「北風と太陽」は誰もが知るイソップ寓話の1つである。子供のころは何の疑問も持たなかったが,今読むと納得ができない。
ここのところ毎晩,子供が寝る前に絵本の読み聞かせをしている。先日,図書館から「北風と太陽」の絵本を借りてきた。イソップ童話,バーナデット・ワッツ再話/絵,もきかずこ訳の「きたかぜとたいよう」である。ご存知のとおり,北風と太陽が,どちらが強いかを旅人のマントを脱がせることで決めようというあの話である。
物語はその通りに進み,それには問題がない。問題は,次の言葉で終わっていることだ。
「わたしの かちだね」と、たいようは いいました。
「ね、わかっただろう。ひとは ちからより、やさしさに こころを うごかされるものなんだよ」
これはおかしい。納得できない。本文には「ちから」とか「やさしさ」という言葉は,この最後にしか出てこないからである。北風は吹きつけるだけのことをしただけだし,太陽は照りつけるだけのことをしたに過ぎない。それが「ちから」かと言えば,どちらも「ちから」だろう。照りつけるのは「ちから」であって「やさしさ」ではない。さらに,マントをとったのは別に心を動かされたからではない。単に暑かったという理由だけである。最後の教訓は議論のすり替えである。
この終わりの一文は要らないのではないか。もしかすると,どこかで創作が混入した可能性もある。「イソップ (ギリシャ語原作)」→「バーナデットワッツ (英訳)」→「もきかずこ (日本語訳)」という経路で話が伝わっているからである。原題の英直訳は「The North Wind and the Sun」だが,ワッツのつけた題名は「The Wind and the Sun」で変わっている。ワッツが内容も創作している可能性がある。また,登場する太陽も発言が嫌味であることから,日本語訳の段階で創作が加わった可能性もある。
私が図書館から借りた第2刷の表紙は,「バーナデット 絵」となっている。略すなら「ワッツ 絵」では? というつっこみは本題から外れるので,しないことにする。さて,バーナデット・ワッツは絵だけを描いたのだろうか? 新しい版では「バーナデット・ワッツ 再話/絵」となっている (Amazon の表紙画像)。「再話」ということは,彼が何かしら話を付け加えている可能性が高い。
第2刷でも,見返しの裏の小さい字をよく見てみると「An Aesop Fable ◆ Retold and illustrated by Bernadette Watts」となっていることから,ワッツが再話していることが分かる。北風が吹いたとき,洗濯物や凧が飛ばされる描写が入るが,オリジナルのストーリーにはなさそうな感じであり,いかにもな後付け感がある。そうすると,最後の教訓についても,ワッツが脚色した線が濃厚である。バーナデット・ワッツはイギリスのイラストレーターである (Bernadette Watts ~ illustrator)。古くからの童話に絵をつけることが多いが,自分の原作の作品もあり,話を作るのもプロである (絵本ナビ 作家紹介 - バーナデット・ワッツ)。
イソップ寓話 - Wikipedia によると すべての寓話に教訓が含まれており
となっている。何かしらの教訓は書かれているようだ。
そこで,Wikipedia の英語版を調べてみた。教訓は次だとしている。
Persuasion is better than force. The complete moral of this is "Kindness, gentleness, and persuasion win where force fails."
直訳すれば「説得は力に勝る。この完全な教訓は『親切さ,やさしさ,説得が勝利し,力は敗北する』」となろうか。「親切さ,やさしさ」が入っていて驚いた。
ギリシャ語で書かれた原作を見てみたが (Αισώπου Μύθοι/Βορέας και Ήλιος - Βικιθήκη),残念ながら全く分からない。翻訳サイトにかけてみると (Free english greek translation - SYSTRAN),文字化けが多いものの,「persuasion (説得)」が入っているのは確認できた。創作が途中で混入した訳ではないようだ。ワッツごめん,疑って悪かった。
そうは言っても,やはりこの教訓は受け入れられない。子供に読み聞かせするときは,勝ち負けがきまったところまで話して,教訓だけは読まないことにしようと思う。
さて,考えてみれば,北風が負けたのはそもそもの提案が悪かったのが原因である。
「どうだね、ためして みようじゃ ないか」
と、きたかぜは いいました。
「あの おとこの マントを、ひきはがせたほうが つよいってことに するんだ。やって みるかね」
「いいとも」
たいようは あたたかく ほほえみながら こたえました。
失敗は明らかである。北風は自分に不利な提案をしてしまっている。ぽかぽか陽気のときに,「あの手に持っているマントを着せた方が強いってことにしようじゃないか」と持ちかければ北風は難なく勝てたのだ。そして,話の教訓は「勝負するときは勝ち負けの条件をうまく決めろ」とするのである。
いろいろ考えてみると,北風と太陽 - Wikipedia にある,「帽子をとる勝負」を物語の最初につけた話はうまくできている。創作が入っているが,得られる教訓「何事にも適切な手段が必要である」には納得がいく。
最後に,妄想を暴走させた結果生み出された創作寓話を掲載する。大人向けのため,子供の読み聞かせには向かないことを予めお断りしておく。
創作寓話: 北風と太陽
北風という名前の男がいました。
あるとき,北風が空の太陽と話をしていたときに,言い争いになりました。
「どちらが強いか決めようじゃないか。あの旅人のコートを脱がした方が勝ちってことでどうだい?」
と太陽は自分に有利な条件を出しました。
「いいとも」
北風は微笑みながらいいました。
旅人は女性でした。
太陽が照りつけると,旅人はコートを脱ぎました。
「ぼくの勝ちってことでいいかい」
太陽がそういうと,北風は
「私もやらせてもらっていいかな」
といいました。
太陽がかげると,旅人はまたコートを羽織りました。
北風は旅人のところに行って声をかけ,小声で何か話をしました。
北風が札束を渡すと,旅人はコートを脱ぎました。
そして,身につけていた衣服と下着も脱ぎました。
「どちらもコートを脱がせられたから,引き分けってことでいいかい」
太陽はいいました。
「いいとも」
北風は微笑みながらうなずきました。
教訓は,「力は,やさしさにも,お金にもある」である。さらなる教訓は,「やりすぎると,読者の半分 (つまり女性) の反感を買う」である。
おしまい。
2015年11月5日追記:
河野与一によってギリシャ語のテキストから翻訳されたものの教訓は次のようになっています。
Posted by n at 2009-10-01 06:04 | Edit | Comments (10) | Trackback(0)いいきかせるほうが,むりにおしつけるよりも,ききめのあることが多いものです。
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美女が砂漠を羊を連れてさまよい、遭難しかかっていました。水が全くなかったのです。
そこに男が通りかかります。
「ここに水がある、これをあなたに差し上げるから私の言う事を何でも聞きますか。」
美女は命には変えられないので男の要求をのみました。
で、男がしたのは、羊とやったのでした。
この話、試案本部でn氏から聞いたんでしたっけ?
