ペラペラになるまで英語を話したくないというのは,もしかすると江戸時代の方言奨励が現在まで効いているのではないか。
実践ビジネス英語2014年4月の Lesson 2 のテーマは「アクセント矯正」である。そこに次の一節がある。
Umemura: I think accents are cool. This reminds me of an interesting footnote from Japanese history. In the Tokugawa period, the shogunate encouraged local people to respect and speak their local dialects, so that they could know who was from where -- and spot the outsiders and ninja. A little accent can sometimes go a long way.
梅村聖四: 私は,なまりはかっこいいと思いますよ。なまりといえば,日本の歴史の興味深いエピソードを思い出します。徳川時代に幕府は,各地の人々にその土地の方言を大切にして話すことを奨励しました。幕府が,だれがどこの出身かを把握し,よそ者や忍者を見つけ出すためだったのです。わずかななまりでも,大いに役立つこともありますね。
実践ビジネス英語 2014年4月 Lesson 2 -- Accent Reduction Training 「アクセント矯正」(4)
徳川時代の方言奨励政策というものが,明治以降に効力がなくなった後でも,人々の心の引っ掛かりとして現在まで脈々と受け継がれているということはないだろうか。つまり,その土地の言葉を完璧に話せない限りは,よそ者として扱われてしまうという恐怖が私たちの心に刻まれてしまっていると。
実際,日常生活において,必要以上に言葉のアクセントを気にしているのを見かけることがよくある。アニメの関西弁を「ニセ関西弁だ」と言ったり,コンビニのレジのおねえちゃんを「あれは日本人じゃないわね」と言ったりする。「雰囲気がそうだからいいじゃないか」とか「通じればいいじゃないか」と思ってスルーすればいいものを,あえて口に出している。口に出すというのは「あいつは違う」ということの意思表示である。
日本語をしゃべる外国人に対して「日本語が上手い」と誉めるとき,それは外国人なまりが残っているレベルの人に対してである。実は,その人は究極的に「上手い」わけではないのだ。「外国人にしては上手い」というだけである。そして,本当に日本人と区別がつかないほど上手く日本語をしゃべる外国人を見るとギョッとする。そしてその人に対しては「日本語が上手い」とは決して言わない。
私は,ペラペラになるまで英語を話したくないと,最近まで思っていた。それは,いつからか,どういうわけか自分の内部に刻まれた恐怖である。ペラペラと話さない限りは,自分は「よそ者」として外国人に認識され,排除されるのではないかという恐怖である。なぜそう思うかと言えば,それは自分が日常的に同じことを外国人に対してしてきたからなのである。
しかし,もうそのような考えはやめようと思う。ペラペラでなければならないという恐怖心をなくすには,まず自分の中の「あいつはよそ者」の考えを捨てることである。そのように自分が行動することで,英語に対する恐怖心も薄れていくのではないかと思うからだ。それに,しゃべらなければペラペラにならないことは明白なのに,ペラペラになるまでしゃべらないというのは矛盾している。てんでなってない。
江戸時代の名残であっても,どこかで断ち切らなければならない。外国人に対して寛大になることが,自分の首を締めている恐怖を取り除くことにつながるのだ。
Posted by n at 2014-01-29 19:55 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
Master Archive Index
Total Entry Count: 1957