昨晩トイレがつまってしまった。水が流れて行かない。どうしたらいいんだ。そんなことを考えていた朝食は,食べた気がしなかった。味がほとんどしなかったのだ。
さてお立会い。いや,食事前の方はご遠慮願いたい。しかし人間は食べる生き物。朝食を食べた後は「昼食の食事前」だし,昼食を食べ終わった後だって「夕食の食事前」なのである。だから,すべての人が食事前。さてどうする? ということで,「食事を間近に控えた方」は,特にご遠慮ください。
注意したからね! じゃ,いくよ!
昨晩のこと,帰宅すると,妻が「トイレがつまっちゃった」と小声で言った。そのツマリの原因物質は洋式トイレの排水口のかなり奥の方にあるようで,トイレ掃除のブラシを突っ込んでも流れていかなかった。トイレのレバーを「大」の方にひねると,水がタンクから勢いよく放出され,回転しながら便器にたまっていき,流れだす出口を失った水はそのまま留まり続けたため,水位はおのずと上昇! WARNING, WARNING! (「遠足バスの悲劇」より引用) 危うくあふれだす直前,便器の縁ギリギリまで水位は上がったが,そこでタンクは空となり,事なきを得たのだった。そのまま30分ほど放置すると,水は通常水位に戻っていた。完全にふさがっているわけではないらしい。その晩は,「小」のレバーを加減して使いながら「寝る前オシッコ」を無事やり終えたのであった。
さて,問題は翌朝である。我が家は夫婦二人と子供二人の4人家族。朝食を食べれば絶対にウンコが出る。しかも子供は待ったなしになるはず。そこで最後の望みをかけて,洗剤を投入してから床についた。布団に入って目を閉じながら考えた。家から一番近いトイレはどこにあるのか。コンビニまでは自転車で5分はかかるな。コンビニのトイレを使わせてもらったら,何か買った方がいいだろうな。そうだ,公園にもトイレがあるぞ。だけど綺麗でないこともあるし,そうだ紙はもっていかないとな。そういえば公園も自転車で5分かかる。困ったな。待てよ,もしかしたら朝になればこんな心配はなくなっているかもしれないじゃないか。流れていれば…。
そして翌朝。今朝のことである。一縷の望みをかけたものの,期待に反してというか,予想通りというか,水は流れるようになっていなかった。食事を食べる前に子供がトイレに行った。大なのか小なのか? 「大」だった。流すことができないため,妻が「それ」を割り箸でつかんでビニール袋に回収した。ここでいう「それ」とは,手まり唄「あんたがたどこさ」の最後に木の葉をかぶせる「それ」と同じものである (nlog(n): あんたがたどこさの「それ」)。
「それ」を割り箸で…。あぁ…。そんなことを考えていたら,驚くべきことが起きていた。料理の味が感じられないのである。「食べた気がしない」という表現があるが,まさにその状態だった。腹は膨れるのだが,料理の本来の味がしないのである。非常に薄い味になっていた。「それ」の様子で頭がいっぱいになっているときには,味覚が麻痺してしまうのだ。「それ」だって,元を正せば「料理」には違いないのである。ただ,出て行くものか入ってくるものかの違いだけである。そんなことを考えていたら,ますますわけが分からなくなり,そわそわして,なかば無理やりにご飯を口にねじ込んでいた。
食事の後,もよおした私は,公園まで自転車を飛ばして用を済ませたのだった。公園のトイレは清掃がゆきとどいていて,ありがたかった。
その後「トイレのスッポンってやるやつ」を購入し,いつものおだやかな日常が戻った。それにしても,メンタルが味覚にあんなにも影響するというのは驚きであり,この歳になっても自分がそんなメンタルしか持ちあわせていないということも衝撃的であった。まあものは考えようなので,「繊細なのだ」ということで。
やれやれ。
2013年4月14日追記:
ラバーカップ購入について書きました (nlog(n): トイレすっぽんを緊急購入)。
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