Posted by: おお at October 03, 2009 06:20おお さん
Posted by: n at October 03, 2009 09:28そんな話は聞いたことがないようなあるような。
http://mimizun.com/log/2ch/news4vip/1253956870/
当時の私は純朴な青年でしたよ。あっ,純朴と妄想は関係なかったですかね。
あそこにはこの手の話が大得意な人が何人も集まっていたように思います。
そうなんですよ。うちでもいつも北風と太陽は、コートを着せたほうが勝ちにすればいいのに。北風馬鹿じゃねーの。といっています。子供の前でもヘーキでそう言っています。自分の得意な分野で勝負をする。大事なことです。コートの前に帽子の話もあるようですが、帽子をとったところで北風は、勝負をやめるべき。勝ち逃げも立派な勝負の形態だと思います。株だってFXだって勝ったところで引くべき。そのあとは先物に行ってもいいし、金に行ってもいいし。
Posted by: Haru at October 29, 2012 10:30いつも北風と太陽は、そのような疑問を持っていたのですが、同じように考えている人がいて安心しました。
近頃の日本人は、なんにも考えていないような人が多くて日本の将来を憂いていたのですが、良かったよかった。
Haru さん
Posted by: n at November 03, 2012 02:45共感してくれる人がいることにむしろビックリしました (笑)
話と共感は合ってないかもですが、
教訓自体は間違ってないことじゃないですか。
子供には教訓も聞かせたほうがいいです。
他の方の、帽子の勝負が終わった時点でにげればよかった。勝ち逃げも立派な勝負、FX,株?
そんなこと子供の内から聞かされていたら
セコイ大人に育ちかねません。
今の世の中がそういう大人で回っているので私利私欲、目先のことだけに流されるこんな世の中になってます。
Posted by: モラル at June 18, 2014 07:57この教訓はそのことに流されてはいけないという意味だと思います。
モラル さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001186.html#c008546 )
Posted by: n at June 21, 2014 17:22教訓が言っていること自体は悪いものではないと思います。しかし,この教訓がこの物語から導かれていることに疑問があるのです。
北風の冷たさも,太陽の暖かさも,どちらも「ちから」です。
それがいつの間にか教訓では「ちから」と「やさしさ」になってしまっていることに疑問を持っているわけです。
もしこれが,北風が暴力的に「ちから」で服をはぎとろうとし,太陽が「やさしいことば」をかけたなら,この教訓でいいと思うのです。
たまたまココにキタので、今更ながらコメントさせて頂きます。確かにこの童話のストーリー設定に無理があるのかもしれません。しかし、言わんとしていることは、物凄く大事なことのように思います。自分が結果を出さなければならない立場にいるとき、太陽の様なスタンスが大事だと思いつつも、焦るあまり北風になってしまう。正に身につまされる内容です。ただ、太陽であることの大切さは学べても、どうしたら太陽になれるかを示唆してくれていないことが、残念です。
Posted by: ヒロ at September 08, 2015 22:24ヒロ さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001186.html#c008670 )
Posted by: n at September 11, 2015 16:40おっしゃるとおりです。北風のように焦っては逆効果になります。しかし,焦らないことだけでは結果は出せません。太陽のようでありながら結果を出すというのはとても難しいことなのかも知れませんね。
通りすがりで失礼します
私も以前からこの話には疑問というか不満がありました。
というのも、私の記憶では北風も太陽もどちらも負けだったからです。私の記憶の話では北風は強風でコートを脱がせられず、太陽は灼熱でやはり脱がせられなかったのです。
そこに第三者(ネズミか何かだったような…)が現れて、「北風さんはそよ風、太陽さんは暖かい日差しを」とアドバイスして、その結果旅人はコートを脱いだのです。
教訓は「何事も適度というものがある」でしょうか
調べてもこのような話は全然出てこないので、もしかしたら原作の内容に疑問を持った方の創作絵本だったのかも知れません
Posted by: のれり at January 10, 2016 20:35のれり さん ( http://nlogn.ath.cx/archives/001186.html#c008696 )
Posted by: n at January 16, 2016 13:05その話も興味深いですね。北風も太陽ももともと強い力を持っていますから。読んでみたいです。