Wikipedia),伝統的な病気に入れてもいいのではないかと。これに「一部のカイロプラクターが治療を試みているものだ」が続くと,頭の中に「?」マークが点灯してしまうのだ。分かったような分からないような…。
通常訳を見ると,ようやく意味が分かる。やはり日本語の語順にしないと心から納得することができない。つまり,逆順に訳していくということである。
通常訳: ぜんそくは,伝統的な痛み以外で一部のカイロプラクターが治療を試みる病気の一つである。
これで日本語としては自然な形となる。ただし,注目すべき点は,「範囲の狭め方を日本語風にしている」という点である。日本語では,「ぜんそく」が「伝統的な範ちゅうに入らないもの」なのではなく,「一部のカイロプラクターが治療を試みている病気」の中に「伝統的な範ちゅうに入らないもの」が入るのである。このように,文末から訳すと,日本語の範囲の絞り方ができるので,日本語にフィットするのだ。しかし,これでは最初の方からの文全体を頭の中にとどめておかなければならないのでかなりの負荷になる。文頭から理解することができない。
文頭から順に理解するにはどうすればいいのか? それには,最初にあげた「住所の例」を思い出す必要がある。「ぜんそくは多くの病気の一つ」であるから,住所の例の「ポチたくさん」状態を想像する。「病気たくさん」である。この病気を,「伝統的な範ちゅう以外」で限定し,さらに「カイロプラクターが治療を試みているもの」で範囲を狭めていくのである。今まで考えていた「あっちのポチやこっちのポチ」はどこへいった? え? 除外しちゃうの? せっかく入れたのに…となるが,仕方ない。これは慣れるしかない。
先の「ぜんそく」の図は上のようにも書ける。
ところで,この「ぜんそく」の例を見ると,範囲の狭め方は,英語の住所の例と違うことが分かる。文末に進むにしたがって,範囲が文字通り狭くなっている。住所の方は限定はしているが,広くなってしまっている。これは,住所に地理的な関係を含めてしまったことによる混乱である。
そこで住所の例について修正をしよう。地理的な包含関係を考慮せずに,単に条件を加えていくだけにする。条件を加えるということは範囲を狭めるということを意味している。修正した図は上のようになる。条件が重なるにしたがって,丸の範囲が狭くなって「ポチ」が限定されていくことが分かる。「Tokyo」の輪が一番小さいのが特徴である。日本語の例とは包含関係がちょうど逆になっている。英語では,地理的な広さは考えない。文末の条件は必ず狭くなる。
英語と日本語では,範囲の狭め方が違う。英文では,最初に候補をたくさん挙げて,文末に進むにしたがって候補を捨てていくという方式になる。また,候補の範囲も大きく違う。日本語では異質なものが,平気でこの「予測すべき候補の範囲」に入ってくるので,注意が必要だ。どちらも慣れるしかない。
一般に「語学は慣れだ」と言われるが,漫然と読み流し・聞き流しているだけの「慣れ」は意味がない。最初に何を予想するか,その予想した範囲の候補をどのように絞り込んでいくかに注目して,そのやり方に慣れることが大切である。
Posted by n at 2009-06-17 04:56 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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