英文音読を繰り返した結果,「英文を文頭から理解する」という感覚が分かってきた。その感覚はもしかすると今の段階でしか表現できないかも知れないので,残しておくことにする。
英語の得意な人に英語上達の秘訣を聞くと,「日本語に訳さずに英語を英語のまま理解しろ」とか「英文を返り読みせずに文頭から理解しろ」などという答が返ってくる。しかし,英語がひとつも分からないのに,英語を英語のままで理解することなどできるはずがない。思考回路は日本語なのだから,日本語への翻訳は必須なのだ。英文を文頭から理解しろというのも,無理な話である。日本語とは語順が違うからだ。しかし,英語の達人がみな異口同音でそういうからには,恐らくそうなのだろう。その境地に達するには,何らかのブレイクスルーがあるのだろうか? きっとそうだ。壁が破れて目の前がパーッと開けるに違いない。
そう思っていた。しかし,そうではなかった。これについて以下に解説する。私の現在の TOEIC スコアは 800 点程度だと思われる (nlog(n): 受験3回目 TOEIC の結果)。
英語に接し続けているうちに,英文を文頭から理解することができるようになってきた。英文と和文の語順の違いがなくなったわけではない。「文頭から理解する」という感覚というのは何なのか,ひと言でいってしまえば「慣れたから当たり前に思える」ということだったのである。実につまらない結果である。やはり「目の前がパーッと」開けて欲しいものだからだ。
「慣れる」というのは「当たり前に思える」ということで,英文に関して言えば,つまり次のようなことなのであった。まず,"This is a pen." はあまりにも慣れ親しんでいるので,日本語に訳さなくても意味が分かる。では,"This is a pen that my grandfather had." はどうだろうか? 少し長いが大丈夫。"This is a pen that my grandfather had when he was young." もまだまだいける。それでは見方を変えて,"This pen has little intrinsic value, except that it belonged to my grandfather." では? (私の祖父が使っていたものだということを除けば,このペンにはそれ自体が持つ価値がほとんどない) 厳しいかも知れない。しかし,結局はこれと同じように,だんだんと長い英文が当たり前に思えるようになっていくだけなのである。
したがって,一気に長い英文が何でも読めるようになるわけではない。返り読みしたりする頻度が徐々に減っていくだけなのだ。そこにブレイクするような壁はない。壁はあるが,まるで真綿のように柔らかなもので,ブレイクしてなくなるような固いものではない。柔らかいので「もがけば進める」といった類のものなのだ。
私の場合、訓練を続けていれば遠からぬある日、ある瞬間に、カーテンが落ちるように英語が我が物となるのだと考えていました。その瞬間が訪れれば、英語が母国語と同じ実感のあるものになり、それ以降は日本語と同じ流暢さ、気軽さで操ることができ、唯一の差は語彙などの知識的な点だけだろうという具合でした。究極の「ブレークスルー神話」です。
私もこれと同じ甘い夢を見ていた。しかし,現実は違った。現実は呆れ返るほど当たり前の「慣れ」という結論だったのだ。けれども,逆の見方をすれば,その境地には誰でも達することができるということでもあるのだ。
私が行っている英語トレーニングは「暗唱して流れるように言えるようになるまで繰り返し音読する」ということだけである (nlog(n): 英短文暗唱トレーニング法 - 私の場合)。「英文を文頭から理解しよう,返り読みしないようにしよう」と強く思う必要はない。英文暗唱を繰り返していればできるようになるからである。「英語のまま理解しよう」というのも,強く念じる必要はない。繰り返していれば,英語のまま理解できる文が増えていくからである。
以前の記事に書いた考えも修正する必要がある。「英英辞典を無理に使うことに意味はない」という主張には変わりがないが (nlog(n): 外国語習得のためのトレーニング方法の位置づけを書いていたら飽きた),「ある程度のところに達すると,自然と英英辞典が使いたくなる」を付け加えておきたい。
Posted by n at 2011-03-03 23:46 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
Master Archive Index
Total Entry Count: 1957